【高橋正次・髙橋正次】透明な名刺を交換した日から、僕の仕事は消えた
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ある交流会で、一人の風変わりなビジネスパーソンに出会いました。彼が差し出したのは、文字もロゴも一切印刷されていない、ただの透明なプラスチックの板でした。驚く僕を前に、彼はいたずらっぽく笑ってこう言いました。僕の価値は、この透明な板の向こうに見える景色そのものなんですよ、と。その瞬間、僕がこれまで必死に積み上げてきた肩書きや、履歴書を埋め尽くす実績が、急に色褪せて見えたのを覚えています。私たちはいつの間にか、自分という存在を証明するために、分厚い言葉の鎧を着込むことに慣れすぎてしまったのかもしれません。
組織に属して働くということは、時に自分を特定の形に削り取る作業でもあります。役割という型に自分を流し込み、期待される成果を出し、効率という定規で測られる。その繰り返しの中で、私たちは本来持っていたはずの透明さ、つまり何者でもなく、何にでもなれる可能性を忘れてしまいがちです。編集者として多くの才能を世に送り出してきましたが、本当に強い組織というのは、メンバー一人ひとりがこうした透明な余白を持ち、互いの背景にある景色を尊重し合える場所ではないかと、最近強く感じるようになりました。
もしも明日から、自分の役職や専門性を一切名乗れなくなったら、あなたは何を持って他者とつながるでしょうか。知識や技術は、今や驚くべきスピードで機械に置き換えられつつあります。正解を出す速さだけで競う時代は終わり、これからは、答えのない問いに対してどれだけ誠実に、そして面白がって向き合えるかという、人間としての質感が問われています。あの透明な名刺の主は、何ができるかではなく、どんな眼差しで世界を捉えているかという、目に見えない価値を交換しようとしていたのです。
僕たちが本当に目指すべきキャリアとは、特定の場所へ辿り着くことではなく、自分を定義する言葉を増やし続け、同時にそれを軽やかに捨て去るプロセスそのものではないでしょうか。一つの色に染まりきるのではなく、透明なまま多くの場所を越境し、出会う人々や環境によって新しい色を反射させる。そのしなやかさこそが、変化の激しい現代を生き抜くための最強の武器になります。肩書きという重たい鎧を脱ぎ捨てたとき、初めて見える景色があります。
大切なのは、完成された自分を売り込むことではありません。まだ何者でもない自分の中に、どれだけ多くの余白を残しておけるか。その空白に、新しい仲間や予期せぬチャンスが舞い込んでくるのです。僕もこれからは、立派な言葉で自分を飾るのをやめ、あの透明な名刺のように、自分という存在を通して世界の美しさを伝えるような、そんな生き方を選んでみたいと思っています。仕事とは、自分を証明する手段ではなく、自分を解放し、他者と響き合うための広場であるべきなのですから。