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私はどんな困難なことに直面しても自分で課題を見出して、整理して、解決していく力があります。以下でその具体について書きます。
◯学生時代の部活動について
(小学4年生~大学4年生まで柔道部)
中学校・高校・大学では主将を務めました。
私は高校までは試合で結果を出したいという思いがあり、練習時間はそこにコミットして最大限自分を追い込むことを信条としていました。また、練習時間外にもランニングをしたり、家で筋トレをするなどの自主的な練習にも取り組みました。中学校時代は、部活動としての団体は柔道部としてあるものの、学校ないに柔道畳がないため、近隣の和歌山大学の柔道部に練習に行ったり、土日祝日や長期休暇は親にも協力してもらい、当時、和歌山県で一番強かった岩出市立岩出第二中学校において練習させていただきました。その甲斐もあり、市内の秋季大会では個人戦で2位、最後の夏の大会は3位でした。高校時代は進学校に進んだこともあり、勉強と部活の文武両道が必要でした。朝は生徒ホールで勉強し、授業を受け、部活動をし、その後に夜の22時までは塾の自習室で勉強するということを高校1年生の11月からセンター試験が終わるまでは貫きました。高3の最後のインターハイ予選では5人制の団体戦で3人しかいないに関わらず、予選リーグを突破しました。個人戦もベスト16でした。
大学では、高校3年生に上がる前の春の合宿で左膝の前十字靱帯の怪我をしたこともあり、また少し勝負の柔道は燃え尽きてしまっていた面もあり、試合はありますが、柔道の勝ち負け以外の勝ち、具体的には柔道と国際交流や、柔道と特別支援や療育の勉強などを重点的にしました。もちろん、試合に対しての熱意も復活し、国立大学の団体戦で3位に入ったり、その中で神戸大学に進んだ2つ上の同じ高校の先輩に高校時代は全く勝てなかったのに試合の中で初めて一本を取れました。
また、大学4年生の間はコロナ禍で練習がままならなくなりましたが、それまでに築いたつながりを活かして、長崎県や愛知県の先生と協力し、クロアチアやオランダ、イギリスの子どもたちと地元の道場の子どもたちをZOOM越しで国際柔道交流を経験させていただくことができました。
◯仕事について
教員採用試験にストレートで合格しましたが、そこから人生の壁にぶつかりました。
2021年11月~2022年2月 適応障害で休職
2023年7月~2024年1月初め 適応障害で休職
2024年9月~2025年2月 うつ病で休職
2025年6月~ うつ病再発で休職
上記の通り、4度の休職を経験しました。もちろん休みたくて休んだわけではなく、仕事は好き、子どもは好きだけど知らない間に脳がボロボロになっているという感覚でした。大人の発達障害(生まれつき障害特性はあるものの、働き始めてから顕在化するもの)でASDとADHDの診断を受けました。精神障害者保健福祉手帳3級も持つことになりました。
1度目の休職は学級崩壊と自身の特性による不適応によるものでした。このままで終わりたくない、その想いから復職してからは職場での学びや実践を大切にしつつ、教員のオンラインサロンで学んだり、大阪や東京などで行われる自主的な研修に参加したりしました。また、2度目の休職では自身の障害特性と向き合い、思考のトレーニングや社会適応度を高めるためにディーキャリア和歌山オフィスという就労移行支援事業所でリワークをしました。
おそらく2度ほど休職するとその時点で自身に適応性がないことを認め、職を辞すという判断もできたかもしれません。事実、私の同期も同じく1年目に適応障害になり、そのまま職を辞されました。でも、長く憧れてきた小学校教員という夢を諦めたくない、同じように発達特性のある子どもたちにとって自分のような障害当事者がいることは意味があるはずだと信じて、うつ病になりきってしまうまで続けました。
この経験から自身で設定した高い目標に向かってそれがたとえ実現度が難しいものであっても理想に向かって徹底的に諦めずに、こだわって努力し、どんな苦境でも前に進み続ける、コツコツと取り組むのが私自身の強みであると感じています。