自分が納得するために
新卒でSIerに入ったのは、ITが自分から一番遠い存在で、世の中がなぜこれほどITを必要としているのか、知りたかったからです。入ったとき、プログラムは本当に書けませんでした。
次にコンサルティングファームに移ったのは、SIerから見て、コンサルが一番見通せない仕事だったからです。システムを知っているのはSIerで、業務を知っているのはお客さま。では、コンサルは何を知っているのか。なぜあれほど自信を持って話せるのか。外から見ているかぎり、どれだけ考えても腑に落ちませんでした。
飛び込んでみると、答えはどちらも中にありました。コンサルが知っていたのは、業務とシステム、お客さまそのもの、そしてプロジェクトを進めるということでした。ITが必要とされている理由は、自分でつくる側に立ってから分かりました。
遠いものほど、外からではなく中に入って確かめたかった。そのほうが自分を高められると思っていたからでもあります。振り返ると、これがずっと自分のやり方でした。
20年、つくる側にいた
今まで仕事としてやってきたのは、システムを構想から実現まで持っていくことです。小売、金融、製造、建設、官公庁、商社。中~大規模のプロジェクトを、最初から最後まで引き受けてきました。システムだけでなく、お客さまの新規事業そのものを、サービス設計から立ち上げたこともあります。2019年からは自分の名前でプロジェクトを受注し、2022年からはディレクターとして億円単位の受注責任も担ってきました。
ITが必要とされている理由は、これでした。ITを使って仕組みをつくれば人は楽になる。楽になった分だけ、人はもっと考えることに時間を使えるようになる。ずっとそう思っていました。
違和感は、少しずつ積み重なっていた
その思いが揺らぎ始めたのは、ある日突然ではありません。
インターネットが広まったころは、まだ道具の延長線上でした。調べ物が速くなる、連絡が届く。思っていたとおりです。変わったのはスマートフォンとSNSが入ってからでした。いつでも、どこでも、誰かとつながっている。見えやすい成果のほうが価値があることになっていく。自分がどうしたいかより先に、どう見えるかが来る。
仕事の現場だけの話ではありませんでした。子どもの同級生を見ていても、自分の手元を見ていても、同じことが起きている。どう見えるかを気にしない時間のほうが、珍しくなっていました。
そして生成AI
システムは人を楽にするものだと思ってやってきたのに、人をダメにするものに見えました。生成AIに、危うさを感じるようになりました。
だから、ITやコンサルと同じアプローチで、中身を知ろうとしました。分かったのは、なぜこんなに速く答えが出るのかでした。同時に、その速さが何を省いているのかも見えました。行間を読むこと。迷ったまま一晩置くこと。人に聞きに行くこと。どれもなくても仕事は回ります。回るからこそ、先に消える。
つくる側にいる自分が、それに加担している気がしています。
人が人であるために、何が要るのか
ITへの違和感の積み重なりの途中に、2021年がありました。自分が責任を持っていたプロジェクトで、4年間、お客さまと一緒にメンバー一人ひとりの変化を見てきました。専門性があっても続かない人がいて、なくても伸びる人がいる。何が違うのか。誰にも頼まれず、隙間時間で1年近く調べました。結局、明確な答えは出ませんでした。代わりに「人間とは何か」という問いだけが残りました。生成AIは、その問いを別の角度から照らし直したことになります。
そこからは、仕事をしながら、人のほうも並行してやるようになりました。仕事で接する若手の多くが、成長しなければと焦っていました。何ができるようになりたいのかは、本人もよく分かっていませんでした。少しでも地に足を着けて、自分や仕事に向き合うきっかけをつくりたくて、「人生について考える」をテーマにした交流会を立ち上げ、延べ45名と話しました。交流会をやっていく中で、その焦りをつくっているのは、自分がつくってきた側の仕組みでもあると気付きました。
生成AIの中身を知ったあとに残ったのは、人が人であるために何が要るのか、という問いでした。最初に試したのは、人そのものです。本を読んでも答えは出ないと思ったので、人が人に向き合うことだけで成り立っている仕事を、自分でやってみました。産業カウンセラーの講座に半年通い、他人の話を聴き、自分が相談者の側に座る体験も繰り返しました。そこで分かったのは、聴いてもらえる安心感があると、ひとりでは向き合えなかった怖さに向き合える、ということでした。生成AIがどれだけ進んでも、根源的なところで人は人を求める。
臨床美術は、もう一つの候補でした。人が人であるために、つくることが要るのではないか。それを確かめたくて、自分で手を動かして絵を描き、作品をつくります。うまくつくるためではなく、時間をかけて味わうためです。無心になれる時間が、こんなに希少になっていたのかと思いました。
やってみて分かったのは、ひとりで完結する話ではないことでした。描いたものを見せ合うと、言葉では出てこなかったその人のことが分かる。逆に、自分では気付いていなかったことを人から言われる。話して分かり合うのとは、別の道もありました。
こちらはまだ、確かめている途中です。
つくりたいものが変わった
途中のものもありますが、自分が何に引っかかっていたのかは、はっきりしました。人が分からないまま抱えている時間が、削られていくことです。
行間を読むのも、迷ったまま一晩置くのも、人に聴いてもらうのも、手を動かして何かをつくるのも、その時間の中でしか起きません。
20年、仕組みをつくって人を楽にしようとしてきました。今度は、楽になった先に何を残すかをつくりたい。