当たり前を疑うことが、社会を知る第一歩だった
社会学に興味を持った背景には、
「当たり前を疑う」という姿勢があります。
日本では犯罪が起きると、犯人の動機ばかりが大きく報道されます。
私はそれを長い間“普通のこと”として受け入れていましたが、
動機を知ることにどれほど社会的な意味があるのか、ずっと疑問に思っていました。
その違和感が、
私にとって「当たり前」に立ち止まる最初の経験でした。
その後、犯罪機会論を知り、
犯罪は「個人の性質ではなく“機会”や“環境”によっても生じる」
という視点に触れたことで、
社会は私たちが想像する以上に構造的な力で成り立っていることに気づきました。
この気づきが、社会学全体への興味へとつながり、
社会学を志すきっかけになりました。
では、なぜ社会学は“当たり前”を疑うのか。
それは、社会が自然に存在しているものではなく、
歴史・文化・制度によって“つくられた現実”だからです。
当たり前を疑うことで、
社会のしくみや不平等の構造、
そして個人が感じる生きづらさの背景までも見えてきます。
「当たり前を疑う」ことで、自分が生きる社会の仕組みが少しずつ見えてくる。
“当たり前”の多くは、実はただの慣習や構造の結果にすぎません。
その背後にある構造を可視化しようとする「まなざし」こそが
社会学の核心であり、
今も私が大切にしている考え方です。