私が高座に上がる理由を大公開!
普段はPCの前で記事を書いている人が、夜になると…
私は日中の大半を、約8畳程度の実家の一室で過ごしている。
東向きの窓を開き、太陽の光を室内に取り込みながら、愛用しているゴールドのMacBook Airの前に座って。
10時頃は日の光が眩しくて、カーテンを半分閉め、ラジオをBGMに原稿を打ち続けている。
急ぎの原稿がない場合、18時頃には一旦作業を終わらせる。
年老いた母と夕食を共にする時間は貴重だからだ。
これが私の毎日のルーティーン。
しかし、週末にはそのルーティーンを破る日がある。
私は鞄に着物と帯、足袋、扇子と手拭いを入れて家を出る。
車に乗って指定された場所へ向かうためだ。
目的地に着くと準備を始める。
幟を立て、高座を組み、緋毛氈(ひもうせん)を敷いて席を整える。
畳の上には座布団が一枚。
出囃子が鳴り、扇子と手拭いを手に私は高座に上がる。
記事を書くことと落語を演じること、そこにある共通点
私は落語から多くのことを学んだ。
それは、記事を書くことにも通じる大事なことだった。
落語は「ひとり」の人間が何人もの役を演じる。
長屋のご隠居さんや熊さん、八っつぁんはもちろん、彼らのおかみさん、子どもを演じ分ける。
ある時は天狗や犬もだ。
落語と記事制作には共通点がある。
それも、かなり重要な共通点だ。
それは、
見えない景色を言葉で表現する
という点である。
そして、落語にはお客さんが欠かせない。
お客さんの存在が、さらに記事を書くときのポイントを教えてくれる。
「どうしたら伝わるか」という点だ。
お客さんの反応を見ながら、落語の「構成」を考える。
「間(ま)」を取りながら、どうすればより話が伝わるかを考える。
これは、ライティングにも通じる考えだ。
「難しいこと、伝わりにくいことを面白く、分かりやすく届くように翻訳する」
落語と記事制作、この2つには立派な共通点が存在している。
落語の技術をライティングに変換してみた結果…
落語を演じることで、私は「人の心の機微を読む力」が育ったと思う。
さまざまな登場人物が、さまざまな思いを持って、落語の世界を生きている。
楽しい、許せない、悲しい、辛い、憎い。
落語の世界は感情が渦巻く、人間ドラマの世界だ。
彼らを演じるには、彼らの気持ちを汲み取る必要がある。
だから私は、人の心の機微を読む力を手に入れることができたのだ。
私の主戦場は、取材の現場であり、インタビューの現場。
だからこそ、この力が役に立っている。
取材対象となる人々は、ほとんどの場合、初対面だ。
こちらも緊張するが、相手も緊張している。
そんな時、相手の緊張をほぐすために私は「マクラ」の技術を取り入れる。
ビジネス用語に置き換えれば、アイスブレイク。
雑談の中で、マクラを挟むことで相手の反応を見つつ、緊張をほぐしていける。
緊張がほぐれれば、その人の人間味を引き出すことができる。
取材後に力を発揮するのが「構成力」だ。
落語には、「マクラ→本題→オチ」という基本的な構成が決められている。
私もそれを活用し、インタビューで得た情報を並べるだけの記事ではなく、その人の「体温」が伝わる記事として翻訳できるようになった。
面白い人々を、面白い構成で伝えたい
沖縄は、「面白い人」たちの宝庫だ。
大変な状況でも、笑顔を忘れず生活している人がたくさんいる。
自分の信念を持って、一直線に進んでいく人がたくさんいる。
沖縄の芸人さんのファンで、その人の役に立ちたいと裏方になった人。
幼い頃から伝統芸能に憧れ、実際に継承者として邁進する人。
落語家が話術でお客さまを楽しませるように、私も言葉の力でクライアントを喜ばせたい。
熱い想いを持っているのに、なぜか伝わらない。
そんな悩みを持っている、皆さまの会社の魅力を翻訳し、多くの人に届けたい。
それが私の役割だ。
もし、「ちょっと話を聞いてみたい」と感じたならば、ぜひコンタクトを取ってみてほしい。
まずは雑談(マクラ)から始めてみるのも、悪くないはずだ。