今の仕事に就くまでの遍歴
高校時代
日本の将来の不安が目に見えてきていて、将来の日本をなんとかしたいという気持ちがうっすらありました。
そのためには、教育に携わり優秀な人材を育て、その人たちに日本をなんとかしてもらうのがいいだろうと思っていました。
大学時代
生協学生委員に所属していました。
イベントで流す動画作成を担当していたり、人数の多い団体だったので、初心者歓迎のライブを開いたりしていました。
大学4年のときには教育実習に参加しました。
その中で、テストの結果データを集めるのに首から USB をぶら下げて歩き回っていたりなど、教育業界のデジタル化の進んでいなさに衝撃を受けました。
就職活動
自己分析をした結果、「自分で作り出したモノで目の前の人に喜んでもらえる仕事がしたい」という軸は決まっていました。
そのため、エンジニアだけではなく面白い文房具を作っている会社やゲームの企画会社なども受けていました。
エンジニアという立場からシステムを作り上げる力が付くこと、魅力的な人がいること、成長の基礎が作れそうだという理由で株式会社ワークスアプリケーションズに入社を決めました。
1社目: ワークスアプリケーションズ
噂に聞いていた通り、毎日終電で帰るといった、かなりハードな働き方をしていました。
社会人2年目が終わる頃に結婚して同棲したこともあり、もう少し早く帰れる会社に転職しようと考えていました。
幸いにも先に辞めた同期からベンチャー企業へのお誘いがあり
- 幅広い範囲の開発に携われそうなこと
- 新しいプロダクトを作り始める時期だったので、何か一つのプロダクトを最初から最後まで見届けられるいい機会
と思い、転職を決めました。
2社目: フェズ
社員が10人ほどしかいない状態で入社しました。
エンジニア組織は立ち上げたばかりで、ベテランのお二人に揉まれながらフロントエンドとしての力をつけていきました。
フロントエンドエンジニアは自分が退社するまでずっと一人だったこともあり、試行錯誤しながらプロダクトを作る力を身につけることができました。
また、デザインからフロントエンド、バックエンドまで一人で開発するといった経験は、ベンチャーならではの体験で、プロダクト開発における基礎はここで学びました。
思い描いていた将来の展望
学生時代から教育関係に関わりたいと思っていました。
大学を卒業して教員になる選択肢もありましたが、世の中のことを教えるためには一度一般的な会社を経験すべきだと思い、エンジニアの道を選びました。
エンジニアをしながらも、将来的には校内エンジニアのような形で、数学と情報を教えながら校内のシステムを作るのがいいだろうと考えていました。
その後、エンジニアとしてスキルを上げる中で、ある方から「一つの学校に影響力を狭めるのは勿体無い」とアドバイスを受けました。
そこで、プロダクトの力で教育業界を外部から変え、より広い影響力で将来の日本を良くしようと考えるようになりました。
3社目: WiseVine
2023年にはエンジニアとして自走する力もついたため、教育業界に転職することを考えていました。
転職に向けて動き出そうとしたその週に WiseVine からスカウトのメッセージがあり、教育業界ではないが転職活動のスタートとして話を聞くことにしました。
当時面接した時の CTO から「教育業界もいいと思うけど、せっかくいい教育を受けて社会にでた公務員が、日々の業務に追われてその力を生かせないでいる。将来の日本ではなく今の日本を救わないか」と口説かれ、悩んだ末に転職を決めました。
現在では WiseVine で自治体向けにシステム開発をしている傍ら、副業では教育向けのシステム開発をしているので、非常に充実したエンジニアライフを送れています。