会議の終わりに、こう言われることがある。
「わかりました。来月は頑張ります」
その言葉自体を否定するつもりはない。前を向いている人の言葉だし、言われて嫌な気持ちになるものでもない。ただ、自分はそれを議事録の打ち手の欄には書かない。書けない、というほうが正確だと思う。
翌月に検証できないものは、打ち手として数えない
打ち手が成立する条件は、単純だと思っている。誰が、いつまでに、何を、どこまでやるか。この四つが埋まっていれば、翌月の会議で、できたかできなかったかを判定できる。
「頑張ります」には、この四つが一つも入っていない。だから翌月、進んでいなくても誰も困らない。約束の形になっていないので、破りようもない。そして半年後、同じ課題が同じ言葉のまま議題に残る。
厳しい言い方になるが、何も決まらなかった会議は、開かなかった会議とあまり変わらない。時間だけは確実に減っている。そのぶん、決まらないまま終わらせないことに、こだわっている。
ただ、その言葉が出るのには理由がある
では意識が低いのかというと、そうではない場合のほうが多い。
「頑張ります」が出てくるのは、たいてい、その場で決めるための材料が揃っていないときだ。数字がまだ出ていない。他の部署の返事を待っている。社長の判断がこれからになる。決められないから、決めた形だけが残る。言った側もそれは分かっていて、少し気まずそうにしている。
だから自分は、その言葉が出たときに詰めることはしない。先に引き算をする。何が揃えば決められますか、と聞く。
そこで出てきたものが、たいていは本当の打ち手だ。「頑張る」の前に、「今週の金曜までに前月の数字を出す」が要る。順番として、そちらが先にくる。
決めるのは経営者だと思っている。ただ、決められる状態まで持っていくのは、隣に座っている側の仕事だと考えている。材料を出さずに判断だけ求めるのは、こちらの手抜きになる。
自分に向けても、同じことが言える
もっとも、人のことは言えない。
「今週は頑張る」と自分に向けて言った週ほど、金曜の夜に何も終わっていない。言った本人が、何を終わらせるつもりだったのか思い出せないからだ。あれは決意というより、決めるのを先送りにするための言い換えだったのだと思う。
なので、自分の予定にも日付と終わりの形を入れるようにしている。おかげで予定表の見た目は、前より地味になりました。
おわりに
やる気は前提だと思っている。前提は、打ち手の欄には書かない。
書くのは、明日から手が動くことだけです。