**四季 × 油彩重層技法──
**四季 × 油彩重層技法──
ヴェール・グレイジング・スカンブリングが照らした一年の物語**
**春──デッドカラー(下層)の静かな目覚め
“色の骨格”が呼吸を始める季節**
春。
彼女はまず、**デッドカラー(grisaille グリザイユ)**で画面を始めた。
色をつける前に、
白・黒・アンバーのみで描かれる“絵の骨格”。
それは形ではなく、
光と影の構造をつくる工程だ。
薄いアンバーを溶き、
柔らかい筆で影をなぞる。
白を少しずつ重ね、
光の方向を探る。
春の弱い光は、
まだ色を求めていない。
輪郭を、
静かな基礎を、
心の土台を、
そっと呼び覚ましていく。
「色がなくても……
何かが始まっている感じがします」
春のデッドカラーは、
冬に眠っていた心の骨格が
ゆっくりと息を吹き返す瞬間だった。
**夏──インパストの“肉”と強い光を支える影
厚みが熱と衝動を語る季節**
デッドカラーの上に、
夏の強い光と熱。
彼女はインパストで
画面に“肉付け”をしていく。
厚く置いたカドミウムイエローは、
夏の陽光のように立ち上がり、
その影はデッドカラーの構造に支えられ、
揺らぎながらも崩れない。
ナイフを強く押し付けて刻んだ溝。
筆跡がそのまま固まった山。
乾かない絵具の湿度。
「夏の光って、
触れられそうなくらい厚いんですね」
インパストは、
強さ・衝動・熱量を
“表面”ではなく
“質量”として画面に刻む。
春の下層が“骨”なら、
夏の厚塗りは“筋肉”だった。
**秋──グレイジング(透明層)の深い呼吸
光が層の奥で揺れる季節**
秋。
彼女は厚い夏の層の上に、
**グレイジング(透明な油彩層)**を重ね始めた。
油絵具をテレピンで極限まで薄め、
透明なフィルムのように塗る。
バーントシェンナ、
トランスオレンジ、
インディアンイエロー。
薄い層を重ねるたび、
光は深みに沈み、
またすこし浮かび上がってくる。
「一度塗っただけでは、
ほとんど変わらないのに…
十層くらい重ねると“深さ”が生まれるんですね」
その“深さ”は、
まさに秋の空気そのものだった。
グレイジングは、
派手ではなく
表面を揺らさず、
しかし確実に心の温度を変える。
そして秋は、
過去の感情が透明層のように
ゆっくり心の上に積もっていく季節。
**冬──ヴェール(Veiling)とスカンブリング
消されずに残る“気配”と
静かに生まれる“光の粉雪”**
冬の入り口で、
彼女は**ヴェール(veiling)**に移った。
グレイジングとは違い、
不透明色を限界まで薄く溶き、
霧のようにかける技法。
青みを帯びた白を溶かし、
秋の深い層へと薄く乗せる。
すると、
深層の色は完全には消えず、
霧の向こうで揺れる“気配”だけが残る。
冬特有の霞んだ光を
そのまま閉じ込めたような効果だった。
さらに彼女は、
乾いた筆でスカンブリングを行った。
硬めの白。
乾いた刷毛。
キャンバス表面を“こする”。
ザラついた部分だけに
光がかかることで、
薄い粉雪のようなハイライトが走った。
「冬って…
光が全部ではなく、
一部だけに宿る季節なんですね。」
冬の画面は、
静けさと、
揺らぐ光と、
透明な影。
重層技法のすべてが
冬の心象を呼び起こしていた。
**そして次の春へ──
層のすべてが“ひとつの光”となって立ち上がる**
一年がめぐり、
彼女は再び春の窓辺に座った。
その前にひらいたキャンバスには、
春に描いたデッドカラー、
夏の厚塗り、
秋の透明層、
冬のヴェールと粉雪の光が
すべて刻まれていた。
四季が分離していない。
むしろ、
層の奥と表面が共鳴してひとつの光になっている。
「季節も気持ちも、
全部が“重なって”今の私を作ってるんですね。」
そう呟く彼女の表情は、
まるで透明なグレーズの奥から
光が戻ってきたようだった。
重層油彩は、心の層そのものだ。
デッドカラー=骨
インパスト=衝動
グレイジング=記憶
ヴェール=静けさ
スカンブリング=光の粉雪
そのすべてを重ねた画面は、
一年をかけて再生した
彼女の心の“断面図”だった。