書籍【あの戦争は何だったのか~大人のための歴史教科書】読了
2025年の戦後80年だったこともあり、ついつい太平洋戦争にまつわる書籍を読んでしまう。
今回は「あの戦争は何だったのか〜大人のための歴史教科書」(著者:保阪 正康)に挑戦。
今年はほぼ同名タイトルの辻田真佐憲氏版がベストセラーになったが、まずは保坂氏版に手を伸ばしてみた。
本書は2005年発行だから、当時は戦後60年ということになる。
20年前の2005年は、あの戦争をどう見ていたのか。
あれから20年以上経った2025年に生きる我々は、あの戦争をどう見ているのか。
何かが変わったのか。何も変わらないのか。
そんなことも考えながら、本書を読み進めた。
戦後60年から20年経って、戦争を体験した人は益々減っているだろう。
そんな中で、いつまで「戦後」という言葉を使うのか。
不思議にも感じつつ、いつになったら我々はあの戦争に対して一区切りできるのだろうかと思ってしまう。
識者の中には「日本が次の戦争を行うまで」と言う人もいる。
その通りかもしれないが、ロシア-ウクライナの戦火を見ていても、やはり戦争は起きてほしくないし、起こすべきではないと感じてしまう。
私自身は戦争研究者でもないし、こういう書籍があるとたまに手に取る程度だ。
それでも、私は今50代後半であるが、「戦争」という歴史に対して、興味を持っている方だと思う。
周囲の同年代や、それよりも若い世代は、学校の教科書で習った程度のことで知識が止まっている人がほとんどではなかろうか。
毎年夏に戦争に関するテレビ番組が放送されるが、それを見て補完されるくらいのことはあるとしても、それも今後は番組数が減っていくだろうし、番組を制作しているのも、戦争を全く知らない世代なのだから、あの戦争を語り継ぐのは益々難しくなっていくのだろう。
いつまで戦後を引きずるのかという議論もあるが、少なくとも何も学ばずにいることは止めた方がいい。
もしまた次の戦争が起きた時に、日本は太平洋戦争で起きた時のようなことを繰り返してはいけない。
本書にも色々と書かれているが、今の感覚からすると信じられないような、数々の杜撰な作戦が実際に実行されてしまった。
なんでそんなことが起きてしまったのか。
それが戦争という極限状態だからだ、と言って切り捨てることもできるかもしれないが、少なくともこんな杜撰な作戦を実行したのは、歴史上日本軍だけなのだ。
記録が残っているだけでも数千年分の戦争の歴史がある中で、太平洋戦争末期の日本軍の作戦遂行は奇行としか言いようがない。
あまりにも常軌を逸した行動ゆえに、米軍も日本軍に対して徹底抗戦することになったのだろうが、普通に考えてもここまで辿り着く前に、どこかで戦争は終着していたはずである。
なぜ我々日本人は、暴走を自ら止めることができなかったのか。
行き着くところまで行っても止められないこの性質が、日本人としての気質の根本原因のような気がしている。
あまりにも周囲の空気を読み過ぎる、強固な「同調圧力」が働く中で、「恥」を何よりも恐れる文化の中で、今後も暴走を「止める」ことは本当にできるのか。
私個人的には疑わしいと思っている。
そもそも杜撰な作戦を立てなければよいということでもあるが、極限状態の中で、果たして我々は冷静な判断をできるのか。
今でも会社で仕事する中で、「なんでこんな凡ミスが起きてしまうんだ」ということが少なくともある。
よくよく調べてみると、最初の計画の杜撰さもあるが、それを実行していく中で「これはヤバイ」と誰かが気がついても、止めることができずに致命的なことになるまで突き進んでしまう。
戦争とは異なるから、単純比較はできないと思うが、何となくこの気質が共通しているようで、そら怖ろしく感じてしまうのだ。
太平洋戦争では、戦果についての隠蔽が横行し、正しい情報が参謀本部に上がらなかったことも、敗戦の原因の一つであった。
果たして我々は、あの戦争から何かを学んだのだろうか。
本質的に日本人の中身が変わったとは到底思えない。
現場の状況をきちんと知らない上層部が問題で、その上層部が作戦を作成しているから失敗したのか。
それでは、作戦作成の上層部に、なぜ正しい情報を上げなかったのか。
レポートラインと承認プロセスの組織課題のように感じるが、そんな単純な話ではない気がする。
他国の軍隊も同じような組織形態でありながら、日本軍だけがなぜか機能しない。
その根底に流れる日本固有の原因とは何なのだろうかと考えてしまう。
名著「失敗の本質~日本軍の組織論的研究」(著者:戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)でも説かれているが、どうにも我々はもっと真剣に自分自身とも重なる日本人の本質と向き合った方がよさそうだ。
あの戦争とは、本当に何だったのだろうか。
著者の保阪氏も語っているが、我々は単純に「戦前」「戦後」と分けてしまったために、前後が違うものだという錯覚をしてしまっている。
戦争が終結したという区切りはあるとしても、時間軸はシームレスに流れている訳で、前後で大きな違いがあったとは到底思えない。
さらに言えば、戦後もすでに80年。
単純に「戦後」という一括りで、同じものとして扱ってよいのかというのも、十分に疑わしい。
戦後10年・20年・・・80年が、本当に一括りなのか。
そんな単純化してしまって、本当によいのか。
本当に大事な部分を、我々は見落としているのではないだろうか。
当たり前であるが、戦争は絶対に起こしてはいけない。
それはその通りだと思うのだが、それでは他国から攻められた時に、どう対処すればよいのか。
杜撰な作戦が立案されて、実行されてしまいそうになるリスクを、我々は自ら止めることができるのか。
本書を読むと、戦争の悲惨さよりも、我々日本人の思慮の浅さが際立ってしまう。
なぜ我々日本人だけが、あんな愚かな戦い方をしたのか。
疑問は尽きることがないのだが、それを考え続けることが重要なのだろうと思う。
いつまで「戦後」という言葉が続くのかは分からない。
しかしながら、少なくとも我々は、戦争の歴史を最低限でも学ぶ必要がある。
それは結局、未来をより良く生きるために必要だからだ。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」もまた真なり。
改めて、学び続けることの大事さを実感した次第である。
(2025/10/20月)