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映画『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』から何を学べるか?

シブヤ大学 受講してきました!
映画『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』から学ぶ私たちの街づくり
http://www.shibuya-univ.net/classes/detail/1317/

映画は当時主流の都市計画の考え方(自動車社会への対応、スラム街の環境改善)vs 市民目線の生き生きとした生活を存続させる声、モーゼスvsジェイコブズという構図で、ジェイコブズ素晴らしい!という内容だったのですが、最も気になったのはなぜ対立してしまうのか?ということ。モーゼスは当時の社会問題を前提として都市のあり方を提示。ジェイコブズは再開発後の街の様子が、当初計画の通り実現していないことに疑問を持ち、生き生きとした市民生活こそ都市に求められると主張。映画の中では議論は成立しておらず、お互いに正義を主張して、最終的には裁判所でジェイコブズが勝利。ジェイコブズが課題に気づき、無理な計画を阻止したことは素晴らしいとは思うものの、なぜ向かい合った議論ができなかったのだろう。ビジネスの場ではasisとtobeという考え方があるが(http://kayumi.jp/archives/1809978.html)、あるべき姿と現状認識という前提を確かめないと、施策だけで良し悪しは確かめようがない。お互いの主張が何を前提としているのか、理解する努力があったなら、また違った結論も生み出せたのではなかろうか。勿体無い。

でも、この構図は至る所で発生している。オフィスを作る上でも企画側の課題意識からデザインが進み、メンバーの課題意識とはズレたまま。事業計画もトップダウンで、現場の課題意識とはズレたまま。双方の前提認識が合っていれば施策の良し悪しの問題になるが、前提がズレていたなら議論にさえならない。一方で、当人にとって前提はあまりに当たり前すぎて、意識すらされないのだろう。意見の対立があったなら、前提の確認へ戻ることからはじめる必要があるのではなかろうか?そこは時間を掛けないと、都市計画でいえば50年間の対立を生み出してしまう。デザインやらソリューションやら施策なんてその後の話だろう

組織に限らず個人の間でも一緒。非暴力コミュニケーションの分野では、自分の人生の質を左右する具体的な行動の「観察」、観察したことについて抱いている「感情」、そうした感情を生み出している、価値、願望、「必要としていること」、人生を豊かにするための具体的な行動の「要求」、自分のほうからこの4つの情報を表現したり、先に相手が表現するのを、共感をもって受け止めるようにしないと、対立は解消されないと言われている。要求だけを伝えていたら、協力を得られないだろうし、対立が生じかねない。

経験や価値観が違えば、前提が違うのは当たり前。複雑なものを理解することを諦めない。だからこそ前提を分かち合って、共に解決を模索することを21世紀のみんなの嗜みにしていきたいなと思いました。4月28日公開ですが(http://janejacobs-movie.com/)、メンバーがこの映画をみたら何を感じるのだろう。きっと色々だろうな〜

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