「広告を音楽にする」という仕事
全部AIに任せてみた日、僕の仕事の輪郭が見えた
──「広告を音楽にする」という挑戦から
最近、僕の仕事の半分はAIがやっている。 残りの半分は、絶対に手放さないと決めている。
その線引きを言葉にできるようになったのは、つい最近のこと。 きっかけは、自分が手がけている事業のなかで、一度「全部AIに任せてみよう」と振り切った日があったからだ。
その日できあがったのは、よくできた、けれど誰の心にも残らない広告だった。
「広告を音楽にする」という仕事
僕は今、リリックアドという音楽型の広告フォーマットを作る仕事をしている。
普通の動画広告では、BGMはあくまで背景音。映像やナレーションが訴求の主役で、音楽はその下を流れている。リリックアドは、この構造を逆さにする。
歌詞そのものが、商品やサービスの訴求になる。 楽曲を聴くこと=広告メッセージを受け取ること。 画面には、その歌詞がリリックビデオの形でテンポよく流れていく。
「広告にBGMをつける」のではなく、「広告を音楽にする」。 メロディに乗った言葉は、ただのコピーよりずっと記憶に残る。気づけば口ずさんでいる。広告でありながらコンテンツとして楽しめる——そこを狙っている。
そして、この仕事をある程度のスピードと品質で回せているのは、まちがいなくAIのおかげだ。 楽曲も、映像素材も、AIなしでは成立しない速度で形にしている。
リリックアドの詳細はこちら:https://lyricad.clutch-official.tech/
全部AIに任せてみた日
ある日、ふと実験してみた。 歌詞も、楽曲も、映像素材も、ぜんぶAIに任せたらどうなるんだろう、と。
工程は驚くほどスムーズに進んだ。短時間で、それなりに整った1本の広告ができあがった。
完成したものを見たとき、最初に思ったのは「悪くない」だった。 次に思ったのは、「でも、たぶん誰の記憶にも残らない」だった。
歌詞は意味が通っている。曲は綺麗にまとまっている。映像も破綻していない。 ただ、どれもこれも"平均点"だった。 クライアントが本当に届けたい一行はどこにもなく、ターゲットがふと立ち止まる引っかかりもなく、口ずさみたくなる語感も、ブランドにしかない世界観も、全部スルッと抜け落ちていた。
そりゃそうだよな、と思った。 AIは、僕が「何を訴求したいのか」を、本当の意味では知らない。
手放した仕事と、手放さなかった仕事
それ以来、自分の中で線を引き直した。
手放した仕事
- 案を量産すること
- 素材のバリエーションを試すこと
- "作業"と呼べる工程の大半
これらはAIのほうが圧倒的に速い。 ここに自分の時間を使うのは、もう意味がない。
手放さなかった仕事
- クライアントが「本当は何を売りたいのか」を聞き出すこと
- ターゲットの心に引っかかる一行を選ぶ感覚
- "刺さるか/刺さらないか"の最終判断
- ブランドの世界観そのもの
ここは譲れない。譲った瞬間、出てくるものは"平均点"に逆戻りする。
つまり、AIは「速く正確に作る人」で、僕は「何を作るかを決める人」になった。 オペレーターから、判断する人へ。 量を生む人から、軸を持つ人へ。
役割が変わった、というより、役割の輪郭がはっきりした、という感覚に近い。
AIは仕事を奪うんじゃなく、輪郭を浮かび上がらせる
「AIに仕事を奪われる」という言い方をよく聞く。 たしかに、奪われた仕事はある。僕の場合、ラフ案を量産する作業はもうAIのものだ。
でも、それと同時にこうも思う。
AIは、人間がやるべき仕事の輪郭を、はっきり見せてくれる。
AIが完璧にやれることはAIに任せる。 AIにはどうしてもできないことが、自分が本当にやるべきことだ。
その線引きが見えるようになってから、自分の仕事の意味が、前より深く感じられるようになった。 "なんでもやってる人"だった頃より、"これだけは絶対やる人"になった今のほうが、シゴトに夢中になっている気がする。
AIと人間の役割分担。 答えは人それぞれだけど、僕はこう思っている。
AIに「正解」を出させるのが仕事じゃない。 自分が「問い」を立てるのが仕事だ。
その問いが鋭ければ、AIはとんでもないスピードで応えてくれる。 鋭くなければ、返ってくるのは平均点。 だから、問いを磨くことに、これからもっと時間を使っていこうと思う。
「広告を音楽にする」という仕事は、たぶんAI時代じゃなければ、僕一人では成立しなかった。 でもAIだけでは、誰の心にも届かない。 その絶妙な間合いに立てているのが、いま、いちばん面白い。
リリックアドについて:https://lyricad.clutch-official.tech/