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祖母が他界したことについて、感じたこと、思ったことを一気に書く

嫌な電話が鳴るのはいつだって夜だ。前回、祖母が亡くなったのもそうだった。「人が死ぬのは大体夜だ」、と誰かが言っていたのを思い出す。「朝まで力が持たないんだ。」そんな風につけたしていたっけ。僕はその時、ふーん、と話を聞いていた。

電話の内容は「(母方の)祖母の血圧が下がった」というものだった。危篤という言葉が使われていたわけではない。しかし、以前より祖母の容態の話は知っていたし、お見舞いの度に病気が明らかに進行していたのが分かっていたから、そう感じるには十分な情報だった。しかし、それを危篤だと思うには勇気が必要だった。死のイメージを振りほどくと、終電検索をした。無意味だった。終電はもうとっくに終わっていた。タクシーを呼び、病院に向かった。沈黙のタクシー。何のための移動かについては、言語化しちゃいけないような気がした。

病室に向かうと、叔父と母親と弟が椅子に座りながら、祖母のほうを真剣な表情で見ていた。あの時の叔父の瞳を僕は忘れることが出来ない。真剣に今の貴重な時間と向かい合っているような、祖母に何かを伝えようとしているような、とにかくうまく言い表せないような瞳の輝きと淀み方をしていた。

祖母は息をしていた。しかし、それはいつもの病院の光景と明らかに違っていた。息を吸う、息を吐く。こんな当たり前なことが一個一個とにかく真剣なのだ。祖母は延命手術は拒否していた。迷惑をかけたくない、とも考えていたし、そもそもそういうことが嫌いだった。されど、明らかに祖母は病室で呼吸をしながら、何かと闘っていた。

「今日は平静だし、思ったより大丈夫みたい。まだ来るのは早いんだよ、危篤じゃないんだから」叔父が僕を見てそう笑った。

叔父は自分の弱みを見せたがらないタイプだ。会社ではもちろん、家族にだってそうだ。さっきの瞳とのギャップがすごかった。叔父はそう言いながら、まず僕らを気遣おうとした。しかし、自分が一番大変だったのは明らかだったし、いつもの自分でいようとしているのも明らかだった。僕はそれには触れないことにして言った。

「ああ、うん。それなら良かったけど、しばらくいるよ。もう終電もないし」

僕が笑みを浮かべながら答えると、弟がこういった。

「そうだ、おじちゃんとお母さんはしばらく休んでたら?」

「そうだな。じゃあ、しばらくここは任せるよ。」そう叔父がいい、部屋を出た。内心、良かった、と思った。やっぱりお婆ちゃんは生きる。大丈夫だ。僕も叔父と同じように大丈夫だと思い込みたかったのかもしれない。

しかし、突如、心拍数、血圧、呼吸曲線を計測している生体監視記録装置が、異常を伝えるアラームを流す。緊急事態だ。家族は一斉に顔を見合わせ、祖母を見た。

「お母さん呼吸して!」

「おばあちゃん大好きだよ!おばあちゃんの孫で良かったよ。」

「・・・ほら、頑張って!」

「・・・いや、もう頑張らなくていいよ。よく頑張ったよ」

みんな思い思いの声をかける。

「韓国、台湾、マカオ、グアム、フィリピン、沖縄、伊豆、箱根、いっぱい行って楽しかったよね。」

「あの時、青空の下で麻雀したよね・・・。」

「ぎんなんの炊き込みご飯がおいしかったよ。」

「昔作ってくれたふりかけもおいしかったし、沢庵だって美味しかった!」

「絵画コンテストで入賞した時に見にいったね。」

「そういえば、あのとき・・・・」

そこから、だんだん不思議な感覚になっていく。思い出が止まらない。全部良い記憶ばっかり。お婆ちゃん、超好き。マジ、最高!すげえ楽しかった!そんな時、母がふと、こんなことを言った。

「でもさ、延命みたいなことはしなかったから、ちゃんとご飯食べれてよかったね。」

「うん、大好きな海老も食べたし」

「そういえば、ステーキも食べたよね」

その時だった。奇跡が起きる。ステーキという言葉を出した瞬間に生体監視記録装置の呼吸が戻る。血圧が正常に戻る。心拍数も戻った!な、なんだ、これ!!!

「ス、ステーキって言ったら、婆ちゃんが復活した!」

「ああ、最後に食べたのは牛丼でステーキじゃないから、もしかしてステーキ食べたいって言ってるのかな?(笑)」

「うおお、すごい!ステーキステーキ!」

そこからみんなでステーキの大合唱。ばあちゃん、ステーキ!とにかく、ステーキ!あつあつ、ジューシー、肉汁たっぷりサーロイン!A5級!とにかく思いつくことを言いまくる。家族は大笑い。つうか、マジ、ウケる!

でも、それは一瞬の奇跡だった。その後、祖母の生体監視記録装置は元に戻り、まず呼吸が異常値になった。息を吸って吐く。そのペースが急激に遅くなる。

「ほら、吸って」

優しく叔父が声をかける。それに呼応するように祖母が呼吸をしようとする。すーはー、と呼吸をするとしたら、すーの部分で何秒もかけて一生懸命、全身の筋肉を使って酸素を体内に摂取しようとする。そして、又何秒もかけて二酸化炭素を吐き出す。それはとても美しかった。僕らは生物なんだ、と場違いなことを考えた。生きることに全力をかけるという行為はとにかく美しい。

「・・・ほら、吸って」

叔父がまた優しく話す。僕らは真剣に祖母の大往生を見守っていた。しかし、さっきまで吸っていたのが途絶え途絶えになる。息をキチンと吸えなくなる。

「・・・・・・ほら、吸って。」

それでも、その声を聞くと吸おうとする。生体監視記録装置は冷酷なデータを叩き続ける。

「・・・・・・・・・・ほら、吸って」

全く吸わなくなる。生体監視記録装置は己の正しさを証明するかのようにデータを表示し続ける。

「・・・・・・・・・・・・・・・ほら、吸って」

応答はない。

「・・・・・・・・・・・・・・・ほら、吸って」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もういいよ。」

母が止めた。

目の前の祖母は就寝したかのように安らかで、穏やかだった。それが僕の祖母が長寿を全うした日のことだ。後悔はなかった。大往生だという実感もなく、涙が流れることもなかった。むしろ、最期の最後まで祖母には教えてもらったことばかりだと思った。こんな凄い婆ちゃんの孫で本当、良かったと思った。こんなに良い家族で本当に良かったと思った。

母と叔父はここ2か月間毎日病院に行っていた。僕がいつ行っても母か叔父が必ずいたのを覚えている。それだけじゃない。何年も前から毎日どちらかは必ず祖母の家に行っていた。超凄い。

普通、他界した日は、悲しみで涙を流すのだろう。しかし、その日はむしろ家族の絆が深まった気がした。だから泣いたりはしなかった。何より悔いがない。祖母の人生の壮大な幕締めの見事さに酔いしれた。最後の最後まで誰にも暴言を吐かず、祖母は立派に天国に旅立った。そう思った。

僕もいずれ死ぬだろう。しかし、生きると死ぬは0と1ではなく、もう少し曖昧なものだと思った。これは言葉で説明すると陳腐になってしまう気がするのでなるべく避けるが、とにかく、直感でそう思った。そして、死ぬということは悪いことではない、とも思った。当たり前だが、祖母は僕の中に生きている。祖母のことを毎秒思い出しながら生活をする訳ではないが、祖母からの教えは僕の心の核の中に根を張っている。死ぬことよりも今の目の前の現実に戦わないことのほうがよっぽど悪いことだ。

仕事をしよう、と思った。酒も飲みまくろう、と思った。忌引きなんて要らねえって思った。俺は婆ちゃんの孫なんだし、立派な孫であり続けるために、とにかく今日という一日を必死に前向きに貪欲に生きる!それがどっかで見守ってくれてるはずの婆ちゃんに出来ることだ、って思った。今年、考えてる色んな事業で一山当てて、金も稼ぎまくって、夢を実現しまくって、めちゃくちゃデカイ男になってやるから、婆ちゃん見てろよ!世の中変えて、婆ちゃんが喜ぶようなイケてる孫になるからね・・・!これが俺なりの天国への決意表明。

「一生懸命やってれば、死んだあとも誰かがその夢を引き継ぐんだ。」ふと叔父が昔言ってた言葉を思い出した。

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