書籍【22世紀の資本主義~やがてお金は絶滅する】読了
著者は、様々なメディアに出演しては、独特の語り口と鋭い視点で、視聴者の注目を集めている経済学者だ。
著者は本書内で、「稼ぐより踊れ」と力説している。
この一文だけでは意味が不明だ。
一体何が言いたいのか。
まずは人々のお金に対する幻想を解きたいというのが、著者の思いだ。
お金の「悪夢」から目覚め、新しい世界の景色を眺めてほしい、ということだと思う。
私たちは、毎日当たり前のようにお金と一緒に暮らしている。
お金が無ければ、朝のコーヒーを飲むことも、電車に乗ることも、お気に入りの洋服を買うことも、推し活に身を捧げることすらもできない。
我々のすべての行動が、お金に支配されていると言っても過言ではない。
現代社会で、お金がない生活など想像もできない。
一方で、お金こそが社会を動かすエネルギーになっているのも事実である。
そこでふと立ち止まって考えてみる。
「お金」とは、一体何なのか?
財布の中にある紙幣や硬貨。
スマホの画面に表示されている、デジタルな数字。
これらは、物理的な実態を超えた「何か」であるのは間違いないのだが、我々はその本質を、本当の意味で正しく理解しているだろうか。
一般的に言われているのは、「みんながお金の存在を信じているから、そこに価値が生まれている」ということだ。
ただの紙切れや金属の塊に価値はない。
そこにみんなが「これはお金なのだ」という共通の認識があるから、お金としての存在が認められる。
本当に不思議であるが、人間以外の動物で、お金のようなものを使っている生物は存在しない。
「お金」とは、人類だけが共有している、壮大な「夢」のようなものだ。
これはハラリ氏の「サピエンス全史」で語られた「虚構」の話とも重なる。
宗教や国家、そしてお金。これらすべて、人間が頭の中で作り出した想像の産物である。
「虚構」という妄想が、何億人という見知らぬ人間同士を協調させ、巨大な文明を築き上げた。
これが人類の歴史なのである。
そしてわずか2〜300年前に生まれた「資本主義」という仕組みが、「お金」の物語を一気に加速させている。
我々は資本主義に翻弄され、まさに踊らされている。
すべてが商品化され、すべてに値段をつけられる世界。
これは人間自身も例外ではなく、労働力として商品化され、それに値段がつけられている。
我々の時間や才能、そして心情までもが市場で取引されるという異常事態だ。
日本で消費されるタコのほとんどがアフリカから輸入され、日用品や家電のほとんどが中国などで製造され、システム開発はインドに発注していたりする。
当然、石油などのエネルギーは、中東地域に依存している。
地産地消、自給自足は聞こえはいいが、現実的にアカの他人の力を借りないと、現代の我々は日々を生きることすらできない状態になってしまっている。
資本は自己増殖を続け、すでに地球全体を完全に飲み込んでしまった。
私たちは、この巨大な資本主義というシステムの中で生きるしか、選択肢が無くなっている。
個々の生命力という意味では、確実に劣化している。
我々現代人は、このシステムが完全に止まった瞬間に、1ヶ月と生き延びることができないだろう。
だからこそ、著者は説いている。
この資本主義という「悪夢」から、そろそろ目覚める必要があるのではないか。
これは、現代の資本主義システムを捨てて、自給自足社会に先祖帰りしようという話ではない。
テクノロジーのすさまじい進化が、現代の資本主義システムを変えられる可能性が出てきたからだ。
これは識者だからこその視点だと思った。
かつて、富の象徴は土地や金(ゴールド)であった。
これがやがて紙幣になり、今やデジタルのビット(情報)になってしまっている。
我々が行っている、買い物、移動、SNS投稿など、その一挙一動がデータとして蓄積され、価値を生んでいる。
つまり現代では、すでにお金に換算されるものが、全て「データ」に置き換わっているということなのだ。
我々のあらゆる行動は計測され、アルゴリズムによって最適化される。
この時に中間媒体としての「お金」は、価値を失う可能性が高い。
高度なマッチングシステムが機能すれば、欲しい人と与える人が直接繋がれる訳で、中間の作業が益々省略されていく。
この中間の作業こそ、お金が介在する意味であったはずであるが、その必要性が薄れている。
それではこれからの社会は、「何を価値として」人類は妄想するのだろうか。
みんながお金の存在を信じているから、お金に価値があった。
その信じるものが変化していけば、当然社会システムは大きく変化していく。
未来がどうなるかは、正直想像がつかないが、相対的にお金の価値が変わっていきそうなのは推測できる。
お金に限らず、数値化ができるものはすべてデータとして扱われ、その瞬間に巨大システムのアルゴリズムの中で処理可能な材料になっていく。
当然、AIが効率的な判断を担うのが当たり前になる。
そんな時に人間は、「データにならないもの」にどう目を向けるかが重要になる。
データになった瞬間に、アルゴリズムに飲み込まれる。
そうではなく、データにできないものは何か。
そこをきちんと見極め、人間たちが未来に向けて「非データ」を大切に守っていく。
こんな姿勢が必要なのかもしれない。
データにしにくいものは様々あるはずだが、思いつくところ言えば、「愛情」「信頼」「美意識」「心地よさ」「美味しさ」「文化」などであろうか。
これらを数値で測ってもよいが、数字の結果と、実感値とは異なる場合が多いだろう。
感覚的なところが実は人間にとって一番大切なのかもしれない。
効率やスピードだけを追い求めるのではなく、もっと手触り感のある豊かさを大事にする。
ようやくそういう考え方に至ったといえる。
社会が本当の意味で、成熟しつつあるということか。
私たちは、自分たちの社会での役割を再定義しなければならない。
「稼ぐより踊れ」
目先のお金に一喜一憂するのではなく、今この瞬間を精一杯楽しみ、自分なりの価値を創造していくことが重要だ。
そんな主体的な生き方こそが、不確実な未来を生き抜くために必要な心持ちだと感じた。
我々が、お金という夢から覚めた時に、どんな世界が待っているのか。
変化を楽しみながら、新しい時代を生き抜いていきたいと思う。
(2025/11/14金)