私は、決して順風満帆なキャリアを歩んできた人間ではありません。
いきなりこういうと、読むのをやめようかなと思われるかもしれませんが、、、汗
本田哲也と申します。
私のことを知っていただきたく、ストーリーを一丁前に書いてみました笑
長いので、もし読むのが面倒だなと思ったら、AIで要約してください!
本質は考えや思いを伝えたいということです。
これまでのこと
大学までは陸上競技に打ち込み、
社会人になってからは食品、広告、SNS、製造業と、
いくつもの仕事を経験してきました。
自分でも驚くほど成果を出せた仕事があります。
一方で、仕事を抱え込みすぎて苦しくなったことも、
自分に合う仕事を見失ったこともあります。転職してから、
「思っていた仕事とは違った」と気づいた経験もしました。
35歳になった今、振り返ってみると、
そんな成功も失敗も、遠回りも、一本の線でつながっているように感じます。
業界も、仕事も、その時々で違いました。
それでも振り返ってみると、自分が夢中になってきたことには、
どこか共通するものがありました。
それは、
「まだ見ぬ可能性を信じて、行動しながら、その可能性を見つける手伝いをすること」
人にも、商品にも、会社にも、まだ見えていない可能性がある。
最初から答えが分かっているわけではないからこそ、まず動いてみる。相手の話を聞き、考え、うまくいかなければやり方を変える。
そうやって、まだ見えていない可能性を一緒に見つけていく。
振り返れば、そんなときに私は一番、夢中になってきたように思います。
原点は、駅伝でした
学生時代は、長距離選手として陸上競技に打ち込みました。
高校から本格的に長距離を始めました。
元々それまでは根っからの野球小僧でした。
転機となったのは、毎年市で行われる駅伝大会でした。
その時は部活の垣根を越え、各部の精鋭が集まって練習をします。
そこでなぜか自分もよばれて、いつも練習ではついていけずに、悩んでました。
しかし、可能性を信じてひたむきに練習することで、短い距離では勝てなかったのが
定期的に行われる部内のタイムトライアルでは、長い距離は3年生を中心に組まれており、なぜか1年生の私も1人試しということで、入れてもらい、ドキドキでした。
そこで1番になれたのです。
そこから野球部も掛け持ちで続け、市の大会で3連覇でした。
日本文理大学にはスポーツ推薦で進学。
全日本大学駅伝や出雲駅伝を目指すチームの中で、4年間競技を続けました。
大学ではAチームで練習し、選抜合宿にも選ばれていました。
ただ、順調だったわけではありません。
調子が上がってきたところで怪我をする。
復帰して、ようやく走れるようになったと思ったら、また離脱する。
何度も、その繰り返しでした。
出雲駅伝や全日本大学駅伝では登録メンバーに入ることができました。しかし、最終的に全国の舞台を自分の足で走ることはできませんでした。
当時の自分を表すなら、私は「1.5軍」の選手だったと思います。
Aチームにはいる。
全国大会の登録メンバーにも入る。
けれど、一番走りたかった舞台には立てない。
今も大会記録には、私の名前が残っています。
名前はある。でも、襷をかけて走った区間はない。
それが、当時の自分をよく表しているように思います。
【当時の記録】
大学まで競技を続けたことには、「やり切った」という気持ちもありました。
ただ、心の底では、何かが燃え切っていなかった。
「もう一度、自分がどこまでできるのか試してみたい」
その思いが、心のどこかに残っていました。
長距離走は、すぐに結果が出る競技ではありません。
毎日走ったからといって、翌日突然速くなるわけではない。苦しい練習を積み重ねても、結果につながらないこともあります。
それでも、昨日より少しでも前へ進むために走る。
そして駅伝では、自分一人が速ければいいわけでもありません。
仲間から襷を受け取り、次の人へつなぐ。
自分に与えられた役割を果たすことが、チームの結果につながります。
全国の舞台を走るという目標には届きませんでした。
それでも、あの4年間が無駄だったとは思っていません。
すぐに結果が出なくても続けること。
うまくいかなければ、もう一度やってみること。
自分だけではなく、チームのために役割を果たすこと。
当時はそこまで深く考えていませんでしたが、その姿勢は、社会人になってからもずっと私の中に残っていました。
そして、学生時代に燃え切れなかった思いが、
就職活動中にある会社と出会ったことで、もう一度動き始めます。
「社会人では、レギュラーになりたい」
その会社が、八天堂でした。
会社説明会で社長の話を聞いたときのことを、今でも覚えています。
語られたのは、会社の良いところばかりではありませんでした。
これまで、どのような苦労があったのか。
八天堂を、これからどのような会社にしていきたいのか。
何を大切にし、どこを目指しているのか。
その言葉には、きれいな会社説明では終わらない、本物の熱がありました。
話を聞くうちに、自分の中に残っていたものが、再び燃え始める感覚がありました。
「この会社で、もう一度、本気で何かに挑戦したい」
そして、もう一つ。
「陸上では全国の舞台を走れなかった。今度は社会人というステージで、レギュラーになりたい」
そう思い、八天堂への入社を決めました。
入社してからは、とにかくがむしゃらでした。
学生時代に燃やし切れなかったものまで、仕事にぶつけるように働いていたのだと思います。
催事販売から始まり、新規開拓、海外事業、新ブランド、卸事業。
本当にさまざまな経験をさせてもらいました。
中でも大きな転機になったのが、八天堂の第二ブランドをつくるプロジェクトへの参画です。
まだ何もないところから、商品や売り方を考え、新しいブランドを立ち上げていく。この経験は、その後の私の仕事観にも大きな影響を与えました。
第二ブランドについては、それだけで一つの記事になるため、また別の機会に詳しく書きたいと思います。
そしてもう一つ、今の私の営業観につながっているのが、新規事業として始まった卸事業です。
販路がない。正解もない。そこから始まった卸事業
卸事業は、社内でも新しい試みでした。
最初から取引先が用意されていたわけではありません。販路も、営業の進め方も、ほとんど何もない状態からのスタートです。
私は東日本エリアを一人で担当していました。
どこで売ればいいのか。
誰に提案すればいいのか。
どう説明すれば、商品の魅力が伝わるのか。
そこから自分で考えなければならない仕事でした。
当然、最初からうまくいったわけではありません。
何度も断られました。
今でも覚えている商談があります。
ある方から、こんなことを聞かれました。
「御社、どこの問屋さん使ってる?」
当時の私は、「問屋」という言葉すらよく分かっていませんでした。
だから正直に、
「いえ、どことも取引がないです。申し訳ないのですが、問屋さんとは、どこにお願いすればいいのでしょうか?」
と聞きました。
今思えば、営業としては恥ずかしい質問だったかもしれません。
でも、その方がとても親切な方でした。
スーパーに商品が導入されるまでの流れや、問屋さんの役割、スーパー側が何を考えて商品を仕入れているのかまで、丁寧に教えてくださいました。
最後には、
「ここに電話してみたらいいよ」
と、会社名と担当者の方のお名前まで教えていただきました。
そこからでした。
教えていただいた先へ電話をする。
商談をする。
反応を見て、「なぜダメだったんだろう」と考える。
次は伝え方を変えてみる。
また動く。
分からないことがあれば、素直に人に聞く。
そんなことを繰り返していくうちに、少しずつ販路が広がっていきました。
大手スーパー様から声をかけていただいたり、提案会へ呼んでいただいたり、取引先から別の方をご紹介いただいたり。
最初はこちらからお願いしていた営業が、少しずつ相手から声をかけていただける営業へと変わっていきました。
そして、100店舗以上を展開されているスーパー様からもオファーをいただきました。
最初は10店舗からのスタートでした。
そこで結果を出すことで、少しずつ導入店舗が広がっていきました。
この経験から学んだことが、今でも私の仕事の基本になっています。
仮説を立てたら、まず動いてみること。
分からないことを分からないと言える、素直さを持つこと。
自分たちが売りたいものではなく、相手目線で考えること。
そして、もう一つ大きな学びがありました。
商品を置いていただくことができても、思うように売れないことがあったのです。
最初の頃は「導入してもらうこと」が営業のゴールだと思っていました。
でも、それでは本当の意味で相手の役には立てない。
そう考えるようになり、店舗へ足を運ぶようになりました。
店長さんや売場の方から話を聞く。
なぜ売れないのだろう。
どこに置けば手に取ってもらえるのだろう。
このお店のお客様には、どんな伝え方が響くのだろう。
現場を見て、話を聞き、売場や提案を変える。
結果を見て、また次の方法を考える。
それを繰り返しました。
結果として、関東の主要な駅ナカ市場の約80%への導入や、
卸事業を年間約1億2,000万円規模まで拡大する経験につながりました。
ただ、今振り返って最も大きかったのは、数字そのものではありません。
良い商品だからといって、自然に売れるわけではない。
その価値が相手に伝わり、相手にとってのメリットになって初めて、選んでもらえる。
それを、何も分からないところから自分で動き、人に教えてもらい、失敗を繰り返したからこそ、身をもって知ることができました。
これが、今も変わらない私の営業の原点です。
夢中になった。その分、抱え込みすぎた
ただ、事業が大きくなるにつれて、一人で抱えられる範囲を少しずつ超えていきました。
今振り返れば、そこで周囲にもっと助けを求めたり、仕事の進め方そのものを変えたりする必要があったのだと思います。
当時は、1ヶ月の半分を東京、もう半分を広島で過ごすような生活でした。
期末が近づき、大きな取引の話も進んでいた時期には、3ヶ月近く東京を中心に生活していたこともあります。
気がつけば、休みの日も仕事のことを考えていました。
休んでいるつもりでも、頭の中では次の商談や売上のことを考えている。
それでも、自分では止まろうとは思いませんでした。
仕事が嫌だったわけではないからです。
むしろ、もっとやりたかった。
自分が動けば、事業が前に進む。
提案したものが売場に並ぶ。
少しずつ取引先が増えていく。
それが嬉しくて、走り続けていました。
ただ業務量は増えており、覚えてるだけでも
- 取引先との商談や導入条件の調整
- 催事の売上管理や販売個数の調整、
- 月間目標の管理、
- 販売会社との打ち合わせ、
- 受発注の流れづくり、
- 部下の催事報告へのフィードバック、
- 社内調整
などなど
そんな時期に、私生活でも大きな出来事が重なりました。
3年間付き合っていた彼女との結婚。
そして、大切な祖父との別れ。
仕事も私生活も、大きく動いていた時期でした。
ある頃から、自分でも説明できない変化が出始めました。
体は動く。
仕事をしたいという気持ちもある。
でも、外に出ることが怖い。
頭では「行かなければ」と分かっているのに、心がついてこない。
それまで経験したことのない、不思議な感覚でした。
それでも、
「まだやれる」
「ここで止まるわけにはいかない」
そう思い、仕事を続けようとしました。
結果、医師から仕事を止められました。
そして、八天堂を退職することになりました。
悔しかったです。
当時は、大手チェーン様やコンビニ様など、これから取引につながる可能性のある企業にも、いくつもの種をまいている途中でした。
自分が退職した後、その一部が実際に形になっていくのを見ました。
もちろん、嬉しかったです。
「自分がやってきたことは、間違っていなかったんだ」
そう思えた部分もありました。
でも、当時の自分にとっては、嬉しさよりも悔しさの方が大きかったと思います。
もっとやりたかった。
もっと大きな仕事にも挑戦したかった。
この会社で、この先も成長していきたかった。
学生時代、全国の舞台を走ることができなかった。
だから、
「社会人というステージでは、レギュラーになりたい」
そう思って走り始めました。
そして実際に、多くの仕事を任せてもらえるようになった。
でも今度は、
走ることに夢中になりすぎて、自分のペースを見失ってしまいました。
「もっと早く声を上げていれば」
「もっと早く自分の変化に気づいていれば」
「もっと周りを頼っていれば」
その後、何度も考えました。
この経験から学んだことがあります。
それは、
「人に頼ることも、仕事を前に進めるために必要な力である」
ということです。
当時の卸事業では、東日本エリアを実質一人で担当していました。
だから「自分しかいない」という状況だったこと自体は事実です。
でも、
「自分しかいない」と「全部自分一人で抱えなければならない」は、同じではなかった。
今はそう思っています。
分からないことがあれば聞く。
難しい状況になったら、早めに相談する。
自分だけで解決しようとせず、周囲の知恵や力を借りる。
それは責任を放棄することではありません。
むしろ、仕事を最後までやり遂げるために必要なことでした。
今でも、仕事に夢中になると「自分で何とかしたい」と考えるところはあります。
だからこそ、今は意識して抱え込まないようにしています。
困ったときや判断に迷ったときは、以前より早い段階で周囲に相談する。
自分一人で答えを出そうとせず、必要であれば人の意見を聞き、一緒に考える。
自分で考えて動くことと、人に頼ること。
今は、その両方を大切にしています。
八天堂を退職した後のキャリアは、決してきれいな一本道ではありませんでした。
療養後、したいことをしようと
広告代理店に入社し、心機一転して、結果出すぞ!とやっていました。
飛び込みも臆することなく、どんどん飛び込み営業をして、
少しずつ案件に繋げていきました。
しかし、残業も増えてしまい、これだとまた体を壊してしまうと
仕事から離れました。
段階を間違えてました。
本来、復帰後はスモールスタートするところが、正社員で週5、8時間勤務
そして残業。医師からは大丈夫と言われても、根本のステップを間違えていました。
そこからもう一度復帰するために、少しずつ体を戻すことに重きをおき、
派遣社員として、
介護、工場、飲食など、少しずつ働く量や時間を増やしていきました。
当時の私は、
「自分は何をしているんだろう」
と思うこともありました。
社会人としてレギュラーになりたいと思って走り始めたはずなのに、
気がつけば、自分がどこを走っているのかさえ分からなくなっていました。
それでも、自分の可能性を信じていました。
さまざまな仕事を経験し、いろいろな立場の人と一緒に働いたからこそ、
会社名や肩書だけで人を見なくなりました。
現場で働く人には、現場で働く人の事情がある。
経営者には、経営者にしか見えない悩みがある。
営業には、達成しなければならない数字がある。
そして、お客様の先には、さらに別のお客様がいる。
営業として相手の話を聞くときも、以前より、その人が発した言葉の奥を考えるようになりました。
「この人は、本当は何に困っているのだろう」
「この人や会社には、まだ本人たちも気づいていない可能性があるのではないか」
そう考えるようになったのは、この遠回りがあったからだと思っています。
遠回りでなく、必要な時間だったと考えています。
もう一度、営業に夢中になれた場所
2024年、SNSやショート動画を使ったプロモーション支援を行うSTART PRODUCTIONに携わりました。
きっかけは、以前勤めていた広告代理店時代の先輩から声をかけてもらったことでした。
その先輩とは、退職してからも連絡を取り続けていました。
自分がうまくいかない時期にも話を聞いてもらい、長いときには1時間、2時間と電話で話したこともあります。
人のために動くことを大切にし、目の前の相手が抱えている課題を何とかしたいと本気で考える人でした。
仕事に対する姿勢にも、人としても、尊敬していました。
私にとっては、大げさではなく、苦しい時期を支えてくれた恩人のような存在です。
そんな先輩から、
「独立しようと思っている」
と聞きました。
そしてしばらくして、
「本田さん、一緒にやらないか」
と声をかけてもらいました。
「営業をやってほしい。本田さんには突破力がある。その力が必要だ」
そう言ってもらえたことが、純粋に嬉しかった。
当時は家族もいました。
決して簡単な挑戦ではありません。
それでも、この人の力になりたい。
そして、もう一度自分自身も挑戦してみたい。
家族にも相談し、START PRODUCTIONに参画することを決めました。
ホームページも、知名度も、営業の型もない
当時は、まだ事業の立ち上げ期でした。
ホームページもない。
広告もほとんど出していない。
会社として知られているわけでもない。
営業の仕組みも、顧客基盤もありませんでした。
あるのは、代表の思いと、地域のスタートアップとして取り上げてもらった記事くらい。
そんな状態から、
「まずは12月までに1件、契約を取る」
というところから営業が始まりました。
私は、リストアップ、電話、訪問、商談、クロージングまで、新規開拓を一気通貫で担当しました。
扱っていたのは、YouTubeやInstagramなどを活用したSNS・動画の支援です。
ただ、私たちがやりたかったのは、単にSNSの運用を代行することではありませんでした。
自分たちが暮らす備後地域の企業が、もっと自分たちの魅力を発信できるようになること。
採用や認知、技術や商品の発信などにSNSを活用し、地域全体がもっと活発になっていくこと。
そんな未来をつくりたいという思いがありました。
ただ、思いがあっても、話を聞いてもらえなければ何も始まりません。
最初にぶつかった壁が、テレアポでした。
知らない会社から突然電話がかかってくる。
ホームページを検索しても、ほとんど情報が出てこない。
相手からすれば、警戒して当然です。
何度電話してもつながらない。
話の途中で切られる。
アポイントがまったく取れない日もありました。
そこで私は、電話の仕方そのものを見直しました。
「なぜ切られたんだろう」
「どの言葉で営業電話だと警戒されたんだろう」
「どう言えば、まず話だけでも聞いてもらえるだろう」
毎回の反応を振り返り、話し方を少しずつ変えていきました。
そして、営業電話をするときに自分の中で一つ決めたことがあります。
それが、
「リスペクトと感謝を忘れないこと」
でした。
営業電話は、相手にとって歓迎されるものではないかもしれません。
それでも、電話を取ってくださった数十秒は、その方の仕事の時間をいただいている。
だからこそ、一方的に売り込むのではなく、
「なぜ電話したのか」
「自分たちは何をしたいのか」
「なぜこの会社に力になりたいと思ったのか」
を短い時間でもきちんと伝えることを意識しました。
受付の方にも、ただ、
「SNSの担当者をお願いします」
とは言わない。
「この地域でこういうことをやっていて、御社のこういう部分を見て、ぜひ一度お話を聞いてみたいと思いました」
と、理由まで伝える。
そうすると、少しずつ担当者につないでいただける確率が変わっていきました。
約900社。63商談。6件の成約
時間も資金も限られていました。
だから、むやみに電話をするのではなく、
「どんな会社なら自分たちの話を聞いてもらえるのか」
を考えました。
Instagramをすでに運用している企業。
広告を出している企業。
採用に力を入れている企業。
地域の記事やビジネス誌で取り上げられている企業。
ときには学校や行政にもアプローチしました。
相手について調べ、
「この技術はもっと発信した方がいいのではないか」
「この賞を取られていることを、もっと多くの人に知ってもらえるのではないか」
と、自分なりの仮説を持って話をする。
結果として、約900社のリストを作り、そこから63件の商談につながりました。
そして、最終的に6件の成約につながりました。
もちろん、簡単ではありませんでした。
商談を忘れられ、すっぽかされたこともあります。
担当者とは話が盛り上がっていたのに、途中から社長が入ってきて、
「そんなの、いらん」
と一蹴されたこともありました。
そのときは、かなり悔しかったです。
担当者の方とは必要性について話ができていた。
でも、経営者から見れば、導入する理由が伝わっていなかった。
そこで初めて、
担当者が感じている課題と、経営者が判断するときに見るものは違う
ということを強く意識するようになりました。
担当者には、
「今、何に困っていますか」
と聞く。
その一方で、
「最終的に判断されるのは誰ですか」
「その方は何を重視されていますか」
「会社として、これをやる意味はどこにありますか」
というところまで考える。
一度の商談で決めてもらうことだけを考えるのではなく、担当者と一緒に、その先の社内決裁まで考えるようになりました。
「売る」より先に、相手の頭の中を整理する
商談を重ねる中で、もう一つ、自分の営業が大きく変わったことがあります。
それまでは、自分たちのサービスをどう説明すれば伝わるのかを考えていました。
でも、次第にそれだけでは足りないと思うようになりました。
企業がSNSをやっていても、
「なぜやっているのですか?」
と聞くと、意外と答えが返ってこないことがあります。
上司に言われたから。
他社もやっているから。
とりあえず始めたから。
そんなケースも少なくありませんでした。
また、
「採用に困っている」
「もっと会社を知ってもらいたい」
とは言えても、その先の、
「では、誰に何を伝えたいのか」
「どうなったら成功なのか」
までは整理されていないこともありました。
そこで私は、サービスを説明する前に、とにかく話を聞くようになりました。
「そもそも、SNSを使って何を実現したいのでしょうか」
「誰に見てもらいたいのでしょうか」
「採用なのか、認知なのか、商品の販売なのか」
「それが実現したら、会社としてどうなれたら嬉しいですか」
話を聞いていると、
「こうしたいんだけど、うまく言えないんだよな」
という、まだ言葉になっていない思いが出てきます。
その言葉を一つずつ拾って、
「ということは、本当にやりたいのはこういうことではないですか?」
と一緒に整理していく。
そこから初めて、
「だったら、こういう発信をしてみませんか」
と提案する。
この順番を大切にするようになりました。
八天堂とは違う、新しい営業の力
振り返ると、八天堂で身につけた営業力と、START PRODUCTIONで身につけた営業力は少し違います。
八天堂の卸事業では、何も分からないところから自分で動き、人に聞き、仮説を立て、販路をつくっていきました。
「まず動いてみる力」
を身につけた場所だったと思います。
一方、START PRODUCTIONで扱っていたのは、形のないサービスでした。
商品を見せれば良さが伝わるわけではありません。
さらに、お客様自身が、
「何に困っているのか」
「本当は何を実現したいのか」
を、まだ言葉にできていないこともありました。
そこで身についたのが、
相手自身もまだ気づいていない課題や思いを引き出し、言葉にして、一緒に答えをつくっていく力
でした。
これは、八天堂時代にはまだ十分に持てていなかった、自分にとって新しい営業の力です。
八天堂で身につけた「まず動く力」に、
START PRODUCTIONで身につけた「相手の中にある答えを一緒に見つける力」が加わりました。
だから、何でも契約につなげようとはしませんでした。
話を聞いて、
「本人もやりたいと思っていない」
「会社としても必要性を感じていない」
のであれば、無理に売る必要はないと思っていました。
一方で、
「やりたい。でも時間がない」
「必要だと思っている。でも、どうすればいいか分からない」
という会社には、本気で向き合う。
私たちがずっと代行するのではなく、できることなら最後は自社で運用できるようになってほしい。
だから、
「私たちが持っているノウハウは、全部盗んでください」
と伝えていました。
契約を取ることがゴールではない。
その会社が、自分たちの力で前に進める状態をつくる。
START PRODUCTIONでの経験を通して、営業という仕事に対する考え方も変わっていきました。
営業は、こちらが持っているものを上手に説明して売る仕事ではない。
相手がまだ言葉にできていない課題や可能性を一緒に見つけ、その先へ進むための手伝いをする仕事なのだ。
そう考えるようになりました。
「やっぱり、自分は営業が好きなんだ」
最終的に、目標としていた売上や法人化には届きませんでした。
家族もいる中で、いつまでも挑戦を続けることはできません。
自分の中でも期限を決め、
「ここまでに法人化の道筋が見えなければ、次へ進む」
と代表とも話をしていました。
そして、その期限を迎え、私は別の道へ進むことを決めました。
もちろん、悔しさはあります。
約900社にアプローチして、成約は6件。
うまくいかなかったことの方が、圧倒的に多いです。
もっとできたのではないか。
違うやり方があったのではないか。
今でもそう思う部分はあります。
それでも、この挑戦を後悔したことはありません。
何度断られても、相手を調べ、仮説を立て、また動いてみる。
相手の話を聞き、その人自身もまだ言葉にできていないものを一緒に整理する。
そして、自分たちの商品を売ることより、
「この会社が良くなるためには、本当に何が必要なのだろう」
と考える。
6件の契約につながったことも、もちろん嬉しかったです。
でも、それ以上に自分にとって大きかったのは、
「やっぱり、自分は営業が好きなんだ」
と、もう一度思えたことでした。
八天堂を退職してから、いろいろな仕事を経験しました。
自分が何をしたいのか分からなくなった時期もありました。
そんな自分に、START PRODUCTIONでの経験がもう一度教えてくれました。
人の話を聞く。
まだ見えていない課題を一緒に探す。
どうすれば良くなるのかを考える。
そして、自分で動いて形にしていく。
この仕事を、もっとやりたい。
もっと上手くなりたい。
もっといろいろな会社や人の力になれる営業になりたい。
START PRODUCTIONでの経験を経て、
「営業として、もっと高みを目指したい」
という思いは、自分の中ではっきりとした確信に変わりました。
そして今でも、代表には感謝しています。
いつかまた会ったとき、
「あのとき一緒にやった経験があったから、今こうしてやれています」
と胸を張って伝えたい。
START PRODUCTIONは、営業の楽しさを思い出させてくれただけではありません。
自分がこれから、どんな営業になりたいのかを見つけさせてくれた場所でした。
製造業への転職で、仕事選びの間違いに気づいた
その後、私は金属加工会社の営業職に転職しました。
図面、見積、材料、加工方法、納期、品質。
それまで知らなかった製造業の世界に入り、多くのことを学びました。
一方で、自分の仕事選びについて大きな反省も残りました。
入社前に、実際の仕事内容を十分に理解できていなかったことです。
働いてみると、私がこれまで力を発揮してきた「お客様と直接話し、課題を聞き、提案する」場面は、想像していたよりも限られていました。
結果として、短期間で退職する決断をしました。
決して格好のいい経験ではありません。
だからこそ、なかったことにはしたくありませんでした。
自分は、何ができるのか。
それだけではなく、
「どのような環境なら、自分の力を生かせるのか」
そこまで考えて仕事を選ばなければ、同じことを繰り返してしまう。
この失敗を通して、自分が進みたい方向が、かえってはっきりと見えるようになりました。
35歳になって、ようやく見えた自分の軸
学生時代は、速くなりたくて走っていました。
20代は、結果を出したくて働いていました。
そして35歳になった今は、
「自分の仕事が、誰の役に立ったのかを実感できる仕事がしたい」
と思っています。
私は、完璧な人間ではありません。
考えすぎることがあります。
理想が高くなりすぎることもあります。
一つのことに夢中になると、周囲に頼る前に、自分で抱え込んでしまうところもあります。
一方で、「これは何とかしたい」と思ったことに対しては、かなりしつこい人間です。
誰かに言われるまで待つより、まず自分で考えて動く。
分からなければ、人に聞く。
失敗したら、やり方を変える。
そして、人や商品、サービスの中にある「まだ伝わっていない価値」を見つけ、それを相手に届く言葉へ変えていくことが好きです。
八天堂で、まだ販路のなかった卸事業を広げたこと。
START PRODUCTIONで、顧客も営業の型もないところから900件の企業へアプローチしたこと。
扱ったものも、会社の規模も違います。
それでも、私の中では同じ仕事です。
「ないなら、考えてつくる。」
それが、私の仕事の仕方なのだと思います。
これから。人の可能性を信じ、組織をつくれる人へ
35歳になった今、これからどうなりたいのか。
以前より、その姿が少しずつ見えるようになってきました。
まずは、もう一度営業の最前線に立ちたいと思っています。
お客様と直接向き合い、話を聞き、
「本当に困っていることは何だろう」
「まだ言葉になっていない課題はないだろうか」
「この会社には、まだどんな可能性があるだろう」
と考える。
分からなければ聞く。
仮説を立てたら、まず動いてみる。
違っていたら、やり方を変える。
そして、
「だったら、こうしてみませんか」
と、お客様と一緒に次の一歩をつくっていく。
そんな営業を、もっと突き詰めていきたいと思っています。
ただ、その先に目指しているものもあります。
いつか、人と組織をつくる仕事に携わりたい。
八天堂で新しい事業に携わったときも、START PRODUCTIONで何もないところから営業をつくったときも感じました。
どれだけ良い商品があっても。
どれだけ良いサービスがあっても。
どれだけ素晴らしい戦略を考えても。
最後にそれを実行し、事業や会社をつくっていくのは「人」です。
だからこそ、将来はマネジメントにも挑戦したい。
自分が結果を出すことだけではなく、誰かが悩んでいたら一緒に考える。
うまくいかなかったら、何が原因だったのかを一緒に探す。
そして、その人ができなかったことをできるようになったとき、自分のことのように喜べる。
人の成長を、自分の喜びにできる人になりたい。
その先には、事業や組織をどうつくるのかというところまで考えられる人になりたいと思っています。
経営にも携わってみたい。
売上だけではなく、人、組織、事業、会社全体を見ながら、
「この会社をどうすればもっと良くできるのか」
を考えられるところまで、自分自身を成長させていきたい。
ただ、これは今すぐできることだとは思っていません。
人を育てたいと言う前に、まず自分が結果を出さなければならない。
営業として、まだまだ学ばなければならないことがあります。
もっと多くのお客様と向き合いたい。
もっと難しい課題にも挑戦したい。
失敗も経験しながら、自分の営業力をもっと高めたい。
そして、
「本田に任せれば大丈夫」
と言ってもらえるだけの結果を出したい。
まずはそこからです。
自分自身が挑戦し、結果を出し、その過程で得たものを、今度は周りの人に渡していく。
一人で出せる成果には限界があります。
でも、人が育ち、その人がまた誰かを育てることができれば、できることはもっと大きくなる。
そうやって、人の可能性を広げられる組織をつくっていきたいと思っています。
振り返れば、私自身も、人に可能性を信じてもらってきました。
八天堂では、何も分からなかった自分に仕事を任せてもらいました。
START PRODUCTIONでは、尊敬する先輩から、
「本田さんの力が必要だ」
と言ってもらいました。
自分が苦しいときには、周りの人に支えてもらいました。
だから、いつかは自分がそういう存在になりたい。
誰かがまだ自分の可能性に気づいていないときに、
「あなたなら、もっとできる」
と言える人でありたい。
そして、言葉だけではなく、その人が挑戦できる環境までつくれる人になりたい。
それが、今の私が思い描いている未来です。
私が大切にしている言葉に、
「現状維持は退化」
があります。
これは、常に成功し続けなければならないという意味ではありません。
失敗してもいい。
遠回りしてもいい。
立ち止まることがあってもいい。
私自身、何度もそうしてきました。
それでも、そこで終わらず、
「次はどうするか」
を考えて、また動く。
これからも、そういう人間でありたいと思っています。
まずは営業として、結果を出す。
その先で、人を育てる。
人が育つ組織をつくる。
そしていつか、事業や経営にも携わる。
まだ遠い目標かもしれません。
でも、だからこそ面白い。
まだ見ぬ可能性を信じて、行動しながら、その可能性を見つける手伝いをする。
お客様に対しても。
一緒に働く仲間に対しても。
そして、自分自身に対しても。
そんな生き方を、これからも続けていきたいと思っています。
これから、私はもう一度営業の最前線に立ちたいと思っています。
ただ商品を売るのではなく、お客様の話を聞き、その会社が抱えている課題を一緒に整理する。
そして、「だったら、こうしてみませんか」と、自分なりの考えを持って提案する。
会社から与えられた数字を達成することは、営業として当然大切です。
それと同時に、自分の仕事によってお客様の売上が伸びたり、事業が前へ進んだり、「本田さんに相談してよかった」と言っていただける仕事を、一つずつ増やしていきたいと思っています。
私が大切にしている言葉があります。
「現状維持は退化」
これは、止まることなく上を目指し続けなければならない、という意味ではありません。
立ち止まることがあってもいい。
失敗してもいい。
遠回りしてもいい。
ただ、そこで考えることをやめない。
昨日までの自分より、ほんの少しでも前へ進む。
駅伝に打ち込んでいた頃から、仕事で何度も壁にぶつかった今まで、結局、それだけは変わっていません。
私のキャリアには、成功だけではなく、挫折も遠回りもあります。
全国大会を走れなかった悔しさもあります。
仕事に夢中になりすぎて、自分を見失った経験もあります。
仕事選びを間違え、短期間で退職した事実もあります。
それでも今は、そのすべてを持って、次へ進みたいと思っています。
まだ完成していないから、面白い。
35歳。
学生時代、全国の舞台で襷をつなぐことはできませんでした。
だから今度は、仕事を通して、人や会社の思いを次へつなげていきたい。
そして、もう一度、自分が心から、
「この仕事をやっていてよかった」
そう思える場所で、社会人としての新しい区間を走りたいと思っています。
長く拙い文章ですが、これが私の価値観であり、
本田哲也という人間です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。