今日も僕たちは死んだ顔で満員電車に揺られて行く
午前8時半、一定の間隔でホームに滑り込む地下鉄は今日もぎゅうぎゅうに人を詰め込んで運んでいる。
ドアが開くと止めていた息吐き出すように人々が降り、もう一度吸い込むかのように飲み込まれていく。
(ああ、今日もこれに乗らないといけないのか…)
薄味の病院食に食べ飽きながらも毎日食べさせられている気持ちになりながら、ふと、眼前でパーソナルスペースを大いに侵害しあっている顔たちを見てみると、皆一様に暗い。最早この辛さから逃れる術を失い、どこか諦め、そして絶望しているかのような顔だ。
今日片付けなければいけない仕事をぼんやりと頭に浮かべながら、爽やかな朝を断絶するほの暗い箱に揺られていく。
こんにちは。西尾です。
皆さん、満員電車は好きですか?ぼくはめちゃくちゃ嫌いです。
ええ、ええ。おそらく嫌いな人がほとんどだと思います。
なぜこんな質問をわざわざしたかというと、面談やキャリア相談など多くの人に「どんな軸で仕事を選びたいですか?」と聞くと、40%ぐらいの確率(肌感)で
「朝満員電車に乗っている人たちの顔がとても暗くて、そうなりたくない」
という話をされるんですが
「いやいや朝の満員電車に楽しそうに乗ってる人なんている????????」
と思うんです。
例えばね、例えばの話だけど、あなたがディズニーランドが大好きで「毎週夢の国に行きたいなぁ~~~」って思っていたとします。さて、それが毎朝6時半に起きて7時過ぎから満員電車に揺られてディズニーランドで遊ぶということを40年やって下さいってなったとしたらどうですか?
辛くない?いや、着いてしまえば楽しくても行くまでの満員電車はやっぱり辛くない?
この話たいてい「仕事が楽しくないことの比喩」として使われているのだけど、「朝辛そうな顔をしている」のは「満員電車」によるものであって「仕事の楽しさ」による影響はほぼ無いんじゃないでしょうか。
むしろ、満員電車でめっちゃニコニコしながら楽しそうにしてる人いたら「あ、たぶんヤバイな」ってなりませんか。こんなに人にまみれてる環境、不愉快であれってなるでしょう。
というか、みんなの理想の朝ってどんな感じなの?隣の人とかに「いや~今日結構アツいアポ入ってるんですよ~」って話かけちゃったり「おいおい聞いてくれよ、今日はMTGが三本も入ってるからアドレナリン出まくりさ~」って感じ?ラテンノリ過ぎない?こええよ。
比喩表現と分かっていても個人的にこの「満員電車に揺られてる暗い顔になりたくない」って言われると、解決してあげられる気がしないので、会社から歩ける距離に住むか地方に引っ越してマイカー通勤するかしかないのではと思ってしまいます。
さて、どうして僕が今回この話題を取り上げたのかというと、「自分の人生懸かってるキャリアの問題で、超曖昧かつ使い古された比喩表現に逃げるな」ってことが言いたかったからです。誰かが言った言葉に対して共感し、深く掘り下げることも無く自分で思いついたかのように口に出しても、本当に掴まなければいけないものは手に入りません。
「何食べたい?」って聞かれて「まずくないもの」ぐらいの抽象度の高い会話をしても本当に食べたいものが出てくる可能性は低いし、たどり着くまでもかなり遠くなってしまうでしょう。
今の時代、情報が溢れ、識者の言葉を見ることも聞くことも容易くなっています。
そのため、誰しもが「それっぽいこと」を話せる時代でもあり、「伝わった気」にも簡単になれます。
今、僕は働いていて楽しいと感じることの方が多いです。それでも朝身体を起すのはしんどいし、満員電車は死ぬほど嫌い。「仕事が楽しい=満員電車が辛くない」の方程式が成り立つことは今後も無いとは思います。
どうせ毎日満員電車に乗らなければならないのなら、いや満員電車に乗らないとしても日々の仕事は楽しい方がいいですよね。
通勤の過程は後からでも変えられるけれど、仕事を変えることは結構な体力が必要になります。
世間に溢れる働くことへの「それっぽい」表現ばかり見て無理に自分を納得させるのではなく、自分のやりたいことや達成したいことを考える方が楽しく仕事ができると思います。
満員電車のことを考えるよりも自分の中の軸や志向はどんなものなのか考えていきませんか?