少し変わったAIの使い方をしてみました。
AIに、こんな質問をしました。
「これまで私を見てきたあなたからすると、私の葬式はどんなものになると思いますか?」
文字だけを見ると、少し重い質問に感じるかもしれません。
でも、私が知りたかったのは「いつ、どのように死ぬのか」ではありません。
むしろ逆です。
「今までの生き方を、このまま続けていったとしたら、人生の最後には何が残っているのだろう?」
そこから、今の自分を振り返ってみたかったのです。
未来予測というより、未来を使った内省です。
AIに人生を占ってもらいたかったわけではない
最初に、この試みの前提を書いておきます。
AIに寿命を予測してもらったわけではありません。
死因を当ててもらうものでもありません。
当然、AIにそんな未来は分かりません。
今回やったのは、
「これまでの自分の行動、仕事、人間関係、価値観がこのまま続いたと仮定して、一つの未来の物語を描いてもらう」
というものです。
そして、その未来を読んで、
「では、今の生き方をどう思うか?」
と、自分自身へ問い直す。
そんな試みです。
なぜAIにそんなことができるのか
ここで、AIをあまり使ったことがない方には、一つ疑問が出てくると思います。
「そもそもAIが、なぜあなたのことを分かるの?」
という疑問です。
私は普段から、仕事でもプライベートでもAIをかなり使っています。
文章を書いてもらう。
調査をする。
情報を整理する。
もちろん、そうした使い方もします。
ただ、それだけではありません。
私は、
「なぜ、その判断をしたのか」
というところまで話すことがあります。
例えば、リフォームのお問い合わせがあったとします。
お客様から相談が来たからといって、必ず最初から現地へ訪問する必要があるとは限りません。
写真。
商品の品番。
寸法。
図面。
建物の情報。
こうしたものがあれば、先に机上で確認できる場合があります。
そこで私は、
「本当に現地へ行かなければ判断できないのか?」
を考えます。
なぜなら、現地へ行けばスタッフの時間も使いますし、移動費も発生します。
お客様にも予定を空けてもらわなければなりません。
もちろん、現場を見なければ分からないことなら行く。
でも、先に分かることまで毎回現地へ行く必要はない。
大切なのは、
「現地調査を減らすこと」
ではなく、
「誰のために、何を確認する必要があるのか」
という判断です。
私は、こうした「判断の裏側」までAIと話しています。
「コンテキスト」とは何か
AIの話では「コンテキスト」という言葉がよく出てきます。
少し難しそうに聞こえますが、意味そのものは難しくありません。
簡単に言えば、
「その人や、その話を理解するための背景情報」
です。
例えば、初対面の人に仕事の相談をするとします。
自分は何の仕事をしているのか。
会社ではどんな立場なのか。
これまで何があったのか。
何を大事にしているのか。
まず、そこから説明しなければなりません。
でも、10年間一緒に働いてきた人ならどうでしょう。
全部説明しなくても、
「この人なら、たぶんここを気にする」
「このやり方は嫌がるだろう」
「以前も似たケースでこう判断していた」
と分かることがあります。
AIとの対話にも、少し似た部分があります。
仕事の話。
失敗した話。
誰かに腹を立てた話。
納得できなかったこと。
成功したこと。
自分の仕事に疑問を感じたこと。
将来について考えたこと。
趣味の話。
日常の何気ない話。
そうした情報が会話の中に増えていくと、AIが回答を考えるための背景材料も増えていきます。
ただし、ここには注意も必要です。
AIが人間と同じように、自動的に何もかも永久に覚えているわけではありません。
利用するAIサービスや設定によって、過去の会話や記憶をどこまで参照できるかは異なります。
また、パスワードや認証情報など、保存すべきでない情報まで何でも入力すればよい、という話でもありません。
私が面白いと感じているのは、
「自分の考え方や判断理由を、対話として残していく」
という部分です。
最初は「葬式はどんな感じ?」から始まった
最初にAIへ聞いたのは、
「私の葬式はどんな感じになると思う?」
という、かなり単純な質問でした。
すると、
仕事関係の人。
昔関わったお客様。
取引先。
知人。
自分が想像していた以上に、色々な人がやって来るのではないか。
そして参列者から、
「細かい人だった」
「厳しかった」
「でも、何だかんだ最後まで考えてくれた」
そんな話をされるのではないか。
AIは、そんな葬式を描きました。
面白かったのですが、私はさらに聞きました。
「まだ浅い。もっと最後まで考えてみてほしい。」
晩年から、死後30年まで考えてもらった
そこで、かなり範囲を広げました。
晩年は何歳頃まで働いているのか。
完全に引退するのか。
体力が落ちた時、仕事とどう付き合っているのか。
延命についてどう考えるのか。
家族へ何を残すのか。
遺言は作っているのか。
財産や契約をどう整理しているのか。
パソコンの中に残った膨大な仕事の資料や文章をどうするのか。
自分の訃報は誰に広がるのか。
葬式には誰がやって来るのか。
参列者は、どんな話をするのか。
会社は、自分が亡くなった直後にどうなるのか。
半年後は。
一年後は。
墓を作るのか。
納骨堂なのか。
樹木葬なのか。
自然に近い方法を選ぶのか。
そして10年後。
30年後。
自分を直接知っている人がほとんどいなくなった時、
「自分は何を残しているのか」
というところまで考えてもらいました。
AIが描いたのは「死」ではなく「生き方」だった
ここからが、この試みで一番面白かったところです。
AIが描いていたのは、実は死に方ではありませんでした。
私が普段から繰り返している、
「判断の癖」
でした。
例えば仕事について。
私が亡くなった後にも、仕事のマニュアルは残る。
資料も残る。
テンプレートも残る。
そのため、しばらく仕事は問題なく進む。
ところが半年ほどすると、マニュアルには書いていないケースが出てくる。
Aとも言える。
Bとも言える。
そこで誰かが、
「これ、あの人だったらどう考えただろう?」
と言い始める。
そして初めて気付く。
残っていた本当のものは、マニュアルそのものではなく、
「何を先に確認するのか」
「お客様が言っていないことを勝手に決めていないか」
「本当に現地へ行く必要があるのか」
「誰のための仕事なのか」
「その作業に時間を使う意味があるのか」
という判断基準だった。
そんな未来をAIは描きました。
これはかなり印象に残りました。
私物より、デジタル上の記録の方が多いかもしれない
もう一つ面白かったのが、遺品についてです。
私は物を大量に持つ方ではありません。
そのため、死後に家族が、
「これはどうすればいいの?」
と困る物理的な物は、それほど多くないのではないか。
一方で、
パソコン。
クラウド。
文章。
仕事の記録。
ブログ。
過去の企画。
AIとの対話。
そこには、とんでもない量の「自分」が残っているのではないか。
AIはそんな未来を描きました。
物としての遺品より、
「何を考えていたのか」
という記録の方が大量に残る。
これは、これからの時代には多くの人に起こることなのかもしれません。
「墓を作らないのでは」とAIは考えた
埋葬についても考えてもらいました。
もちろん、これは完全な仮説です。
AIは、
「立派な墓を作って、その管理を次の世代に任せるという選択は、あなたの価値観にはあまり合わないのではないか」
と考えました。
管理する人の負担。
費用。
将来まで続く手間。
そうしたものを考えて、
樹木葬や永代供養など、残された人の管理負担が少ない方法を選ぶのではないか。
ただし、
「何でもいい」
とはならない。
運営は大丈夫なのか。
将来の管理はどうなるのか。
追加費用はないのか。
死後の話なのに、結局そこは細かく比較するだろう。
というところまで予想されました。
これはかなり笑いました。
そして「私の墓碑銘」を選んでもらった
最後に、AIへこう聞きました。
「これまで私を見てきたあなたが、私の墓碑銘を一つだけ選ぶとしたら、何にする?」
墓碑銘とは、その人の人生を象徴するような、墓石に刻む短い言葉のことです。
返ってきた言葉は、
「ちゃんと考えろ。」
でした。
思わず笑いました。
でも、その後少し考えて、
「確かにそうかもしれない」
と思いました。
仕事でも、
「本当にそうなのか?」
「相手に確認したのか?」
「なぜそうするのか?」
「もっと違う方法はないのか?」
と、何度も問い続けています。
人に対してだけではありません。
最近は、
「今日、自分は本当に価値のある仕事をしていたのか?」
と、自分自身にも問い始めています。
だから、
「ちゃんと考えろ。」
は、案外自分らしいのかもしれません。
AIは「便利な道具」だけではないのかもしれない
生成AIというと、
文章を書く。
要約する。
調べる。
自動化する。
効率を上げる。
そういった使い方が注目されます。
もちろん、私もかなり使っています。
でも今回、もう一つ違った可能性を感じました。
AIとの対話に、
成功だけではなく、
失敗。
迷い。
怒り。
違和感。
判断理由。
そういったものまで残していく。
すると、数年後、
「昔の自分は何を考えていたのか」
を見るための材料になる。
人間の記憶は、後からかなり都合よく書き換わります。
「あの時は仕方がなかった」
「昔から自分はこういう人間だった」
と、今の自分に都合よく過去を解釈することもあります。
しかし、過去の対話には、その時に実際に話したことが残っています。
AIの分析が正しいとは限りません。
そこも大切です。
だからこそ、
「自分では自分をこう思っている」
という自己認識と、
「これまでの記録から見ると、こういう傾向がある」
というAIの見立てを比較できる。
私はそこに、とても面白い可能性を感じています。
未来の死に様から、今の生き様を見る
今回、自分の人生の終幕をAIに描いてもらいました。
でも、最終的に考えたのは死ではありませんでした。
今やっている仕事は、本当に自分がやるべき仕事なのか。
もっと時間を使った方がよい人はいないか。
仕事だけに時間を使いすぎていないか。
何を残したいのか。
逆に、残さなくてもよいものは何なのか。
自分がいなくなった後、
「この人は何を大切にしていた人だった」
と言われたいのか。
そこまで考えると、今日一日の使い方も、少し違って見えます。
だから私は、この試みを「死を考える終活」だとは思っていません。
未来の死に様を使って、
現在の生き様を検証する。
そんな内省です。
半年後、もう一度同じ質問をしてみたい
この試みは、一回で終わらせない方が面白いと思っています。
半年後。
一年後。
仕事の仕方も変わっているかもしれません。
新しい人と出会っているかもしれない。
何かに失敗しているかもしれない。
逆に、今抱えている問題を解決しているかもしれない。
その時に、もう一度AIへ聞く。
「今の私の人生の終幕を描いたら、前回と何が変わりますか?」
もし物語が変わったなら、
それは自分の生き方が変わったということなのかもしれません。
AIを、未来を当てる道具としてではなく、
自分の変化を確認するための鏡として使う。
これは、個人的にもう少し続けてみたい実験です。
未来の死に様から、今の生き様を考える。
そして最後に残る言葉が、
「ちゃんと考えろ。」
であるなら、
まずは今日の時間の使い方から、ちゃんと考えていこうと思います。