1
/
5

日本人化しながら外国人の目線を持つ

こないだ英語レッスンのために、ある媒体を通じて外国人の先生にコンタクトをして、メールのやりとりをしたことがある。そのときのメールの一部が下記である。

「Hello again, Did you get my message? When is a good day for you?」

「Hi! Please prepare a lesson fee of ¥3000 to be paid at the beginning of class.」

各1通ずつ、2通のメールだ。本当に内容はこれだけで、伝えたいものしか書いてなかった。

私はここで凄く違和感を感じた(若干イラっとしたかもしれない)。理由を考えてみたら、それは相手に伝えたいものだけ、知りたいものだけ話すのは礼儀正しくないと感じたから。私が「メールに温度感をたっぷり入れる工数をかける日本の文化」になれてしまったから、そう感じているはず。

 ここで私は、「いったいビジネスでの礼儀とは何だ?」を考えてみた。礼儀は相手への配慮からくるもののはず。だったら、「なるべく不要なセンテンスに目を通す時間を相手に与えないのが礼儀正しいのでは?」。つまり、本当にコアな内容だけ書いて相手に送るのが礼儀正しいかもしれない。相手の時間を奪わないから。メールを複雑にして目を疲れさせることと、なるべく簡潔にすること。どっちが相手にとって本当の意味で礼儀正しいんだろう?

日本は「ものつくりの大国」と昔から言われているが、私は「物」意外にも、つくりを完成させる意識が強く日本社会に現れていると思っている。日本人はメールを「まるで作品を作り上げるように」書いている。何事にも完結なストーリラインを入れようとする。そうだ、これこそが日本だ。

ここで、面白い質問を投げることができる。クッション言葉や、文面の前後にくる挨拶言葉などを入れるため使う時間、そして、文面全体の緩さを考えるため使う時間、これは日本全体で年間どれぐらいの時間が使われているんだろう? そして、ビジネスの世界において、これに使う時間は日本経済にどんな影響を与えてるんだろう?

「ローマではローマ人のするようにせよ」という言葉があるとうに、私も日本に住んでいるので、日本社会ルールは守り続けていきたい。しかし、外国人として若干違う角度で物事をみるくせは、これからも失わないようにしていきたい。何故ならば、日本は外国人に、「日本人化することと、外国人ならではを見せること」を同時に求めているからだ。

1 いいね!
1 いいね!