生成AIを使うようになってから、「できない」という言葉の意味がかなり変わった気がします。
文章を書く。
画像を作る。
コードを書く。
映像を作る。
情報を整理する。
以前なら、それぞれに一定の技術を身につけていなければ、そもそも形にすることが難しかったものです。
もちろん、今でも専門家の技術が必要なくなったわけではありません。
それでも、「アイデアはあるけれど、自分には作れない」という壁は、ものすごい勢いで低くなっています。
僕自身、それをかなり実感しています。
「できること」が、自分の専門を越え始めた
僕はもともと大学で情報工学を学び、その後CG・VFXを学び、現在はデザインを専攻しながら、広告や販促物の制作を仕事にしています。
決して、一つの専門を一直線に歩いてきたわけではありません。
最近ではAIを使いながら、デザインだけでなく、簡単なWeb開発やデータビジュアライゼーション、さらには自分で使うAIエージェントの開発まで手を伸ばすようになりました。
少し前の自分なら、「面白そうだけど、これを作るにはまず何ヶ月か勉強しないといけない」と考えていたようなものでも、今はAIと対話しながら、とりあえず動くところまで持っていけます。
これはかなり楽しい変化です。
僕はAIによって、専門家になるための長い訓練そのものが不要になるとは思っていません。
ただ、
専門家でなければ、そこに触れることすらできない
という状態は確実に崩れ始めています。
そういう意味で、AIは「才能」を民主化しているのだと思います。
正確に言えば、才能そのものというより、
これまで才能や訓練がなければ到達できなかった結果に、多くの人が手を伸ばせるようになった。
ということなのかもしれません。
100個作れるようになった。それで、何を作る?
ただ、ここで少し不思議なことが起きます。
AIを使えば使うほど、作る能力とは別の問題が見えてくるからです。
たとえば、AIに頼めば大量のアイデアを出してもらえます。
広告の案を100個出すこともできる。
ロゴの方向性を何十種類も考えることもできる。
プログラムの実装方法も提案してくれる。
では、100個の選択肢が出てきたあと、どうするのか。
どれが好きなのか。
どれが面白いと思うのか。
誰に何を伝えたいのか。
何を作ることに時間を使いたいのか。
ここから先は、急にAIだけでは決まらなくなります。
AIは「これを実現するにはどうすればいい?」という問いには、かなり強くなりました。
でも、その手前にある、
「そもそも、あなたは何を実現したいの?」
という問いは残ります。
技術の不足から、欲望の不足へ
これまでは、やりたいことがあっても技術が足りない、ということがよくありました。
絵にしたいけれど描けない。
サービスを作りたいけれどコードが書けない。
映像にしたいけれど編集できない。
「やりたい」と「できる」の間に、大きな距離がありました。
AIは、その距離を急速に縮めています。
すると今度は、
できる。でも、何がしたいのか分からない。
という状態のほうが目立ってくるのではないかと思っています。
これは少し乱暴に言えば、
技術の不足が問題だった時代から、欲望の不足が問題になる時代への変化
なのかもしれません。
何かが作れること自体が希少だった時代には、「作れる人」であるだけでも大きな価値がありました。
しかし、多くの人が一定水準のものを作れるようになれば、当然その先が問われます。
なぜ、それを作るのか。
なぜ、他の案ではなくこれなのか。
なぜ、この世界観なのか。
なぜ、そこまでやるのか。
AIが選択肢を増やせば増やすほど、最後には人間側の好みや執着がむき出しになる。
僕はそこが、AI時代の面白いところだと思っています。
才能の格差より、欲望の格差が見える時代
だからこれからは、「何ができるか」だけでは、人の違いを説明しにくくなっていくのかもしれません。
その代わりに、
何に違和感を覚えるのか。
何を美しいと思うのか。
どんなものを見たときに、作りたいと思うのか。
どこまでなら妥協できて、どこからは譲れないのか。
そうしたものが、今まで以上に表に出てくる。
以前、AI時代について考えていたとき、僕は「作れる人」の価値がなくなるというより、クリエイターが少しずつ「著者」に近づいていくのではないか、と考えるようになりました。
技術だけではなく、
何を見るか。何を選ぶか。何を意味のあるものとして残すか。
そこに、その人自身が出てくるからです。
これはデザインでも同じです。
AIが案を作ることはできても、最終的に世の中に出す一枚を決めるのは人です。
そして、その判断を繰り返していけば、そこには自然とその人なりの癖が生まれる。
以前の記事で僕は、それを「個性」と呼びました。
でも、そのさらに手前には、
「自分は何を望んでいるのか」
というものがあるのだと思います。
AIを使うほど、自分のことを問われる
僕はAIによって、才能の壁が低くなることをあまり悲観していません。
むしろ歓迎しています。
自分には専門外だった領域にも手を伸ばせるし、頭の中にしかなかったアイデアを、とりあえず動くものにできる。
それは純粋に面白い。
誰かが持っていたアイデアが、「技術がない」という理由だけで消えてしまうことも減っていくはずです。
ただし、何でも作れるようになることと、作りたいものが見つかることは別です。
AIは能力を拡張してくれる。
選択肢も増やしてくれる。
時には、自分では思いつかなかった可能性まで見せてくれる。
でも最後に、
「それで、自分は何を望むのか」
と決めるところまでは、まだ自分の仕事です。
もしかするとAI時代とは、機械について考える時代である以上に、人間が自分自身について考えさせられる時代なのかもしれません。
才能は、少しずつ民主化されていく。
でも、何を望むのかまでは民主化されない。
だからこそ僕は、これから「できること」を増やすだけではなく、
自分が何を面白いと思い、何を作りたいと思う人間なのか。
そこをもっと大切にしていきたいと思っています。