🌬第四章 潮の記憶、風の手紙
🌬第四章 潮の記憶、風の手紙
朝、波の音で目が覚めた。
窓を開けると、潮の香りが静かに部屋へ流れ込む。
遠くの水平線が、柔らかく金色に染まっている。
今日の海は、どこか懐かしい気配をまとっていた。
ボートに揺られながら、私は思う。
海はいつも、昨日と今日の境目を優しく溶かしてくれる。
そして、過去の記憶さえも、
潮に乗せて、静かに洗い流していくのだ。
潜降。
水中に広がる世界は、昨日よりも澄んでいる気がした。
岩肌に揺れる海藻、流れの中で舞う砂。
どれも、長い時間の記憶をまとっている。
サンゴの隙間に、小さな貝殻が光っていた。
拾い上げると、そこには波の音が閉じ込められているような気がした。
耳を寄せると、懐かしい声が聴こえる──。
それは、過去の海たちの囁き。
幾千もの潮の満ち引きが、
いのちの物語を繰り返してきた証。
光が揺れるたび、
海の底から泡が立ち上がる。
その一粒一粒が、
まるで風に運ばれる“手紙”のように見えた。
「忘れないで」
「またここに戻っておいで」
そんな声が、潮の奥から届いてくる。
浮上すると、風が頬をなでた。
その風もまた、海からの手紙。
見えないけれど、確かに届いている。
人の心も、海の流れと同じように、
出会いと別れをくり返しながら、
静かに形を変えていくのだろう。
浜辺に戻り、貝殻を砂の上に置いた。
波が寄せてきて、そっとそれを包み込む。
まるで「ありがとう」と言ってくれるみたいに。
潮風の中で目を閉じると、
今日という日も、ひとつの記憶となって溶けていった。
でも不思議と、心は軽く、あたたかい。
海は、手紙を送る。
私たちが、それを受け取れる心である限り。