私の文脈とこれからについて
美しく、生きる。
私の行動指針です。この「美しさ」という定義も日々アップデートされていくものではありますが、自分が何かに迷った時に、より美しく生きられる方を選択するようにしています。
どこにいても自負を持ち、賢く、深く考え、本音で話し、健康的で、誰か・何かのために行動し、時に苦しみ、そんな行動に喜びを感じている人達。そういう人達同士の目に見えない繋がり。醸成される愛おしく尊い空気感。
そういう美しさ。
そんな瞬間で満たされた生き方ができれば、私は幸せなんだろうなあと考えています。
”強くて深い繋がり”について
自分にとって理想的だと感じる社会はどんな社会か。どんな社会になったら喜びを感じるか。そのために自分はどんな問題を解決し、何を提供することで社会と接点を持ちたいか。
それを考えた時、自分の中で、昔から意識的にも無意識的にも大切にしてきた価値観が”強くて深い繋がり”です。
それさえあれば、どんなに辛い状況に陥ったとしても、幸せに生きていくことができるのではないかと思っています。
私の過去の欠乏感から生じていた、文脈から導き出された、現段階での答えです。
「友情」を求めていた小学時代
私には2歳年上の姉がいて、小さい頃は特に、姉を真似、姉と遊び、姉と喧嘩をし、姉を見て育った記憶があります。
姉を見ていたからこそ、自分と姉を比較し、姉が持っていて自分が持っていないものを感じた時に虚しさを感じていました。
とりわけ、姉を見ていて「友情」たるものを感じた時、強い羨望を抱きました。
姉には幼馴染の友達がいて、2人が仲良さそうに遊んだり話したり登下校している様子を、私にはない素敵な関係を築いていることを、いつも後ろから見て羨ましく思っていたのをよく覚えています。小学生の時の私の口癖は「お姉ちゃんはいいな。」でした。
そんな姉を見て自分と比較したこともあり、目に見えない繋がりに対する憧れが強く、常にそれを探し求めていました。
探したけれど見つからず、常に少しの淋しさを抱えていたからか、当時は気付けなかったけれども、母から遠足や校外学習、修学旅行の感想を聞かれたときはほぼ毎回、決まって「つまらなかった。」と答えていました。結局、小学校卒業前に当時仲良くしていたグループでテーマパークに行った時もその友達とは本音を言い合える関係を築けなかったため「つまらなかった。」で終わりました。
どんなに楽しそうな場所に行ったところで、心の通うやり取りができない相手と一緒にいても何も残らない。逆も然り、一見何とも思えないこと、例えば学校の教室掃除であったり退屈な委員会、単純作業の繰り返しを行なっていたとしても、そこにいる人と心が通じ合っているのであれば、それ以上に楽しいことはない。
小学生の時に気付いていた私の個人的信条でした。
「団結力」と「何かに対する情熱」
中学生になっても一貫して、いわゆる友情、心の通った関係を探し求めては、楽しそうに会話をしているグループの様子を外から眺めて羨ましく思っていました。
そんな思いを抱きながら、中学時代は「団結力」と「何かに対する熱い想い」を知りました。
入学当初から注力すると決め、姉の影響を受け入部した卓球部で、団体では1年生からレギュラーメンバーとして、個人ではダブルスで成果を出し非常に充実した部活動を行なっていました。とりわけ個人ダブルスへの想い入れは強く、相方と熱心に自主練したり大会前に必ず手紙交換をして気持ちを高めていたこともあり、部活内においては苦楽を共に分かち合う関係を築いていました。
何より男女共に市の団体戦で優勝できた時や、夏の最後の大会で念願のダブルス優勝出来た時の興奮と感動はいまだに忘れられません。
もう1つ印象的だったことが、男性アイドルグループに熱狂していた友人です。周囲で男性アイドルグループが流行していた時に何度もコンサートに足を運ぶ友人を見て、とても新鮮で、驚きを感じました。確かに部活動に注力してはいたものの、自分以外の誰か・何かに情熱を注ぐことができる状態は私の持っていない感覚であり、羨ましくもありました。
そんな、この頃感じた「団結力」と「何かに対する情熱」の記憶が私の中に強く残っています。
結局何も得られなかった高校時代
高校時代も相変わらず友情と、恋愛にも強い憧れを抱き始めていたものの、部活動にも学園祭等楽興行事にも、何に対しても本気で取り組まず、周囲を気にする人が多い環境だったこともあり、そんな人達に嫌気が差した。
そんな場に私が探していたものは見つかるはずもなく、早く自らの足で環境を抜け出し、外の世界へ切り開いていくんだという思いを強く抱きました。
自分が探していたものに少しだけ気がつけた大学時代
外の世界へ切り開くという言葉の通り、自分で自分の環境を選び、不要だと感じたものは手放し、英語を学び、入学当初から目指していた長期留学も経験しました。
長期留学の目標の1つは「現地で仲良くなった友達と、帰国後も繋がれる関係関係を築くこと」でした。
途絶えてしまった繋がりもあるけれども、初めて出来た恋人との非言語での温かい繋がりを感じた時間や、今でも定期的に連絡を取り合う留学先の友人との繋がりから、少しだけ自分が探し求めていたものに近づけた気がしました。
「自分の理解者と成り得る人と、本音で深い話がしたかった」という願いの気づき
今後の自分の道を考え、周囲の協力と自己内省を続けた先で辿り着いた問題の根が、家族関係。
そこで気がついたことは、私は両親と深い話ができる間柄ではなかったこと。
両親と話はする。よく会うし誕生日は祝いし合うし、仲が悪いことは決してない。
でも友人関係や恋愛、進路の相談はしたことがなく、気軽にできる雰囲気もなく、いつも私が自分で考えて出した結論の結果報告だけ行なっていた。報告をしてそれ以上突っ込まれることもなかったため、話が深まることもない。高校も大学も長期留学も就職先も寮生活も退職も、全部そう。相談するという選択肢すらなかった。
実家は自営業ということもあり、家に帰れば必ず誰かがいて、姉妹もいて、小さい頃から淋しい思いをしていない…はず。決してお金に余裕のある家庭ではないけれど、留学など私が(相談もせず勝手に)やると言ったこともやらせてくれたし。自分の家庭とは比べ物にならないくらい劣悪な家庭環境の中で育った人が世の中にいることは知っていたし、恵まれている方…だと思っていた。
だからこそ「自分の理解者と成り得る人と、本音で深い話がしたい」という願いが見えなかったし、それを両親に望むのは贅沢だとも思っていた。
家族とは1番近くにいるはずなのに表面的なやり取りしかできないことを絶望し、自然と諦め、昔から無意識的に本音で語れる相手を必要とし、それを自分の周囲に強く求めていたのだと気づきました。
友情。団結力。恋愛。家族愛。
私が今まで追い求めて来たものは、一貫して誰か・何かとの強くて深い繋がりだったのだと思います。
どこへ行っても、無意識的に、そういった「目には見えない繋がり」に惹かれ、渇望していた。
表面的な薄っぺらいものに魅力を感じない。
どんなに楽しい場にいても、どれだけの時間を共に過ごしていても、本音や心からの気持ちを伝え合える間柄でなければ虚しいだけ。
”強くて深い繋がり”
いつか自分も手にしたいとずっと追い求めて来たもので、これからもきっと追い続けていくこととなるであろう感情。
そういった感情にもっと触れてみたいし、そんな感情に対する自分の理解が今より深まった時、欠乏感による悲しみや孤独を感じている人がいるのであれば、そういった人達の力になりたい。それを再現し、実現する手段はその都度自分がおかれた状況において最適な方法を選んで生きていこうと思っています。
”強くて深い繋がり”
一人一人にそんな繋がりがあれば、どんなに満たされることか。どんな状況に陥っていようと、きっと幸せに生きていくことができると思うし、そんな社会になったらどんなに素敵だろうと思う。だからそのために、そんな世界を構築するためにこれからの人生の時間を使っていきたいと思っています。
以上が、私の原体験から紡ぎ出された10年以上変わらない文脈です。