理解するだけでは、世界は変わらない
私は、理解することが好きなのだと思っていた。
地質、人間、組織、社会。
なんでも理解すれば、理解できれば、満足できると思っていた。
しかし違った。
理解は目的ではなかった。
理解した理論が現実でも通用するのか。
現実に適応させるには何を変える必要があるのか。
そこに、本当の面白さがあった。
それこそが、理論先行しがちな私に必要なことでもあった。
教科書の知識だけで露頭の前で記載できるか。
知識と経験を紐づけて考える。
教科書をベースに、なぜその解釈につながるか。
机上で、露頭で、帰路の車内で、研究室もしくは社内の自席で写真整理しながら、野帳を清書しながら、家でシャワーを浴びながら、布団に入りながら考える。
その自問自答によって、否定しようがない最も可能性の高い仮説が導き出される。
それが、理解した理論が現実で通用した、適用させられた瞬間である。
その地質学的検証が好きだった。
そしてある時気づいた。
私は地質だけを検証したかったわけではなかった。
だから、私はSNSも、DXも、労働組合も、全部同じように見ている。
良い理論を、現場で試し、修正し、再び実装する。
私はアカデミックな研究者ではなく、理論を社会実装する技術者になりたい。
地質学の思考回路、思考構造をそのまま社会に適用したらどうなるか。
ゆえに今夜も理論を現実で確かめながら、仮説、検証、修正、再仮説・・・のサイクルを楽しんでいる。