朝の満員電車で見つけた、宇宙の縮図
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こんにちは!崔志遠です。
今朝、通勤途中の満員電車で、私は思わず息を呑むような光景に出会いました。といっても、誰かが画期的なデバイスを操作していたわけでも、車内に最新の広告が溢れていたわけでもありません。ただ、私の目の前に立っていた見知らぬ会社員の方が、あまりにも無造作に、でも完璧なバランスで、手にした文庫本のページを親指一枚でめくった、その瞬間です。
私たちは効率や最適化という言葉を使い、あたかも世界をコントロールできているような錯覚に陥ることがあります。エンジニアとしてシステムを構築していると、すべては論理的に説明可能で、予測可能な範囲に収まるべきだと考えがちです。しかし、あの親指の動きには、どんな高度な計算式を用いても再現できないような、重力と摩擦、そしてその人の人生が積み上げてきた固有の「ゆらぎ」が凝縮されていました。
ふと周りを見渡せば、車内には何十人もの人間がいて、それぞれが異なるリズムで呼吸をし、異なる重さで床を踏み締めています。その複雑怪奇な相互作用が、衝突することなく一つの箱に収まって移動している。これこそが、人工的な知能が到底及ばない、生命だけが持つ究極の自律分散システムなのではないでしょうか。整然としたコードの羅列よりも、こうした混沌とした調和の中にこそ、真の知性が宿っているような気がしてなりません。
私は日々、技術を使って何かを便利にしようと奮闘していますが、同時に、人間が持つこの「説明のつかない凄み」を削ぎ落としてしまっていないかと不安になることがあります。無駄を省き、最短距離で答えに辿り着くことが正義とされる中で、あえて非効率な身体性や、デジタル化できない手触りを大切にすること。それが、これからの技術者に求められる、ある種の「野生の勘」のようなものだと思うのです。
画面の中のシミュレーションは完璧ですが、現実の満員電車には、誰かの靴が少しだけ触れた時の温度や、微かに漂う雨の匂い、そしてページをめくる指先の迷いがあります。それらすべてのノイズを受け入れた先に、私たちが本当に作るべき「価値」が隠されているはずです。論理を突き詰めた先にあるのは、意外にもこうした極めてアナログで、泥臭い人間の営みへの畏怖の念でした。
便利なツールに囲まれて、私たちは自分の五感を使うことを忘れかけています。でも、たまにはスマホから目を離し、目の前にある「予測不能な調和」を観察してみるのも悪くありません。そこには、どんな技術書にも載っていない、世界を動かすためのヒントが転がっています。あの会社員の方の親指が描いた軌跡は、私にとってどんな最新の論文よりも、深く、鋭く、未来の在り方を示唆してくれました。
私たちは、もっと自分の直感や、身体が感じる違和感を信じてもいいのかもしれません。計算できないもの、割り切れないものの中にこそ、私たちが人間として生きる意味が詰まっている。そんなことを考えながら電車を降りた時、いつもの駅のホームが、少しだけ未知の惑星のように輝いて見えました。