AIと一緒に考えるという感覚—エンジニアの僕がClaudeを使い続ける理由
正直に言うと、最初はそこまで期待していなかった。
生成AIが話題になりはじめたころ、「便利なオートコンプリートが出てきたな」くらいの認識で触り始めた。コードを補完してくれる、文章をきれいにしてくれる。確かに便利だけど、所詮は道具だろうと思っていた。
その認識が変わったのは、Claudeを使い始めてしばらく経ったころだった。
「答えをくれるAI」じゃなくて「一緒に考えるAI」
あるとき、システム設計で行き詰まっていた。複数の選択肢があって、それぞれにトレードオフがある。一人で考えていると、どうしても自分の思考パターンのループにはまり込んでしまう。
試しにClaudeに状況を投げてみた。「こういう要件があって、A案とB案で迷っている。それぞれのトレードオフを整理してほしい」と。
返ってきたのは、予想していたような「A案がおすすめです」という結論ではなかった。A案のメリットとリスク、B案のメリットとリスクが丁寧に整理されて、さらに「この判断は、将来的にどの方向にスケールさせたいかによって変わりますね」という問い返しがあった。
答えをくれるんじゃなくて、考えるための整理をしてくれる。
その感覚が、他のAIツールとは少し違うと感じた瞬間だった。
実務での使い方—壁打ち相手として
今、自分がClaudeを最もよく使うのは壁打ちの場面だ。
コードを書いてもらう、というよりも、自分の考えを投げかけて「どこに穴があるか」を見つけてもらう使い方をしている。
たとえば、クライアントへの提案内容を考えているとき。頭の中にある論理展開をざっと書き出して「この論理に飛躍はないか、反論が来そうな箇所はどこか」と問いかける。すると、自分では見えていなかった前提の抜けや、説明不足の箇所を指摘してくれる。
一人で作業していると、自分の思考の死角は自分では見えない。でもClaudeに投げると、その死角を外側から照らしてくれる感覚がある。
人間の同僚に同じことをお願いするのは、相手の時間をもらうことになるし、関係性によっては「こんな初歩的なことを聞いていいのか」という遠慮も生まれる。Claudeにはそれがない。どんな段階の、どんな荒削りな考えでも、フラットに受け取ってくれる。
聞き方が変わると、仕事の質が変わる
Claudeを使い続けて気づいたのは、AIへの問いかけの質が、そのまま自分の思考の質に返ってくるということだ。
漠然と「これについて教えて」と聞くと、漠然とした答えが返ってくる。「この状況で、この制約の中で、この目的のために、何が最も重要な論点か」と聞くと、本当に必要な答えが返ってくる。
問いを立てる力が、AIの使いこなしに直結する。
これはエンジニアリングそのものにも通じる話で、要件定義があいまいなままコードを書いても良いものはできない。何を作るかを明確にすることが、どう作るかより先に来る。Claudeとのやり取りの中で、その感覚がより鋭くなってきた気がしている。
人間にしかできないことが、はっきりした
逆説的なようだが、Claudeを使い込むほど「自分がやるべきこと」が明確になってきた。
処理、整理、調査、たたき台の作成——これらはClaudeに任せられる。速く、正確で、疲れない。
では自分は何をするか。
クライアントの言葉の裏にある本当の課題を読み取ること。チームの空気を読んで、今どんな判断をすべきかを感じ取ること。失敗の経験から「なぜうまくいかなかったか」を自分の言葉で語れること。そして、次に何を作るべきかを問い続けること。
これらは、どれだけClaudeが賢くなっても、今のところ人間にしかできない。
AIが得意なことと人間が得意なことを棲み分けて、それぞれが力を発揮できる状態にする。そのマネジメントをするのが、これからのエンジニアの仕事のひとつになっていくと思っている。
一緒に仕事をする感覚
最後に、少し感覚的な話をする。
Claudeと仕事をしていると、ときどき「あ、この視点は自分になかった」と思う瞬間がある。それが面白い。
人間の同僚と働くとき、相手のものの見方に触れて自分の視野が広がることがある。Claudeとのやり取りにも、少し似た感覚がある。もちろん同僚とは全然違う。でも、「使う道具」というより「一緒に考える相手」に近い感覚が、確かにある。
この感覚が正しいかどうかはわからない。でも、その感覚があるからこそ、毎日使い続けているのだと思う。
テクノロジーは、使う人の姿勢次第でまったく違うものになる。Claudeも、答えをもらうために使うか、一緒に考えるために使うかで、得られるものが大きく変わる。
自分はこれからも、後者の使い方をしていきたい。