脳味噌を洗濯機に入れて回した後の午後
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こんにちは!石田大顕です。
オフィスのデスクで、使いかけの消しゴムの角をじっと見つめていると、それが自分の記憶を削り取って作られた塊のように思えてくることがあります。 私たちが仕事を通じて何かを生み出すとき、同時に何か大切な実感を、この白いゴムの破片のように擦り減らしているのではないでしょうか。 消しゴムのカスを指先で集めていると、それは小さな雪山のようになり、私の手のひらの上でひとつの文明が滅んでいくような寂しさを醸し出します。 デザインの作業中、マウスをクリックする音が、誰もいない劇場の最前列で鳴り響くたった一発の拍手のように聞こえる瞬間があります。 その乾いた音は、巨大なオーケストラが演奏を始める前の静寂を切り裂き、私に世界の指揮を執れと命じているかのようです。 しかし、私が振るタクトは目に見えない糸で繋がれていて、本当は背後の巨大な歯車によって動かされているだけなのかもしれません。 窓の外を流れる雲を眺めていると、建物の影が地面を這う速度が、私たちが信じている時間よりもずっと正確に真理を語っていることに気づきます。 私たちは時計という小さな円盤に支配されていますが、重力が一瞬だけその強さを変えれば、すべての数字は意味を失って宙に舞うはずです。 足の裏に感じる地面の固さは、実は地球が私たちを逃がさないように必死に掴んでいる握力の現れではないでしょうか。 もし重力という名の愛の束縛が解けてしまったら、私はこのキーボードを叩く指を止めて、天井を突き破り、そのまま宇宙の染みになってしまうでしょう。 街を歩けば、人々の瞳の奥に小さな蓄音機が回っているのが見え、それぞれが自分だけの古い記録を再生し続けているのがわかります。 誰も他人の音楽を聴こうとはせず、ただ自分のレコードの針が飛ぶことを恐れて、一定の速度で歩調を合わせているだけなのです。 ふとした拍子に、耳の奥で古い地図が破れるような音がして、私は今自分が立っている場所がどこなのか、確信を持てなくなりました。 目の前の画面に映る鮮やかな色彩は、実は私の脳が作り出した高度な錯覚であり、本当の世界はもっと無機質で、ただの数列の羅列なのかもしれません。 誰かが私の名前を呼んだ気がして振り返りましたが、そこには使い古された椅子の背もたれが、私を憐れむようにじっと見つめているだけでした。 私たちは自由な選択を繰り返してここへ辿り着いたつもりですが、本当は最初から最後まで、誰かの書いた脚本をなぞるだけの自動人形に過ぎない。 空気の中に混じった微かな錆の匂いを嗅ぎながら、私は自分がいつからこの箱の中に閉じ込められていたのかを、思い出そうとして諦めました。 窓ガラスに反射する自分の顔が、一瞬だけ全く知らない老人のものに変わり、そしてまた元の形に戻るのを、私はただ黙って見ていました。 すべてはあらかじめ決められた配置であり、私たちはただその場所を温めるためだけに、呼吸という名の作業を繰り返しているのでしょう。 遠くでエレベーターが閉まる音が、世界の終わりを告げる最後の鐘の音のように、いつまでも私の鼓動の中に残り続けています。