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日本を出てから11ヶ月目の覚書

アメリカ→アフリカと地域を移して、白人も黒人も、褐色人種も黄色人種も、女性も男性もLGBTQも、アメリカ人もブラジル人も、フィリピン人もインド人もタンザニア人も、一緒に生きて同じ屋根の下で飯を食って飲んで話してきて...最近とみに思う。


どこに生きても何をしてても、結局人は人なんだなって。
育った環境が違う、話す言葉が違う、教えられてきた常識が違い、食べてきたモノも違う。だからどうした、と敢えて言いたい。どんな人でも目は口ほどにモノを語るし、尊厳を傷つけられたら誰でも容赦なく怒る。けれども示された敬意には敬意を以って応えることができる。それが人間の揺るがない本性で、外を覗いてみた時そんな共通性を垣間見た時、不思議と心安らぐ。あ、そっか、僕ら根本的に同じ種族なんだよな、と気づく。


そう思うと場所とか地域とか国とか、本当に関係がない。日本にいようがアメリカにいようがアフリカにいようが、その場所に生き存在する事自体は何の特別な意味も持たない。ヒトとしての自分が生きる土地で何をするか、があって初めてその帰属社会に働きかけることになり、自己という存在が何らかの存在感を社会の中で形成し始める。


つまり胸踊る心のタネを持っている人は、別に国とか地域単位で物事を分けて考えなくていいし、むしろ分けるべきじゃなくね、と。また日本から外界(敢えて外界としたい)に出ている人を好奇の目で見ることも別にするもんじゃなくね、と思う。また生国を離れたことの特別感を醸し出そうとする度に、自分が生国の枠に収まったままになっていることを主張しているだけだ、とも思うようになった。


ご当地アイドルを目指すのでもない限り、地図上の誤差に拘泥せず、せっかくなんだし自分が心躍る何かを知ろう。部屋でシーシャを吹かしながら、そんなことが頭を駆け巡った。

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