【栗山和暉】地球の裏側にある「ゴミ箱」を設計する
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朝の満員電車で隣り合わせた誰かが、スマートフォンを指で滑らせている光景を眺めていました。その指先の動きはあまりに滑らかで、まるで空気そのものを操っているかのようです。画面の中では、無数の情報が整然と並び、心地よいリズムで消えては現れます。私たちは日々、こうした摩擦のない世界を当たり前のように享受していますが、その滑らかさを作るために、どれほど多くの「不器用な格闘」が積み重ねられているかを知る人は多くありません。私はウェブの設計図を描くとき、あえて地球の裏側にある名もなきゴミ箱のことを想像します。捨てられたアイデアや、日の目を見なかった失敗案たちが静かに眠る場所。そこには、成功した完成品よりもずっと豊かな人間らしさが詰まっている気がするのです。
ビジネスにおいて、私たちは常に最短距離での正解を求められます。ユーザーを迷わせず、ストレスを与えず、目的の場所まで最短で導く。それは一見すると最上の優しさのように思えますが、あまりに道が整いすぎていると、人は歩くことの楽しさを忘れてしまいます。私が最近挑戦しているのは、論理的な正解という土台の上に、あえて「心地よい引っかかり」をどう作るかという試みです。それは、完璧に清掃されたホテルのロビーに、一輪だけ野の花が挿してあるような、説明のつかない違和感です。その違和感に触れたとき、人は初めて自分の意志でそこに立ち止まり、その場所に意味を見出し始めます。
かつて私が制作会社で必死に働いていた頃、上司から何度も突き返されたデザイン案がありました。当時は自分の無力さに打ちひしがれ、そのデータをゴミ箱に放り込むことしかできませんでした。でも、今の私なら分かります。あの時に捨てた数えきれないほどの「間違い」こそが、今の私の指先に確かな手ざわりを与えてくれているのだと。効率化やAIが加速する現代では、誰にでも到達できる平均的な正解はすぐに手に入ります。だからこそ、その人がどれだけ多くの遠回りをしてきたか、どれだけ多くのゴミ箱を一杯にしてきたかという経験にこそ、唯一無二の価値が宿ります。
私は、履歴書の経歴欄には決して載らないような、情熱的な迷走を肯定したい。ウェブサイトのボタン一つを配置するのに一晩中悩み、結局元の場所に戻す。そんな非効率な時間の集積が、結果として画面の向こう側の誰かに「なんだか分からないけれど、ここは安心する」という感覚を届けます。デザインとは単なる情報の整理ではなく、そこに関わる人間の体温を、いかに冷まさずに届けるかというリレーのようなものです。私たちは機械ではありません。傷つき、迷い、時には派手に転びながら、それでも一歩を踏み出す。その不器用なプロセスそのものが、社会を少しずつ動かしていく原動力になると信じています。
これから一緒に働く仲間たちに伝えたいのは、スマートにこなす器用さよりも、自分の違和感を信じ抜くしつこさを持ってほしいということです。正解が用意されていない真っ白なキャンバスを前にしたとき、恐れずに自分のゴミ箱を覗き込んでみてください。そこには、かつて捨てたはずの、あなただけの宝物が眠っているはずです。私は今日も、デジタルな世界の隙間に、あえて不完全なままの愛嬌を忍ばせる方法を探しています。完成された美しい設計図よりも、誰かの心が震えるような、そんな生々しい手ざわりを持った場所を。私たちは、目的地へ辿り着くためだけに生きているのではありません。その道中にある泥臭い葛藤さえも楽しみながら、まだ誰も見たことのない景色を一緒に作っていきたいのです。