社会に出て最初の数年は、お金を貸す側にいた。金融機関の法人営業として、中小企業に融資の話をする仕事だった。決算書を読み、必要な資料を揃えてもらい、社内の審査に上げる。足りない書類があれば追加でお願いする。それが毎日だった。
そのあと事業会社の経営企画に移り、今度は資料を出す側に回った。立場が変わって最初に理解したのは、資料が足りないことと、資料を作れないことは別の問題だということだった。
数字が出てこない会社は、たいてい怠けているわけではない。月次が締まるのが翌々月、部門別の集計は取っていない、来期の見通しは社長の頭の中にしかない。この状態で部門別の推移をくださいと言われても、出しようがない。出さないのではなく、出る仕組みが無い。ここは決定的に違う。
資料より先に、数字が出る状態をつくる
いまの仕事では、いきなり資料を作りにいかない。数字が出る状態を先につくる。月次を早く締められるようにする。管理会計の切り口を決める。予実を見る場を毎月確保する。地味だし、その月のうちに成果は見えない。
この工程は飛ばしたくなる。見栄えのいい一枚を先に作れば、その場はしのげるからだ。ただ、しのいだ翌月にまた同じところで止まる。止まった分だけ判断が遅れて、打てたはずの手が減っていく。だからここは飛ばさない。飛ばしてほしいと言われても飛ばさない。
順番を入れ替えると、会話も変わる。数字が出るようになると、そもそも何を議論すべきかが先に決まる。どの事業が伸びているのか、どこで利益が消えているのか、来月いくら残るのか。ここが見えないまま集まっても、会議は感想の交換で終わる。感想は方針にならない。
厳しく聞こえるかもしれないが、意図は逆だと思っている。現在地が見えないまま決断を迫られるほうが、経営者にとってよほどきつい。数字が出る状態というのは、追い詰めるための道具ではなく、選択肢を手元に戻すための道具だ。悪い数字を見たあとのほうが、打ち手は増える。
両側の椅子に座ったことがある、というだけ
自分に特別な才能があるとは思っていない。審査する側の椅子と、審査される側の椅子に、どちらも座ったことがある。それだけだ。ただ片側しか知らないよりは、間に立ったときに翻訳ができる。相手が何を出せないのかが分かるし、審査する側が何を見ているのかも分かる。取り柄と呼べるものがあるとすれば、たぶんそのくらいだと思っている。
そんなわけで、いまは完全に借りる側の味方をしている。昔の自分が聞いたら、少し驚くかもしれない。