普段は病気や、ましてや死について考えないものだが、もう50代後半。少しずつでも考えた方がいいのだろう。
悔いなき人生を送れれば理想的であるが、思い返せばすでに悔いだらけと言えなくもない。
それでは自分の人生が不幸だらけだったかと言えば、勿論そんなこともない。
総じて言えば恵まれていると思っているし、だからこそこれからの生き方をどうすべきかを真剣に考えた方がいい。
どうやって死ぬかということは、どうやって生きるかと等しいことだ。
これは人間にとって、良く出来たシステムだと思う。
本書内で、ガン治療の考え方や、欧州の安楽死についても触れられている。
人間とは、自分ではどうにもコントロールできないことにヤキモキしてしまうものだ。
そういう生き物だからしょうがないとも言えるが、できるだけ自分自身でコントロールできるところについてだけ、精一杯頑張ればいい。
本書を読んでいると、「コントロールできないところは諦める」という方が精神的によいのではないかと感じた。
小さなことでも感情の振れ幅が大きいと、最近はそれだけで精神が疲れてしまう。
できるだけ心は平静に保ちたいものである。
養老先生は癌と診断された後も、ご自身主催の「虫供養」にはどうしても参加したいという意向を示していた。
一方で、「虫供養」以外のことや、治療方針については中川医師の考えに委ねていたりして、その辺は意外だった。
「自分だったらどうするだろうか」などと想像しながら読んでいたが、人間とは生き方すら簡単に選べないものである。
その中で、自分の選べる範囲で精一杯考えて選択して、納得していくしかない。
養老先生のYoutube動画で度々おっしゃっていたが、「都会での生き方」について違和感を唱えていらした。
人間はもっと自然に触れて生きるべきなのに、そうしていないことで、様々な弊害が起きているのだという。
これには私自身も思い当たる節がある。
ほぼすべてが人工物で囲まれた都会は、それだけで息苦しくなる時がある。
本来は「自然に生かされている」存在であるはずなのに、まるで人間がすべてをコントロールしているかのような錯覚に陥る。
人間はいつからこうなってしまったのだろうか。
養老先生は価値観の脆さについても、警鐘を鳴らしている。
先生が幼少期の頃は、戦時中のためモノが無かった時代だったし、戦後になると今までの考え方が一変したことを経験談として語っている。
人の考えなんて、ある日突然簡単に変わるものだ。
だから「考え方」に「絶対」は無いのだとという。
この意見は非常に説得力がある。
もちろん自分自身にも当てはまることだ。
私自身が確固たる意志を持っていたとしても、それは「絶対」ではない。
本書の中で「養老先生も、考え方が変わったのでは」という部分があったが、年齢に関わらず、自分の考え方について柔軟になれるといいなと思っている。
後半は愛猫「まる」のことにも少しだけ触れていた。
我が家にも飼い猫がいるが、どうにも私にはなつかないようで、マイペースに家の中でごろ寝している。
猫にとって、私はどう見えているのだろうか。
お互いが死んだら「無」になる訳だが、それでは今現在の状況は「有」であると言えるのか。
この「有」とは、何だろうか。
無と有とはどういう関係なのだろうか。
人間も猫も所詮は動物であって、自然から見ればそう大した違いはない。
違うと思っているのは人間だけで、猫の方はそんなことすら考えていないのかもしれない。
私自身、人生後半の生き方をどうするか。
こうして思索する機会を、読書で得られるのは有難いことだ。
飼い猫を眺めながら、考えてみたいと思っている。
(2025/1/13月)