サボテンの造形美的に生成される社会
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人の社会は無軌道に生成される。自然の生物たちの淘汰と基本的には同じ仕組みで成り立っている。
このアイデアは僕のオリジナルではなく、フリードリヒ・ハイエクやニクラス・ルーマン、リチャード・ドーキンスらがそのようなことをおっしゃっている。
とGeminiは教えてくれました。
ちょっとは文章に箔をつけたいので、知らない人の名前を入れてみましたw
僕もその考えが一番しっくりくると思います。
このアイデアをポップに表現したのがユヴァル・ノア・ハラリで、社会は虚構だという表現は本当に素敵で、すごくマネしたくなります。
江口寿史さんのイラストくらい、マネしたくなります。
あ、これは揶揄ではなく、僕は本当に江口寿史さんが好きで、彼がどうやって描いていようがそんなことはどうでもよくって、あのタッチが素晴らしいと思っています。
で、虚構とか、そうやってメタ視して、構造化するのはとても気持ちのいい思考なので、ついついマネしたくなります。
社会はライブで生成される。
それは今存在している人々が、人々同士の関係性、環境との状態、情報として外部化して蓄積したテキストや慣習、社会制度、そして物理的に作り出したさまざまなものから生成されている。道路は人々がいなければ社会的な意味はないが、人々は道路を社会の一部として生み出していくし利用する。
この道路のデザインをふと考えてみると、なかなか美しいです。
グーグルマップで眺めていて飽きません。
下町の迷路のような道路も、新興都市の碁盤の目の道路も、荒れ地に延々まっすぐ伸びる道路も、砂漠にただ痕跡として残っているだけに見える道路も、美しい。
計画的に作られたものも、それはアリの巣やハチの巣と同じで、やはり自然淘汰の結果だと言える。そもそも、何故そう計画するのかは偶発的だ。
偶然人々が馬車や自動車を発明したからそうなった。
もし移動よりも、コロニーの中での自己完結するようなエコシステム的社会へと発展していったなら、道路の形は全く違っただろう。
道路は何も高速輸送を目指して発展してきたわけではない。
高速輸送というニーズが出来たから、高速道が生まれた。
高速輸送の必要性は、おそらく、貨物であったり拠点間の輸送の必要性から生まれた。
それが生まれるには交易が生まれなくてはならない。
サボテンが環境の変化に適応してらせん状に美しいとげを生やすように進化したのと同じく、道路もまた、変化する人社会に適応して進化してきた。
いわば、場当たり的、無軌道な進化だ。
この淘汰圧的な進化はやはりどこか理不尽でありながら、同時に研ぎ澄まされた機能美を持っている。例えば日本の道路。地中に様々なインフラ設備が埋まっている。そのメンテ性を考えて剥がしたり戻したりしやすいアスファルトが使われている。雨水を効率的に流すための形状が工夫され、重量のある自動車のような機械がスムーズに運行できるようにもデザインされている。
適応だけで光合成を発明し、水中から空気中で生きるすべを見つけ、渡り鳥はヒマラヤを越え、クマムシは月面にたどり着いた。
そして人々は日々、ただ捕食してカロリーを摂取するだけじゃつまらないと、小さな固いボールを木の棒で弾き飛ばすという遊びを発明し、それに何万人と集まってなぜか合唱するということをしている。僕もそれの中継を楽しみにしている。
こんなに美しい造形は、おそらく淘汰圧でしかできない。
もし縄文時代に誰かが「よし、いつか何万にもすり鉢状の構造物に詰め込んで合唱しよう」と思っていたなら、僕の考えは間違っているのだけどwww
この適応というものの特性の面白さがあるから、未来がはっきり予測できないんだろうと思う。我々自身が常に、我々自身を覆すアイデアを出してきたのが、人社会の適応の歴史なんだと思います。
サボテンの美しさを目指して作ってしまったら、それはもうきっと美しくはない。
無軌道な中で生成され続けるから面白いのだと思います。
そう思って近所の道路を眺めると、なかなか神秘的ですよ。
よくぞ人類は、こんなすごいものを発明出来たものだと思います。