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自分は何者なのか?

子供の頃、学校で夢や将来なりたいものを聞かれた経験が誰しもあると思うが、その時々で自分が好きなもの・憧れるものがその対象であったように思う。

小学校の時は、走り回るのが好きだったという理由でサッカー部に入ったり漫画が読めるからと漫画クラブに入りガンダムの絵を描いていたのが印象に残っている。


ただ、小学校高学年頃から思っていたことは、自分が双子だあるということからくる、自分のポジション探しだった。

もともと一つだったものが二つになるということは、自分は半分であるという認識を常にもっており、その考えが中学高校以降も自分の行動の規範になっているという認識はある。

その後高校の時に読んだ、ソフィーの世界に出てくる


『あなたはだれ?』


という問いが常に自分の中で渦巻いており、大学受験の時に何をやりたいか大いに悩みやさぐれていたのは今にして思えば少しもったいなかった気もしなくもない。

それゆえ、向こうが工学部へに進むのであれば自分は被らない領域の進路にしようと、本が好きだという理由で印刷工学の道を選んでみたり、図書館に勤めたいと思い図書館司書を養成する大学に編入したりと遠回りの道を辿って来た。

それがいいことだったのかはわからないけれども、向こうと違う道を選ぶことで結果として自分にとってよりよい道を見つけられたという自負は少なからずある。


では何者かなりたい形は見つかったのか?と問われるとそれはノーで、今だに自分の力量を測りかねているところはある。

ただ、こうありたいというポジションというのは自分の中で見えており、自分のスキル・経験・アイデアで人をサポートする事にやりがいを感じるというのがわかってきた。戦隊モノでもセンターの主人公ではなく、なくてはならない相談役・サポートのポジションが自分の性にはあっているというのが、自分なりの自己分析だ。


2004年ー編入した大学を24才で卒業し、一旦は地元の眼鏡屋で販売の仕事をしていたが、その当時はロープライスメガネなんてないので、メガネは高級で必要な時にしか見に行かない場所なのでやりがいというものを得られず、無為に時間が過ぎるのが苦痛でしかなかった。

このままここで来客を待つ時間は、人生においてどれほどの時を無駄に過ごすのだろうと考えると、その時間の勿体無さに絶望を感じ、やりたい事にチャレンジしようと転職する事に決めた。


その当時、まだ就職氷河期の真っ最中で未経験で印刷業界で入れる会社もなかなかなく、半年近く転職活動に費やしてしまったが、大学で映画鑑賞サークルでポスターやチラシをイラレで作っていた経験を少なからず考慮してくれたのか、なんとか年明けには新日本印刷の子会社のCCSにDTPオペレーターとして入ることができた。


入ってみて、制作の現場を目の当たりにして、ここからがスタートだと心に汗をかいた記憶がある。