世の中の多くの人は、物事の原因と結果を、なんとなく世間の常識に沿って捉えています。
しかし、その因果関係が実は逆になっているケースが、日常のあちこちに潜んでいます。
たとえば「忙しくて本が読めない」という言葉をよく耳にします。
しかし私、村上祐章の見方では、順番が逆です。
体系的な知識を吸収していないから思考が非効率になり、その結果として時間が足りなくなっています。
本が読めないのではなく、読んでいないから忙しくなっているのです。
ビジネスの場でも同じことが起きています。
「成果を出せば周囲から信頼される」と信じて仕事に没頭する人は多いですが、実態は逆です。
周囲との関係性や信頼が先にあるからこそ、仕事が動き始めるのです。
不動産の世界でも例外ではありません。
「資金がなければ投資はできない」というのが世間の常識ですが、これも逆です。
買おうとするから資金が必要になる。
買わなければ、資金はそもそも必要ない。
この発想の転換が、廃墟不動産投資の出発点でした。
常識の方向を疑うことなく生きていると、努力の向け先をずっと間違え続けることになります。
■2つの食卓が教えてくれたこと
以前、知人を介して、海外を拠点にしている若い資産家の自宅パーティーに参加する機会がありました。
高級別荘地にある邸宅は、足を踏み入れた瞬間から別世界で、テーブルに並ぶ料理も空間の作りも、日常では絶対に体験できないものでした。
非常に贅沢な時間でした。
翌日、岐阜で作業をしていた私はふと気が向いて、自転車でまだ行ったことのない近隣の町へ走り出しました。
住宅街の外れにある砂利の駐車場で、折りたたみの机を前にした高齢のおばあさんが座っていました。
机の上には採れたてのいちご、手作りの惣菜、飲み物が無造作に並んでいます。
値札も看板もありません。
店なのかどうかも分からず、私はとりあえず欲しいものを指で示しました。
「全部で900円ね」
思わず聞き返したくなるような安さでした。
少し雑談していると、おばあさんは「ちょっと待って」と言って家の中へ消え、両手におにぎりを持って戻ってきました。
何と、「おまけね」ということだったです。
そして、近くの川沿いへ移動すると、長い時間放置されたままの古い木船が係留されていました。
乗り込んでみると、水面がゆっくりと揺れる。その船の上で、いちごとおにぎりを食べました。
前日の邸宅で食べた料理と、甲乙つけがたい満足感でした。
■片方の世界だけにいると、もう片方が見えなくなる
この2日間の体験から、私が改めて確認したことがあります。
資産家の邸宅にいるだけでは、あのおばあさんの駐車場にはたどり着けません。
逆に、庶民的な日常だけを生きていたら、あの種の招待を受けることはまずありません。
どちらか一方に染まってしまうと、もう一方の世界でしか得られない体験や発見が、完全に死角に入ってしまうのです。
これは廃墟不動産投資の現場でも、全く同じことが起きています。
実際の空き家オーナーの多くは「誰かに使ってもらえるなら」という気持ちで話を聞いてくれます。
立派な物件を持つオーナーには到底できない交渉が、放置された空き家のオーナーとなら成立します。
「タダでいいから管理してほしい」という言葉を、私はこれまで何度も直接聞いてきました。
その言葉が出てくる背景には、管理できず空き家を持て余している焦りや、固定資産税だけが毎年かかり続けるという現実があります。
誰も欲しがらないからこそ、オーナーは困っているのです。
そして、その「困りごと」の中にこそ、ビジネスの入り口があります。
多くの投資家が、条件の良い物件を奪い合っている一方で、ボロボロで価値がないと判断された空き家に目を向けます。
その視点は、華やかな世界も地味な現場も、どちらも実際に歩いてきたからこそ持てるものです。
豪華な側だけを見ていた人間には、価値がないと思われているものの中に眠っている可能性には、永遠に気付けません。
■結論:「どちらか」ではなく「どちらへも」
常識の因果を疑い、どちらの極にも偏らず、両方の世界を行き来し続けること...、それが、村上祐章の投資哲学の核心であり、同時に生き方そのものでもあります。
「億万長者と庶民、どちらの生き方がいいですか?」と問われたら、私の答えは迷わず「どちらへも交互に行き交う生き方です」となります。
どちらかを選ぶのではなく、どちらにも属せる状態でいること、その自由こそが、誰も気付いていない場所に価値を見つけ続けるための、唯一の条件だと私は確信しています。