営業からエンジニアへ。流転屋を始めた理由
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今、僕はフリーランスのソフトウェアエンジニアとして、流転屋(Rutenya)という名前で活動しています。
大規模ECや既存システムの開発・改善に関わることが多く、ビジネス要件の変化が早い環境で、技術と事業の間をつなぐ役割を意識しています。
でも、最初からエンジニアだったわけではありません。
キャリアのスタートは営業でした。
若さとハードワークだけでは足りなかった
新人営業の頃、僕にできることはまだ多くありませんでした。
武器と言えるものは、若さを活かしたハードワークくらい。
でも、それだけでは足りないと感じていました。
営業では、質をすぐに上げるのは難しい。
だったらまずは量を増やすしかない。
そう考えたときに思いついたのが、自分が頑張るだけではなく、パソコンに働いてもらうことでした。
単調な作業をスクリプトや仕組みに置き換えることで、交渉や分析のような本質的な業務に、より多くの時間を使えるようになりました。
今振り返ると、この頃からすでに「仕組みを作る側」に惹かれていたのだと思います。
パソコンは昔から身近だった
僕は1996年生まれで、幼少期からパソコンに触れてきました。
Windows XP の時代から、コンピュータはずっと身近な存在でした。
家庭の方針でゲームはあまりできなかったこともあり、代わりにパソコンやインターネットに触れる時間が多かったように思います。
当時は今よりインターネットの治安も悪く、小学生の頃にコンピュータウイルスに引っかかってしまい、悔しい思いをしたこともありました。
それでも、パソコンから離れるのではなく、むしろ仕組みそのものへの興味が強くなっていきました。
趣味レベルではプログラミングや SQL にも触れていて、営業時代に業務改善を考えたときも、自然とそちらへ手が伸びました。
営業からエンジニアへの転身は、大きな方向転換に見えるかもしれません。
でも、自分の中ではむしろ自然な流れだった気がしています。
ものづくりと事業づくりの延長に、技術があった
もともと、ものづくりは好きでした。
工業高校では、自動車工学や製図、CAD、溶接、旋盤、マイコンカーなど、手を動かして形にすることをたくさん学びました。
地元の小学校のクラスプレートを作ったり、BBQ台を作ったり、ゲームを作ってみたり、一般的な座学とは少し違う形で「作ること」の面白さに触れてきました。
社会人になってからは、営業としていろいろな業種やビジネスに触れる中で、アイデアを形にして価値を生み出すことへの関心が強くなっていきました。
もともと起業への意識もありました。
そして、事業づくりを考えたときに強く思ったのが、アイデアを形にするうえで最もコストパフォーマンスが高いのはITだということでした。
当時から個人開発は続けていて、ユーザーを集められても収益化までうまくいかないことも多く、いまだにクラッシュアンドビルドの繰り返しです。
それでも、作ること自体はもう生活の一部になっています。
事業をつくりたい。
価値を生み出したい。
そのためには技術が必要だ。
そう思ったことが、エンジニアを本気で目指す大きな理由でした。
エンジニアになって分かったこと
エンジニアになってみてすぐに感じたのは、実装だけでは価値にならないということでした。
プログラムは 0 と 1 の世界で、とてもわかりやすいです。
でも、実際の仕事にはクライアントがいて、要件の揺れや認識のズレ、立場の違いといった複雑さがあります。
特に既存システムがあると、エンジニアとしては「どの変更が一番影響範囲が少ないか」をまず考えます。
その視点はとても大事です。
ただ、その視点だけで進めると、バグはないけれど使われないものを作ってしまうことがある。
それはもちろん、本意ではありません。
「何を作るか」より、「何を解決したいか」
僕は、「何をどう作るか」より先に、「何を解決したいか」を見ることを大切にしています。
技術が好きだからこそ、技術そのものに引っ張られすぎないようにしたいと思っています。
新しい技術や流行は面白いですが、そればかりに意識が向くと、本当に解決したいことが見えなくなることがあるからです。
だからこそ、一度、自分がエンジニアであることを少し忘れて考えるようにしています。
「どう実装するか」ではなく、ビジネス側の人間だったら何を解決したいと思うか。
そんなふうに視点を置き換えてみる感覚です。
その感覚は、営業も経験した今の自分にとってすごく大事です。
営業時代に身についたのは、相手の話を聞いて、課題を整理して、本当に必要なことを見極める感覚でした。
それは今、技術とビジネスの間をつなぐ仕事にそのまま生きています。
立場に縛られず、流れるように働く
僕は職業としてはソフトウェアエンジニアです。
でも、自分の中では、その立場に縛られすぎたくないと思っています。
造語ですが、僕はフローワーク、あるいはフローワーカーという感覚を大事にしています。
立場や役割にとらわれず、必要なところへ流れるように動く。そんな働き方です。
たとえばECサイト開発では、実装だけを見ていても前に進まないことがあります。
デザインの意図を考えることもあれば、SEOや売上への影響を踏まえて判断することもあります。
その意識があることで、技術側にも事業側にも寄り添いやすくなると感じています。
エンジニア脳だけで考えるのではなく、ビジネス側の視点にも立つ。
逆に、ビジネスの都合だけに寄りすぎず、技術的な現実も踏まえる。
その間を行き来しながら、変化の中で前に進める形を探す。
それが、自分の働き方に近いと思っています。
なぜ「流転屋」なのか
流転屋という名前には、こんな意味を込めています。
流転し続ける技術と共に、時間と価値を守る。
世の中は、自分の想像よりもずっと速く、大きく変化しています。
技術も同じです。最近で言えば、AI の進化はその象徴のひとつだと思います。
変化そのものを止めることはできません。
でも、その変化がもたらす複雑さや不安を減らすことはできるかもしれない。
ソフトウェアエンジニアとして、技術の進化が生む複雑さを整理し、本当に大切にしたい時間や価値を守る。
そして、長期的な成長を支えたい。
それが、流転屋という名前に込めた思いです。
なぜ自分の看板を持ちたかったのか
会社員として働く中でも、多くのことを学びました。
その一方で、いずれ事業をつくることを考えたとき、自分の看板を持ちたいという気持ちは少しずつ強くなっていきました。
実際、兼業という形で小さな法人を経営していた時期もあります。
ただ、今の時点で「これを本気で解決したい」と思える、ひとつのテーマに出会えているわけではありません。
それでも、フリーランスとしてさまざまなプロジェクトや人に関わる中で、刺激や学びを得ています。
そして、価値を残すこと、残そうとすること、そのために動き始めること自体が、自分にとって大きなモチベーションになっています。
僕の家系には、ヒイ祖父の代から続いていた会社がありました。
祖父が亡くなった後も、その会社が残っているのを見てきたことは、自分の中で大きな感覚として残っています。
個人ではなく、事業や法人という形にこそ、人を超えて残っていく価値がある。
そう思うようになった背景には、そうした原体験があります。
ただ同時に、残り続けることは簡単ではないとも感じています。
時代の変化に適応できなければ、どれだけ長く続いたものでも厳しくなる。
事業を残すというのは、ただ続けることではなく、変化に合わせて形を変えながら価値を出し続けることでもあるのだと思います。
去年、ある実業家の方の本をきっかけに、実際にお会いする機会がありました。
その方は、すでに自分が前面に立ち続ける状態ではなく、新しい考え方を持った若い世代へと事業を託していました。
ひとりの人生は短い。
それでも何かを残すためには、長い時間が必要なことがあること、必要であれば誰かに託すこと、そして変化し続けることが必要なのだと感じました。
そうした話に触れたことも、自分が事業を考える上で大きな影響を受けています。
自分がいなくなった後でも、世の中にとって意味のあるものなら、受け継がれながら残っていくかもしれない。
そう考えるようになったことも、流転屋を続けている理由のひとつです。
これから関わりたいこと
今、特に関わりたいのはスタートアップです。
変化が大きく、正解がまだ固まっていない環境では、技術だけでも、事業だけでも前に進まないことが多いと思っています。
だからこそ、その間をつなぎながら、変化の中でも前に進める形を一緒につくっていける存在でありたいと思っています。
僕が目指しているのは、変化の中で価値を出し続けるエンジニアです。
ちゃんと本質を見て、必要なものを見極めて、長く使える価値につなげていく。
そんなふうに、地に足のついた形で仕事をしていきたいと思っています。