こんにちは、大橋直久です。今回は、「人間の労働日数の変遷」について考えたいと思います。
古代の「休み」と「労働日」
古代ギリシャでは、生活に必要な物を生産する仕事は、主にオイコス、すなわち「家」に属する女性や奴隷が担っていました。
市民の務めとされたのは、他の共同体との戦争に参加することや、政治や神事に携わることでした。
それでも、古代アテナ(アテナイ)には年間50~60日の休日がありました。
古代ローマの暦では、1年355日のうち109日が、司法や政務を行ってはならない日とされていました。
4世紀になると、公的な祝祭日は年間175日にまで増えたといいます。
中世ヨーロッパの農民の働き方
中世ヨーロッパの農民は、基本的に夜明けから夕暮れまで働きました。
しかし、その働き方は時計に厳しく管理されたものではなく、季節や天候など、自然のリズムに合わせたものでした。
忙しい収穫期であっても、仕事は朝食や休憩、昼食、昼寝などによって何度も中断されました。
農閑期には、比較的のんびりと過ごしていたようです。
中世イングランドでは、祝祭などによる余暇が1年の約3分の1を占めていました。
フランス革命以前のフランスでは、52日の日曜日のほか、90日の休息日と38日の祭日があり、合計すると1年の半分近くが休日でした(J・ショアー『働きすぎのアメリカ人』窓社)。
産業革命で「時計の時間」へ
こうした労働のあり方を大きく変えたのが、産業革命です。
人々の生活を支配する時間は、「自然の時間」から「時計の時間」へ、「教会の鐘」から「工場の時計」へと移りました。
農業のリズムに合わせた暮らしに代わって、工場の機械と時間割に合わせる働き方が広がったのです。
大橋直久(JDPアセットマネジメント株式会社)