初めまして、人材ベンチャーでキャリア相談や転職支援などのサービスを中心に、コミュニケーション講習などもやっている水田縦也と申します。
私は中学校から大学まで演劇をやってきまして一時期はプロの俳優さんになりたいと思ってきました。
そしてこの演劇では作品を創っていく過程で、他者とのコミュニケーションが必然的に求められるものです。
そういった経験を活かして社会人向けのコミュニケーションWSだったり、リスペクト講座なんかを受け持っています。
■詳しくは以下のnoteより。
私は学生時代から、リーダー気質で、そしてスポーツも勉強もでき、ある程度面白く、所謂人気者の部類でした。
先生にも好かれてきたし、そういったこともあって自信家で、演劇でもすぐに役が貰えるだろうと思っていた時がありました。
しかし現実は甘くはなかった。
どの役でもいいから役が欲しく、挙手制で役の希望を問われた時には、度の役でも手を挙げていました。
しかし先生(結構有名でメディアにも出演されています)には、「お前はこの役じゃないだろ」と言われ、結局私はその他大勢のような役になってしまったんです。
この経験が私にとって大きな大きなインパクトになったんですね。
舞台の本番を終えて、実際に私が手を挙げて、一見冴えない後輩が演じたその役ですが、私のお客さんはその方が印象に残ったと言っていたんです。
冴えない人間だからこそ、その人間の弱さや苦悩が浮き彫りになる。
これは私がダメなのではなく、単にその後輩が、その役に適切だったということなんだと気づきました。
自分に自信があった私ですが、自分では不適切な役があるということ。
ここで、人間には役割があり、そしてそれは人によって適正が異なるということ、だからこそ≪適材適所≫が大切であるということがハッキリ解ったんです。
さて、私がファシリテーターとして参加者の発言を促し、合意形成へと導くリスペクト講習について。
私は"演劇"という分野で本気でプロを目指していたからこそ、私では力不足なことが分かり、逆に他者の魅力に気づき、≪相互理解≫について認識を深めることができました。
私が進行するリスペクト講習では、まずこの原理をお話したうえで、日常や社会経済における"適任"や"役割"、"感情が動いた出来事"について議論します。
その後、実際に議論を通じて挙がったシーンを再現するため、その役になりきって、演劇形式で自分の出来ることや出来ないことを知っていただきます。
客観的に、自分が演じた方が魅力的なのか?それとも他人が演じた方が魅力的なのか?ということを他人に判断されることは怖いかもしれません。
しかしこの過程は、人間社会には適材適所があるということを知り、他者へのリスペクトを抱くのに有効な手段です。
この相互理解とは、「ここは同じだけど、ここは違うよね」ということを、客観的に理解するということです。
例えば同じ企業で同じ目標に向かって仕事をしている場合、「ここは私に任せてほしいが、ここはアナタにお任せする」という考え方に応用できるでしょう。
そして「ここは分かり合えない」「分かり合う必要がない」ということを理解することが必要なシーンもあると感じます。
そもそも他人は他人なのですから、絶対に分かり合えないことは、必ずあります。
そこで私は、昨今問題視されている外国人問題についても、この相互理解が役に立つのではと感じています。
「無理にわかり合う必要などない」という価値観も必要な時があります。
宗教や教育が異なれば、当然価値観が異なります。
それを"共生"という言葉だけで理解しようなんて、土台無理な話なんです。
"違い"を知って、その上でも共生するのか?
その際に生じるメリットとデメリットは何なのか?
この"相互理解"の上でしか、建設的な議論はあり得ません。
この"相互理解"は、目標を共にする組織の中においては"リスペクト"を構築する手立てになります。
そして目標を共にしない相手だった場合、適切な距離をとるための手がかりともなるのです。