正しさで行動してもらえないのであれば、何を用いるべきか
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生徒に「頑張れ」と言う前に、頑張り始められる仕組みを作りたい
前回は、生徒たちが抱える問題に対して、正しいツールを提供することで解決しようとし、うまくいかなかった話を書きました。
数学の問題やプリントを無限に生成できるWebサービスを作れば、演習量の不足は解決できるのではないか。
間隔反復の考え方を取り入れ、具体的な復習スケジュールを提示すれば、復習の不足は解決できるのではないか。
そう考えて試してみました。
しかし、結果としてはほとんど継続されませんでした。
この失敗を振り返る中で、私はひとつの当たり前のようで、実際には見落としていたことに気づきました。
それは、人は正しいからという理由だけでは行動しない、ということです。
生徒たちは、勉強した方がいいことを知っています。
復習した方がいいことも、問題を解いた方がいいことも分かっています。
それでも続かない。
では、なぜ続かないのか。
そのことを考えるために、私は一度、生徒ではなく自分自身の行動を観察することにしました。
自分自身の行動変化を振り返る
私は数年前から、習慣的に運動をしています。
ここ1年ほどは、毎日少なくとも1時間ほど、仕事前にジムで筋トレと有酸素運動をしています。
今では、運動すること自体がかなり自然な生活の一部になりました。
ただ、昔から運動が好きだったわけではありません。
むしろ、5年ほど前までの私は、運動が好きではないどころか、運動全般をできれば避けたいとすら思っていました。
理由は単純です。私にとって運動は、成功体験や楽しい記憶と結びついたものではなかったからです。体育の授業で活躍した経験があるわけでもなく、部活で何かを成し遂げた経験があるわけでもない。
運動は、自分にとって「できれば避けたいもの」に近い存在でした。
もちろん、運動が健康に良いことは知っていました。年齢を重ねるにつれて体調が悪くなる日も増え、このまま何もしなければ、いずれ大きな病気をする可能性が高くなることも分かっていました。
しかし、その正論は私の行動を変えませんでした。
「運動した方がいい」
「健康のために必要」
「将来困るかもしれない」
そういった言葉は、時々ぼんやりとした不安を生むことはあっても、実際に生活を変えるほどの力にはなりませんでした。
ここで気づいたのは、私が運動しなかったことと、生徒が勉強を継続できないことは、かなり近い構造を持っているということです。
生徒たちも、勉強した方がいいことは知っています。
復習した方がいいことも分かっています。
将来の選択肢が広がることも、逆に勉強しなければ選択肢が狭まる可能性があることも、ある程度は理解しています。
それでも、日々の行動は変わらない。
なぜなら、遠い将来のメリットや不安だけでは、今日の行動を変えるには弱いからです。
足りなかったのは、正しさではなく「近い報酬」だった
生徒たちに足りなかったのは、知識ではありませんでした。
「勉強した方がいい」という理解はあります。
「復習した方がいい」という理解もあります。
それでも動けないのは、やった直後に得られる報酬が弱いからです。
勉強しても、すぐに成績が上がるわけではありません。
復習しても、すぐに褒められるわけではありません。
問題を解いても、すぐに人生が変わるわけではありません。
一方で、勉強を始めることには明確な負荷があります。
面倒くさい。
疲れる。
分からない問題に向き合わなければならない。
できない自分を確認することになる。
そう考えると、動かない方が自然です。
これは、かつての私が運動しなかった理由とよく似ています。
運動した方がいいことは分かっていました。
でも、運動を始めるのは面倒でした。
疲れるし、楽しい記憶もない。
しかも、健康になるという成果はすぐには見えません。
だから続かなかった。
では、なぜそんな私が運動を続けられるようになったのか。
急に意志が強くなったわけではありません。
健康への危機感が急激に強くなったわけでもありません。
誰かに褒められるようになったわけでもありません。
振り返ってみると、理由はかなりシンプルでした。
入口のハードルが低かったこと。
そして、続けるための小さな報酬があったこと。
この2つです。
入口のハードルが低かった
私が運動を始めるきっかけになったのは、ニンテンドースイッチのリングフィットアドベンチャーでした。
体型を変えようとか、健康になろうとか、そういう強い目的意識があったわけではありません。ただ、ゲームとしてそこそこ楽しかった。だから続けられました。
今考えると、この「そこそこ楽しいから」という軽い理由が重要だったのだと思います。
もし最初から、ジムに入会して、トレーニングメニューを組み、食事管理まで始めようとしていたら、おそらく続かなかったと思います。
しかし、ゲームを起動するだけならハードルが低い。
家の中でできる。
何をすればいいかも画面が教えてくれる。
そして、終わると少し達成感がある。
運動を始めるための摩擦がかなり小さかったのです。
その後、市営ジムに移り、さらに24時間ジムに通うようになりました。
ここでも大きかったのは、生活導線の中に運動できる場所があったことです。
市営ジムは自宅から10分圏内。
今通っている24時間ジムは職場から5分圏内。
「わざわざ行く場所」ではなく、日常の移動の中に自然に組み込める場所でした。
これはかなり重要でした。
どれだけ正しい行動でも、始めるまでの摩擦が大きいと続きません。
逆に、生活の流れの中に自然に組み込まれていると、意志の力に頼らなくても続きやすくなります。
行動は、正しさだけでなく、導線に左右される。これは学習支援を考える上でも大きなヒントになりました。
外部に左右されない小さな報酬があった
もうひとつ大きかったのは、運動した後に得られる報酬があったことです。
それは、誰かに褒められることではありません。
体型が劇的に変わることでもありません。
数値としてすぐに成果が出ることでもありません。
もっと地味なものです。
運動すると、少し頭がすっきりする。
仕事に入りやすくなる。
コードがいつもより読みやすくなる。
生徒への説明が少し的確になる。
そういう、小さいけれど確かな変化がありました。
逆に、運動しない日は、どこか調子が悪い。
明確に体調不良というほどではないけれど、頭が重い。
集中しにくい。
なんとなく一日が鈍くなる。
この差が、意外と大きかったのです。
運動を続けられたのは、将来の健康という遠い報酬だけがあったからではありません。
運動した直後に、仕事や生活の調子が少し良くなるという近い報酬があったからです。
これは、習慣化においてかなり重要な要素だと思っています。
遠い目標だけでは、人はなかなか動けません。
しかし、やった直後に少しだけ良いことがあると、次もやる理由になります。
そして、それを何度も繰り返すうちに、行動は少しずつ習慣になっていきます。
学習支援でも同じことが起きていた
この経験を踏まえて、生徒の学習を改めて見ると、かなり見え方が変わりました。
これまで私は、どちらかといえば「正しい教材」や「正しい復習方法」を提供することに意識が向いていました。
問題をたくさん解けるようにする。
復習のタイミングを提示する。
間隔反復の考え方を取り入れる。
もちろん、それらは間違っていたわけではありません。
むしろ、学習方法としては正しい部分も多かったと思います。
ただ、それだけでは足りませんでした。
なぜなら、生徒がつまずいていたのは、「何をすればいいか分からない」という問題だけではなかったからです。
本当の問題は、そこに入るまでのハードルが高いこと。
続けた直後に得られる報酬が弱いこと。
そして、日常の中に自然に戻ってくる導線がないことでした。
教材があっても、自分から開かなければ使われません。
復習スケジュールがあっても、自分で思い出して実行しなければ続きません。
正しい勉強法があっても、それを始めるまでの摩擦が大きければ、行動には移りません。
これは、私がかつて運動できなかった構造と同じでした。
正しいことを知っている。
でも動けない。
この状態に対して必要なのは、さらに正しい説明を重ねることではありません。
必要なのは、行動が始まるまでの摩擦を減らすことです。
そして、続けたくなる小さな報酬を設計することです。
「頑張れ」ではなく、頑張り始められる形にする
生徒に対して、「復習しよう」「毎日勉強しよう」「計画的に進めよう」と言うのは簡単です。
実際、それは正しいです。
しかし、正しいからといって行動できるなら、そもそも多くの生徒は困っていません。
大事なのは、生徒の意志の弱さを責めることではなく、行動が始まらない構造を見つけることです。
始めるまでが面倒なのか。
何をすればいいか迷うのか。
やっても成果が見えないのか。
褒められる機会がないのか。
途中で止まったときに戻る導線がないのか。
そういった摩擦を一つずつ潰していくことが、学習支援において重要なのではないかと考えるようになりました。
これは、エンジニアとして取り組む余地が大きい領域でもあります。
教材を作るだけではなく、
通知を出すだけでもなく、
ただ記録を取るだけでもない。
生徒が自然に戻ってこられる導線を作る。
少しでも進んだことが見えるようにする。
先生や保護者が適切なタイミングで気づけるようにする。
やったことが、本人にとっても周囲にとっても見える形にする。
そうすることで、学習を「本人の意志だけに依存するもの」から、少しずつ「続けやすい環境の中で進むもの」に変えられるのではないか。
現在は、その考え方をもとに学習支援の仕組みを作っています。
前回の失敗を通して、私は「正しいものを提供すれば使われる」という考え方から離れました。
今考えているのは、正しい教材をどう作るかだけではありません。
どうすれば、生徒がそこに自然に入ってこられるか。
どうすれば、続けた直後に小さな手応えを感じられるか。
どうすれば、途中で止まってもまた戻ってこられるか。
そのような行動の設計も含めて、学習支援のプロダクトを考えるようになりました。
次回は、この考え方をもとに、現在どのような仕組みを作ろうとしているのかについて書いていきたいと思います。