書籍【21世紀の楕円幻想論~その日暮らしの哲学】読了
我々は生まれた時の環境が当たり前のものと思ってしまう。
それはある意味で当然であるが、学習すればするほど、今の状況というのは特殊な環境であることに気付かされる。
資本主義が確立されてきたのは、イギリス発祥の産業革命時期からだろう。
資本というものが、商品を生み出して、その利益を次の資本にして、さらに次の商品を生み出していく。
資本は拡大再生産され、どこまでも増加していくため、資本を持つ者が富を獲得する仕組みとなっている。
持たざる者は常に搾取される側となり、その結果、持つ者と持たざる者の格差は、どこまでも広がっていく。
これが資本主義の仕組みであって、どう考えても行き詰まるというか、無理が生じるようになっている。
この仕組みが動き出したのは、ほんの200〜300年前という時間軸でしかない。
それ以前は貨幣制度はあったとしても、あくまでも生きていく上で必要なものを、貨幣を使って交換するだけで、余剰を生み出す仕組みではなかった。
資本によって余剰を生み出す資本主義は、人類史において大きな歪みを生み出したと言える。
もちろん以前から格差はあった訳だし、生まれながらによって階級が決まる身分制度だってあった訳だ。
それとは当然形式が異なるし、ある面では良いところもあるのかもしれないが、果たして資本主義によって人類全体は幸福を手に入れられたのだろうか。
今の時代だからこそ、各所でそういう問いが生まれ、数々の議論がなされている。
しかしながら人類は、いまだに資本主義以上に優れた「●●主義」を生み出せていない。
ポスト資本主義が叫ばれているが、明確な形として、我々の前にまだ表われてはいない。
本書を読むと、次の「●●主義」を主張している訳でも、資本主義そのものを否定している訳でもない。
しかしながら、資本主義に翻弄され、今は何もかも手放した著者が、その中での生き方について本書の中で淡々と説いているのが、むしろ心地良く感じてしまった。
今の時代や社会システムを否定するのではなく、その中での矜持を見出している点。
読み終えてまず感じたのは、心が軽くなるような感覚であった。
私自身、今でも資本主義の仕組みの中で翻弄され続けている。
企業に雇われ、一定の成果を求められ、当たり前のように競争を強いられて、その中で歯を食いしばってそのゲームに参戦している。
もちろんそれによって一定以上の生活が出来ている訳だし、そのゲームの中でも、自分なりの成長実感があったり、仲間ができたり、全てが悪いこととも言い切れない。
しかし、この生き方に息苦しさを感じているのも事実だ。
著者はこのことを、「正円」として表現しているのだが、これは何となく理解できる。
正円とは中心が一点で、その中心点から縁までの距離がすべて同じ。
その唯一無二の美しさは、言い換えると「正しさ」を表現した形とも言える。
そしてその正しさこそ、裏返すと、息苦しさの正体なのである。
一つの価値観、一つの正解、を押し付けているようで、そこから外れては決していけないと、脅迫されているような感覚。
これに息苦しさを感じてしまう。
私たちは、知らず知らずのうちに自分自身を「正円」の中に閉じ込めている。
息苦しいのに、その美しさ正しさから逃れられないでいる。
それに対して著者は「楕円の生き方でもいいんじゃないか」と気づいてしまう。
全てを手放した著者だからこその境地なのか、悟りなのか。
楕円には、焦点が二つ。
二つあるからこそ、楕円には、正円にない揺らぎや遊びがあり、「逃げ場」があるというのだ。
これは決して資本主義を否定している訳ではない。
仕事という焦点だけでなく、もう一つの焦点をどこかに置くことで、人は生きやすくなる。
焦点が二つあることで、人生に奥行きも生まれる。
中心が一つだけの正義に縛られるのではなく、二つの焦点の間を行き来可能になる。
この「揺らぎ」こそが、人間としての豊かさを生むのだと言うのだ。
惑星の公転は、正円ではなく楕円軌道だというのも、人の生き方を示唆しているのかもしれない。
正円だけでは、案外上手くいかないのだ。
正しさに追われ過ぎる人生は、なんとも勿体ない。
焦点が少し外れていても、円を描いていれば、その楕円軌道だって美しい。
完璧であることを求めず、足りない部分を補っているような世界。
そんな生き方をしていきたいと思った。
(2025/9/8月)