「有益性」を捨てると書くのが楽になる
つい先日にnoteを書いたのですが、これがなかなかにスラスラと書けました。
もっと長くなりそうだったのをなんとか区切りをつけて2000文字以内に収めましたが、頭の中を可視化するのって楽しいですね。
この記事は3ヶ月ぶりくらいに書いたのですが、しばらく文章を書くことから離れていてもスラスラと書く内容が頭の中に浮かんできました。
短い文章で専門的な内容でもないですが、普段からまとまった文章を書かない自分にとってこの体験はちょっと驚きでした。
なぜか?と言われるとコツやらマニュアルやらがあるんじゃないかと思われそうですが、そんなものはなくただ「頭の中を可視化した」というだけです。
おそらくはnoteを書く人のほとんどが「読んだ人のためになる有益なこと」を書かないと!と気合を入れてネタを考えているでしょう。
ただしこのスタイルだと長くnoteを続けるための壁になってしまう。
普段から文章を描く習慣がない人のとってはなおさらです。
第一にそんなルールなんてありませんしね。
あとは見出しを設定しないことも文章を書くのが楽になります。
この記事でも見出しをつけていません。
見出しというのは文章全体を章立てて目立たせたり起承転結をわかりやすくするものです。
あったほうが便利...かもしれませんが「頭の中を可視化する」を優先して文章にしているので必要ないと思います。
私は普段から頭の中で考えることに見出しを付けていないのでこっちの方が楽です。
なので普段やらないことは省いてしまう。
まずは書くことが苦痛にならないように「ゆるくやる」のが大事。
誰かのためになる有益性は端っこに置いとく。
短くたっていいし文字数も気にしない。
頭の中を書き出してみる。
ルールを設けずに開きたいことを自由に書く事が最初の一歩になる。
最初の一歩というのは何事もハードルが低い方が踏み出しやすい。
踏み出せるから初めの一歩になる。
その一歩を少しづつ重ねていつかは日本縦断、そして世界一周するかもしれない。
そんな可能性を「有益性を捨てる」「頭の中を可視化する」の2つが秘めています。
誰かのためにはならないかもしれない。
それでも世界でたった一人「自分」のためにはなります。
noteを書くこと、さらに言うとネットで文章を書いて公開している人はほんのわずかしかいません。
本当にそうなの?ネットには記事が溢れているけど...?
そんな慰問もあると思いますが、個人ブログ以外ではネットの記事は大抵が匿名かサイトを運用している権利者名義になっています。
著作権を譲渡しているケースがほとんどだからです。
それに著作権譲渡するような記事が掲載されるサイトでは書きたいことを書いても通りません。
なので「ネットで書きたいことを書いた文章を公開している人」は少ないんですね。
例え誰かのためにならなくても「まとまった文章が書けた」「記事をたくさん書けた」「継続できた」
これらの行動が積み重なって実績になります。
何か1つでも継続できれば自信になるし実績にもなる。
そしてnoteに公開すればついでに誰かが読んでくれるかもしれない。
読まれるのが嫌だったら非公開にして自分だけが読めるようにすれぼ良い。
こんな感じで難しいことを考えず書きたいことを自由に書いてみると、何もネタがないと思っていても案外スラスラ書けたりするものですよ。