『なぜ起業するのか』決意するまでの2年間
そもそも「起業するのに2年も悩むな!」と言われそうですが悩んでしまったので仕方ないですよね。
はじめまして谷岡佑馬です。
この記事では2年もかけて「なぜ起業することを決意するに至ったのか?」
その経緯を高校卒業から現在までの挑戦と失敗した経験を通してお話したいと思います。
「なぜ起業するのか」起業家の皆さんは散々聞かれた経験があると思います。
また、これから起業したいと考えている人や起業を視野に入れている人も、きっと「なぜ起業するのか」その理由を絶対に聞かれることがあると思います。
はじめに言っておきますが、最高のモチベーションを維持できるなら理由はなんでもいいと思っています。
1章 東京理科大学での4年間
2014年4月に東京理科大学工学部二部建築学科(夜間)に入学しました。
入学の動機はかなりざっくりで大きく3つありました。
- 入試がデッサンと面接だったこと。
- 当時、zaha hadidの国立競技場のコンペ案をTVで観て建築家ってかっこいいなーと思ったこと。
- 野球を除くと絵を描くことが好きなこと以外、取り柄がなかったこと。
とりあえず、悩めるほどの選択肢がなかったので「どの道を選ぶのか」を考えず、「全力でやる方法」を考えました。
苦労した1年間と楽しかった3年間
それからは、入学3ヶ月前に2ヶ月間、現場で職人さん達と週6で働いたり、入学後半年間、現場監督補助をやりました。
一年生のころ、東京理科大学には必修科目として数学2教科、物理、英語2教科があり、それらで2つ単位を落とすと留年という制度がありました。
これまでまともに勉強などしたことがなかったし、高校では文系だったので1年間ほぼ毎日図書館に引きこもって勉強していたこともありました。結果は超ギリギリで留年を免れました。
周りの友人は余裕そうでしたが…(笑)
二年生になると、設計の講義が始まり、設計課題というものが毎週出ます。
本格的に建築設計の勉強ができることがかなり嬉しかったです。
それから四年生まで設計については学内でも高評価を常に得ることができ、それが当然のことのように思っていました。
在学中は組織系設計事務所やアトリエ系設計事務所でインターンとアルバイトをしていました。ほとんど設計デザインに関してはアトリエでの経験が力になったと思っています。
東京藝術大学院試験
僕は四年の前期に東京藝術大学の大学院試を受けました。この時期、ポートフォリオをまとめながら『自分の創りたい建築ってなんだ?』ということをずっと考えていました。
『どんな建築家になりたいのか?』『建築家になって何を成したいのか?』これまで考えたこともなかったことで、悶々としながら受けた大学院試は不合格でした。
合否の結果を見に行った帰りに公園でこれからどうしようか考えている時に、『建築を内側からデザインしよう』と考え始めました。
「内側」とは内観ではなく、「システム」のことで、「建築は人のライフスタイルの上にあるものだとするなら、その振る舞いによってデザインは変化する」と考え、ライフスタイルにあたる部分をデザインしたいと思いました。
今後、人々のライフスタイルに最も影響を及ぼすものはテクノロジーだと思い、AIやロボットを学ぶために全く畑違いのIT系の専門学校に入学することを決めました。
それから、卒業までの半年間は今の価値観を壊すために視野を広げる努力をしていきます。
2章 視野を広げる
この時の僕には「何かITを使って人々のライフスタイルに影響を及ぼすことで、内側から建築デザインを変える」みたいなふわふわした目標がありました。
このふわふわした目標を明確に軸のあるものにするためにこの時から約二年間かかることを二年後の今の僕は知っています。
幸運な出会い
院試に落ちて、とりあえずお金がないからつなぎのバイトを入れようと応募した所で面白い出会いがありました。
ちなみに僕は結構こういう出会いに恵まれています。
そこで出会ったのは不動産会社を立ち上げようとしている服が大好きでビンテージものを好む100億を超える売上を出す、不動産会社の設立メンバーで経営のほとんどをやっていた方です。
彼は僕の考えたことのないことをすごい勢いで目の当たりにしてくれました。この時に経営者の考え方に直に触れていたことに後から気づきます。
一緒に起業する予定でしたが、結果として半年間起業の手伝いをして専門学校に入学することが決まっていたのでそこで別れる形となりました。
今でもたまに遊びに行っています。
また、この頃は建築以外のことに積極的に目を向けたいと考え始めていた時期で、卒業設計の傍、ホテルのウェイターの仕事をしたり、添乗員の資格をとったり、起業の手伝いをしたりとこれまでに体験しなかったことに執着しました。
2018年3月に東京理科大学を卒業し、4月から専門学校に進学。なんとも異様な経歴ですが、もともと興味のあることにしか時間を割けないので間違いではなかったと思います。
3章 価値観の転換期
僕は高校三年の夏頃から大学卒業までの間、人間的にかなり偏った考え方や価値観を持っていました。
デール・カーネギー「人を動かす」
それは実力主義的な考え方で、「全ての事象においてうまくいかないことは自分に原因がある」だから自分のこともそうですが、他人に対してもかなり厳しい目で見ていました。
おそらく、学部時代の設計課題が個人技で他人と競う形だったことと、小さいころからスポーツをしてきたことで競争することに意識がいっていたことにあると思います。
この考え方のよくない点は、他人に興味を持てないことと他人に頼ることができないことにあります。全ての事象の原因が自分だけにあるのなら、常に自問自答だけをしていれば良いということになります。
他人から何かを得ようという考えが当時の僕には全くと言っていいほどありませんでした。あるとすれば自身の尊敬する人達のみでそれに値する人も多くありませんでした。
そんな狭い世界しか見てこなかったので、いざ自分が道を外れて今まで培ってきたものが通用しない世界に入ったら、実力が一番下になり、この考え方では自分を責め続けてしまうことに気づきました。
こういった価値観の変化の根幹にはデール・カーネギーの「人を動かす」を読んだことが影響を及ぼしています。
僕は映画や本の影響をすぐに受けるタイプなので順応するのに時間はかかりませんでしたが、意識して簡単に変えられるものではありません。
それから、1年半今でも意識し続けています。
意識し続けている3つのこと
この本から学んだことは大きく3つあります
- 怒るということは無意味どころか悪い結果をもたらす。
- 相手の話を聞くことができない人間は自分の話を聞いてもらえない。
- 他人に動いて欲しいなら、そう思わせる行動や言葉をかける必要がある。
ということ。
今でもこれら3つはかなり心がけています。怒るということに関しては特に気をつけています。
人間、怒りを感じることはあると思いますが、他人にぶつける前に相手のことを少し考えてみるといいかもしれません。
他人のために怒るとかいうケースがあると聞きますが僕は信じていません。大切な人が殺されたとかは別ですが、怒るという行為は相手のことを考えることができない馬鹿のすることだと思っています。
怒るということは「こうしくれ」と感情に任せて訴えているように見えるのです。これは、言い換えれば一種の「お願いごと」ともとれます。
自分の失敗したことやできないことを強引に「やれ!」と責め立てられて喜んでやろうとする人はいません。そんなことをするよりも、優しく見守ってあげたり、話を聞いてあげることが大切です。
多くの人は自分の中に答えを持っているので、失敗した時には話を聞いてあげれば次はどうすればいいのか自分で答えを見つけることができます。
結局、他人に言われても自分で気づかない限りは行動は変わらないので相手が自分で答えを見つけるまで、聞いてあげるだけでいいと僕は思います。
4章 マルチタスキングと失敗
結論から言って何もかもに手をつけすぎて中途半端になってしまったのです。
マルチタスキングの落とし穴
そして、僕はかなりシングルタスキングだということが最近になって自覚しました。というより身にしみました。
僕は基本的に1つのことしかできない人間ということです。
実は、人の脳は基本的にマルチタスキングには向かないそうなので悲観するより、この時期に自覚できてよかったと思っています。
ですが、理科大を卒業し専門学校入学当時は、知らない業界、知らない分野でやりたいことがたくさんありました。
どれもまとまらないので全てやることに決めて、「ロボット」「AI」「旅」「料理」「ホログラム」「IOT」「起業」などあらゆるものに手を出しました。
浅く広く、全体像を把握することを意識してこの1年間過ごして来ました。
お金がないので旅をするために、3月から2ヶ月間程度、週末に添乗員として関東県内を旅しながら、学校ではロボット工学、家では英語、家具のスケッチ、SNSを利用したプロモーションなどの勉強をしました。
5月になると前々から興味のあったホログラムを扱う会社のアルバイトに行くために、添乗員は辞めました。同時にSearchBooksなどのサービスを企画するためにプロジェクトマネジメント、どうやってアプリやサービスができているのか?その全体像を勉強し始めました。
プログラミングも実際にコードを書くことよりも、どんな種類があるのか?など、どちらかというとインフラの方に興味があり、何がどういう関係で成り立っているのかを理解したいと思い、実際のところまだまだですが、最近やっと落ち着いて考えられるようになってきた気がします…
8月頃から、これらのことに起業スクールともう1つインターンとプログラミング教室が追加されます。
正直、頭の中ぐちゃぐちゃで何が何だかわからないみたいな状態でした…プロジェクトマネジメントの勉強しているのに自己マネジメントができていないみたいな(笑)
それから、今年の5月まで、途中でホログラムの会社は辞めますが起業に集中して活動してきました。
この9月から翌年の6月までの間で、「蓋を開けたら何も成せていないじゃないか!」という状態が出来上がりました。
マルチタスキングは最終的な結果としてそうなる分にはいいと思います。
しかし、それは習慣化の先にあるべきなのです。
僕は現在大切なことは少しずつ習慣化していくことを意識しています。
5章 勘違いと思いこみ
さて、この頃の僕は起業スクールで半年間、起業するためのノウハウを学ぶために通い始めました。
その内容は実績を積むために小さな事業を繰り返し、成功体験を積み最後に自分のやりたい事業を計画するというものでした。
しかし、その時からずっと感じていた違和感が「起業する理由」にあたるところです。
「なぜ起業するのか?」これを「勘違い」と「思いこみ」で埋めていくのがこの章での僕なのです。
僕には、スクールに入る前からたくさんやってみたいことがあり、それと並行し、事業として英会話教室の斡旋や、脱毛サロンの斡旋など小さな事業をやりました。
結果、2ヶ月くらい経つと並行して進めることが難しくなり、アルバイトとインターン、学校と事業を2つ、自己研鑽に時間を取れなくなり、どれも中途半端になりました。
そして軸にしていたはずの自身のスキルアップに時間を割けなくなり、「他人を頼ることを強さ」と考え、他人に依存するような形になっていきます。
学部時代の僕は他人に頼るより自分でやったほうが早いし質も高いと思っていたのでこんな考え方を持てたことに成長を感じていました。ですが、それは大きな勘違いだったのです。
「他人に頼る、期待できることは強さ」これは間違いないと思いますが、いつしか自分のやっていることが「他人に甘えている」ことに気づきました。
ただでさえ自分ではできないことが多い業界で、マルチタスキング、「自分がやるより他人に任せた方が早いし質も高い」なら任せればいいと本気で勘違いしていました。
結果、僕はこの間、自分の苦手なことに関してのスキルアップのスピードが遅くなるだけでなく、他人に依存する形を作ってしまいました。
そして起業しようとしているのに、いつしか自分は主体ではなくなっている。この時、初めて自分の過ちに気づきました。
チームでやることに意義を感じているのでそれが勘違いを助長させてしまったとも思います。
頓挫、凍結した企画たち
この期間は、多くのプロジェクトを企画し頓挫させてきました。
2018年8月 (2週間)
脱毛サロン斡旋事業 売上40万円
大学生に対して紹介。アフィリエイトにより収入。
2018年9月 (1ヵ月)
英会話教室斡旋事業 売上数千円
英会話紹介のためにミートアップでコミュニティを形成し、イベントを2回開催しました。
その他、(企画、計画段階で頓挫したもの)
2018年8月
カサイクル(傘を店舗から回収し駅前で販売)
2018年8月-10月
Search Books(読書で繋ぐ大学間ネットワークコミュニティ「読書」×「SNS」)
2018年10月-11月
Rhinoceros(3DCAD教室、研修事業)
2018年11月-12月
Order(飲食店注文QRコード決済システム)
2018年11月-2019年2月
お茶の間(感情認識動画配信プラットフォーム×SNS)
2018年12月-2019年1月
Two Hours(朝活事業)
2019年1月-3月
docoiku(旅行、お出かけプラン提案アプリ)
2019年2月-3月
お笑い感情認識動画配信プラットフォーム
2019年3月-4月中旬
Pay per laugh(笑った分だけ課金されるお笑いライブ決済システム)
どれも、ヒアリングや分析を繰り返し進めてきたプロジェクトですが、大きな壁にぶつかった時に愚直にやりきる覚悟がなかったことが原因で失敗してきたと思っています。
この「覚悟」というのが僕にとっては「なぜ起業するのか?」に起因します。
これを、自分に納得させるためにプロジェクトごとにやる理由を考え自分に思い込ませてきたのです。
そして途中から「なぜ起業するのか?」わからなくなりました。
6章 嫉妬と無気力状態
僕の周りには自分よりも年下で、起業がうまくいっている人が一定数います。
彼ら彼女らと僕の違いは「熱意」と「スピード」だと思います。
僕の場合は、「起業すること」自体には目的意識を持てず、「なぜ起業するのか?」「何を成すためか?」ということで悩んでしまいます。
ですが、彼らはとりあえず「できることを全力でやっていく!」というスタンスのようで、トライアンドエラーも早く、事業内容の面白いかどうかではなく、初めはなんでもいいという感じです。
結果、そういう人の方がうまくいくように思います。
そして、彼らは協力者と機会を得ることでどんどん成長していきます。
そんな彼らと自分を他人が比較し始め、気づいたら自分でも彼らと比較して嫉妬するようになりました。さらに、どんどん焦って自分の生活基盤や想いの部分を削るようになりました。
それからは、「今までの自分の努力や挑戦は全て無駄だったのか?」とか「そもそも甘えていただけなんじゃないのか?」とかマイナスの方向に考えるようになりました。
そのうち精神的な不安だけでなく金銭的な不安材料も増え、自分を悲観し続けて挙句の果てにはFacebookなどSNSを見る度に、ほぼ全ての人と自分を比較するようになり、自分で自分を追い込む形が出来上がっていました。
そして、気づいた時にはベッドの上で無気力状態になり一日中横になる自分がいました。
その状態が2週間ほど続きました。
7章 自分を認めてあげること
立ち直ることができた理由が2つあります。
- 仲間の存在です。幸いにも数人の友人が心配してくれるような言葉をかけてくれました。
- やっと見つけたかもしれない「本当に自分のやりたいこと」です
ただ、「本当に自分のやりたいこと」が見つかったのならモチベーションは上がるのでは?と思うかもしれませんが、初めは雲を摑むような話で当時の僕には目標がでかすぎて初めの一歩を見つける気力が足りませんでした。
そして、無気力状態になりました。
この時の僕は全てのことがどうでもよくなっていたからなのか、頑張ることを辞めようと思いました。
その後、なんとなく部屋を掃除し始めました。一日かけて汚かった自分の部屋を掃除し、気づいたらレイアウトも前よりいい感じに変えていました。
部屋の掃除をしたこととレイアウトを前よりいい感じにできたことに対して「俺ってすげー」とか素直に思うことで少し気楽になれました。
部屋の掃除は素晴らしいですね。掃除をすると次は何をしようか自然と考えることができます。それからはビジネスコンテストを調べて応募するなど、小さな目標を立てて少しずつ達成していくことにしました。
だんだん前向きに考えられるようになり、これからは「飾らずに等身大の自分を認めて、明るく素直に人と接していこう」といい感じなモットーを決めました。
僕はこの時、側から見たら単に「サボっていた奴が何の気なしに戻ってきた」みたいに思うかもしれませんが、僕の中では初めての経験で、それを乗り越えられた実感が確かにあります。
側から見たら何も変わっていないし、むしろ状況は悪くなっていますが、自分の中では一段階強い自分になれました。
8章 起業する理由
僕の「起業する理由」は利他的なことはいくらでも言えてしまうので、利己的なことを言うと「自分が建築家になりたいと思える経済システムを作ってから建築家になるため」です。
めちゃくちゃなこと言ってますが、本気で建築業界の経済システムを再構成し、美しい建築や自然を創り出す仕組みを構築したいと思っています。
2年前に抱いた「何かITを使って人々のライフスタイルに影響を及ぼすことで、内側から建築デザインを変える」というふわふわした目標はこれらの経験によってやっとその軸になるものを見出してくれました。
この9月から6月までの10ヶ月間は辛い期間でしたが、結果として本当にやりたいことの軸を見つけるために必要な期間となりました。
そのやりたいことの第一歩が、今年の5月ごろから現在も構想しているもので、現段階で名前を『Aset』と言いいます。全ての人に価値ある家と、心豊かな生活環境を届けたいです。