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超絶納品主義な僕

「戦う時はいつだって一人だぞ でも一人じゃない事もわかるだろ?」
僕の大好きなバンドのある曲の1小節。
これと同じことをいっているタイトルの本を読んだ。考えさせられることがたくさんあったのでここに書き留めていきたい。

WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE
~現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ~

2018年4月に幻冬舎から発売された。著者はコルクの佐渡島庸平さん。前から気になっていたのでやっと読める~!っていう感覚。

WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)www.amazon.co.jp1,620円(2018月10月15日 21:55時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する

「何かを得れば、何かを失う。」スポーツで結果を残そうとして練習に打ち込めば、きらびやかな青春を失う。逆もまた然りだけど。
そんなごく当たり前で誰もが無意識に受け入れている概念がここ数年で覆ろうとしている。
それがインターネットを使ったコミュニティだ。

コミュニティを語る上でキーワードになるのが安心自由
村社会だった時代はよそ者に対して排他的な態度を見せることでコミュニティ内の安心を担保していた。現在はインターネットにより、わざわざ望まないコミュニティに所属しなくても自由を手にできるようになってきた。いわゆる「個の時代」である。しかしそこに安心・安全は用意されていなかった。

安心と自由、両方を同時に得ることは不可能なの?

それがインターネットを使ったコミュニティでは実現できる可能性がある。
例えば学校で、見知らぬ人たちと無言でおなじ空間にいて「孤独じゃない」と感じるだろうか?逆に一人でツイッターを見ていて画面の向こうにいる知らない人と共通の話題について語り合ったりしたときなどに「一人ぼっちじゃないぞ」って感じたことはないだろうか。
そんな「not alone」な気持ちをもたらしてくれるのは、必然的に所属しなければならないコミュニティではなく”好き”で繋がったコミュニティだ、というのが佐渡島さんの提示した仮説だ。

”なめらかな”世界

僕はこの本に度々出てきた”なめらかさ”というワードが引っかかった。

テクノロジーなどのデジタルは時計の形や文字からなんとなく角張ったものを想像するかもしれない。逆にアナログは丸っこさを。
どうやらここでのなめらかさとは「ストレスなく生活できること」のようなものみたいだ。
デコボコした道を歩くよりも舗装された道路を歩くほうが疲れない、そんなイメージ。
今いろいろなところでなめらかさという言葉を目にしてるけど2019年はこの流れ、もっと加速するんじゃないかな。

んで、この「デジタルがアナログのデコボコを舗装していく」っていうのはめちゃめちゃおもしろいことのような気がしてる。
過剰に発展は危なくない?みたいに考えている人がたくさん世間にはいるのにも関わらず、テクノロジーがガンガン非常識を常識に変えちゃうっていうのが、村で化物だと思われて避けられてた主人公が実は世界を救うヒーローだったみたいな展開で胸熱。(笑)
僕は生まれながらのカッコつけたがりなのでやっぱりこういうのに惹かれちゃうなぁ。

「納品主義」と「アップデート主義」

佐渡島さんがコミュニティの運営を通して気づいたことの1つにこれが挙げられると、幻冬舎の箕輪さんとの対談で話していた。

納品主義:一回の納品で完成品を作り上げること。従来の企業の多くがこの形。会議や事前の根回しが重要。
アップデート主義:不完全でも多くの人にリーチをかけ、そこからで体験をもとにより良いものとしていくこと。

確かにこの2つに分類できる。そして僕は完全に前者である。アップデート主義へと流れが変わっていることは肌で感じているし必要性も分かるんだけどそこになんだか僕は息苦しさを感じていた。
そんな中、興味深い会話があったので一部抜粋する。

佐渡島:ただし「アップデート主義」が広がる世の中では、これまでの常識と違いすぎて、辛くなる人も出てくると思います。今は人間の変化よりも情報の変化のほうが速いので、変わろうと思っても体がついて行かない人は多い。
箕 輪:いろんな人がいろんな事を言うから、確固たる自分を持っていないと振り回される一方だからと。
佐渡島:そうです。情報量が多いとはすなわち意思決定をしなければならない量が多いことを意味します。そのときに、コミュニティは意思決定の量を減らす効果を持つ。

確かにそうだ。今までの人生を振り返っても完全に自分で意思決定したことはとても少ない。
ここに来てあれもこれも決めようとするようになったら辛くなったのだ。

でもそれ以上に悔しかったのは大切な人が人間関係で悩んだときに助けることができなかったということだ。そのときには僕は手段を知らなかった。
上澄みだけすくうような精神論しか言えなかったあのもどかしさを忘れられない。

でもそれでは守れない。救えない。

だから僕は将来、自分の大切な人たちが心を寄せられるような居場所を作りたい。たくさんの選択肢をつくりたい。それが巡り巡って名も知らない似たような境遇の人に届けばいいなって思ってる。
そしてそれはリアルな場所だけじゃなくて、本だろうが製品だろうがなんだってそれはできるはず。

僕のシワの少ない脳みそではまだ、「コミュニティ」という言葉の間口は広すぎて何をやったらいいかはわからないけど、向くべき方角はわかった。

戦う時はいつだって一人だぞ でも一人じゃない事もわかるだろ?