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デンマーク人の営業マンに会って、イラっとした理由を考えたことに関して。

日本歴が長くなると、心が狭くなるのだろうか。

 先週、ある東証一部の不動産会社のデンマーク人の営業マンが来社した。彼らはグローバル事業部をもっていて、留学生向けの賃貸事業をしていた。留学生が多い様々な学校と提携をして、収益をあげているようで、トモノカイの6千名を超える留学生のプールも美味しく見えたようだ。私も彼らの事業部の中で優秀な留学生が事務員として必要かと思っていて、お互いwin-winになるような提携には特に抵抗がなかった。

 しかし、あのデンマークの人は、まだ社会初年性だからか、営業のやり方が凄くストレートで、久々に「日本人っぽくない営業」を経験した。クッション言葉も多くないし、場を温める前に「私はこのような目的でここに来ていて、これができると思っています。いかがですか。」と投げて来た。

 なぜなんだろう。すぐイラっとして「生意気だな」と思った。これは「相手が営業力がまだないから感じる不快さ」ではなかった。「別の世界の営業マンから感じる不慣れさ」に近い気分だった。しかし、その後、「まだ日本人化が進んでない外国人だからしょうがない。」と寛容の精神を直ぐ持つことにした。ここで一瞬疑問だったのが、「もし、俺が日本で社会人生活をしてなかったら、あの人の言葉を聞いて、そこまでイラっとしたんだろうか。」だった。

 他の例として、東京では電車で電話をする外国人を多くみられるが、「外国人だから理解できる。」より、「なぜそこまで周りの雰囲気に鈍いんだろう。」を先に考えてしまう。こうなってしまった自分のことが実は好きじゃない(ちなみに韓国は電車で電話をしてもいい文化である)。

 やっぱり日本は礼儀に対するハードルが非常に高い。社会全体が礼儀のベースが高いがゆえに、私もそういう価値観になっていて、少し気になる外国人の行動でも、敏感になってしまう。

 とはいっても、自分もまだ未熟で、営業のテレアポをする際に、正しくない言葉選びをしたら、相手から怒られることもある。「言葉の使い方がおかしいですね。まだそのレベルの外国人とは取引できません!」と言われたりなどなど。

 日本社会って、自分が「おもてなし」精神をもって顧客に接しているので、自分も相手からその精神を強く求めるマインドになっているんだろうか。俺は日本の素晴らしい美徳だと思っているが、一方、心が狭くなる危険さも含んでいるのか。というと、これは日本人が国を超えて世界市民になることを逆に邪魔しているかもしれない。微妙だ…