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新型コロナウイルス

新型コロナウイルス

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/

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新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として 厚生労働省 や 首相官邸 のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
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新型コロナウイルス

ysaitoh
2020/03/18 13:59

新型コロナウイルス

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/

再生核研究所声明553(2020.3.18) グローバリゼーションの問題 - 適正規模の必要性

コロナウイルス問題では世界中で憂慮、あるいは冷汗をかいているとも言えるのではないだろうか。 グローバリゼーションの結果、たちまち世界中に感染して 人類の生存さえ脅かされないと考えられる。 世界中 密接な交流、関係が進んだ結果、感染を止められない状況である。
オリンピック開催なども厳しい状況であろうが、そもそも大きすぎるスポーツ大会、学術国際会議、イベントの開催など大いに気を付けるべきではないだろうか。 ある種の大会、会議などどんどん規模を大きくして存在感を増大させる流れが自然にあるが、会議、大会の性格を吟味すれば、質の高い専門性を尊重した形での 適正規模というものがあるのではないだろうか。 一緒に開催して規模は大きいが、内実は小規模の連合で、全体的な大会は 実が少ない場合が実際には多いのではないだろうか。
今回のコロナウイルス問題は 人類のバベルの塔の建設のように グローバリゼーションの危険性を指摘しているものと考える。
ある種の個別化で、多様性を産み、危険性や偏り、 企画化を避け、世界をより偉大ならしめることが出来る大事な要素が あると考える。
教育の問題でも、統一試験や、統一的な選抜、カリキュラム、教育方法なども企画された多様性のない人間を育成させる危険性があるが、入試執行面等でも危険性が高い面を有しているのではないかと危惧される。 適正規模を絶えず、真摯に検討して行きたい。

尚、グローバリゼーションの危険性について、他の観点から触れた声明があるので付記して置きたい。

コロナウイルス事件は、何か、人類の あるおごり に対する、警告のようにも聞こえる。 心したい:

百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[5]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。— 「創世記」11章1-9節[

                                            以 上

付記:
再生核研究所声明 143 (2013.12.10)  グローバリゼーションの危険性

(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ 他の周辺の広大な農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で 他の農家がやって行けず、農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は 哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつに考察したものである。 成文化を試みたい。)

上記で いわゆる市場主義の原理で 事を進めれば、生業が成り立たなくなると言う、根本問題を提起している。 実例でも、例えば、 広々としたベトナムの農村では、田植えを 手で、一株ずつ人海戦術で植えているが、日本では、田植え機械で 夫婦二人で、どんどん田植えが行われている。稲刈り、収穫作業も同様の差がある。農作業の重労働を想い出し、胸を痛めたものであるが、アメリカの小麦の生産方式など考えれば、日本の農家の農作業など、ベトナムと日本の差以上であろう。それらが、市場主義、自由競争となると、ベトナムの農家も日本の農家も成り立たないのは、道理である。このような危惧は、至る所に現れ、世界混乱の主因になるだろう。長い間続いていた、文化、習慣、慣習、生活基盤の破壊である。― インドの痛ましい情景を時として、回想する。土を運ぶのに、土を籠に入れ 頭に載せて、沢山の女性が連なって運んでいる。普通考えられるトラックで運べば、如何に簡単に大量に運べるかを考えると、痛ましい仕事である。しかしながら、それらを機械化すれば、失業者の増大や、取り巻く環境の激変で大きな混乱が起きるだろう。
そこで、グローバリゼーションの危険性 を 夢の中の青年に代わって、世に訴え、注意を換気したい。
個々の存在してきた、事実、経過は大事であり、何事、新しい変化との調和に 思いを致さなければ、混乱の素になるだろう。何事変化に、早ければ良い、改めれば良い の考えには 根本的な問題が内在していて、危険であると考えたい。
グローバリゼーション は エントロピー増大の法則のように 避けられない面が有るだろう、そこで、絶えずブレーキをかけて行くような配慮、全体的な影響と調和を考える努力が必要ではないだろうか。

以 上 
追記、参考資料(ウィキペディア):
グローバリゼーション
グローバリゼーション(英: Globalization, Globalisation)は、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。
概略[編集]
この語は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。
世界史的に見れば、何らかの現象の「グローバリゼーション」は、大航海時代に起源を発する。大航海時代により、ヨーロッパ諸国が植民地を世界各地に作り始め、これによりヨーロッパの政治体制や経済体制の「グローバリゼーション」が始まり、物流の「グローバリゼーション」が起こった。これが本格化し始めた時期は19世紀で、ナポレオン戦争による国民国家の形成や、産業革命による資本主義の勃興が、近代の「グローバリゼーション」を引き起こした。
第二次世界大戦が終わると、アメリカ合衆国を筆頭に冷戦の西側諸国で多国籍企業が急成長し、現代の「グローバリゼーション」が始まった。1970年代から「グローバリゼーション」という語は使われるようになったが、より一層広まった時期は、アメリカ合衆国が湾岸戦争に勝利し、ソビエト連邦が崩壊したことにより、アメリカ合衆国の単独覇権が確立された1991年以後である。ソビエト連邦が崩壊すると、経済面では、「運輸と通信技術の爆発的な発展や、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大によって、文化と経済の枠に囚われない貿易が促進する事態」も指すようになった。グローバリゼーションの負の現象、例えば工業や農業といった産業が世界規模での競争(メガコンペティション)や、多国籍企業による搾取の強化と、それに伴う国内産業の衰退とプレカリアートの世界的増大という事態を指す場合もある。そのため、最近では否定的な語として用いられる例も多くなった。
1991年以後、グローバリゼーションの負の現象を非難する人々は、主要国首脳会議の開催地などで反グローバリゼーションを訴えている。又、グローバリゼーションが多国籍企業を利して末端の労働者を害する現象「アメリカニゼーション」だと揶揄する人々も少なくない(グローバル資本主義)。
2010年代に入る前後からは、かつてコスト削減や利益を増やすために中国企業に積極的にノウハウを教えた日本の企業が、逆に中国企業に買収される動きも出ている[1]。
異義語[編集]
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は国家と国家の間で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は地球規模で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。
訳語[編集]
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所の「外来語」言い換え提案では「地球規模化」を挙げている。グローバリゼーション、グローバル化といった言葉もよく使われる。中国語では、「全球化」と訳される。
徴候[編集]
グローバリゼーションの傾向が認められる現象は多くあるが、現代の「グローバリゼーション」では3つの流れがある。(1)第二次世界大戦後に地球規模化した現象、(2)世界恐慌最中の1930年代前半に失われたが、現在に復活している現象、(3)米ソ冷戦終結後の1990年代に地球規模化した現象:の3つである。これらの現象には、ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系、インフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。一方で、様々な社会問題が国家の枠を超越し、一国では解決できなくなりつつある。
より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
世界経済の融合と連携深化。
貿易の発展。
直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
国際金融システムの発展。
多国籍企業による世界経済の支配割合の高まり。
世界で最適な調達・販売を行なうサプライチェーン・マネジメントの発達。
航空と海運の航路増大による物流ネットワークの発達。
インターネット、通信衛星、電話などの技術を使った国境を越えるデータの流れの増大。
地球規模的に適用される標準、基準などの増加。(例:著作権法)
異文化交流の機会増加。
増大する国際的な文化の交換。文化の同化、融合、欧米化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、日本化及び中華化を通じての文化差異の減少。
増加する海外旅行、観光。
不法入国者・不法滞在者を含んだ移住者の増加。
政治主体の一元化
世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
国民国家の枠組みにとらわれないNGOなどの組織拡大。
WTO、WIPO、IMFなどの国際的組織の役割の増大。
経済的格差の世界化
世界的な富裕層の増大、発展途上国における中流階級の成長、先進国の中流階級の没落・貧困化
社会問題の世界化
疫病の世界的流行。
犯罪の世界規模化。
地球全体の環境問題。
紛争への世界的関与。
※上記のすべての項目に地球規模化が認められるかどうかについては議論の余地がある。
賛否[編集]
グローバリゼーションの進展については、賛同して推進しようとする意見もある一方で、批判も強く、様々な立場から撤廃しようとする意見[(反グローバリゼーション・脱グローバリゼーション)が提示されている。様々な分野においてその功罪につき議論されている。
国家経済的視点では、ジョセフ・E・スティグリッツは、グローバリゼーションの利点を認めつつも、現状の市場・制度の下では二極化が進む欠点の方が多いと述べる。 またポール・クルーグマンは主に覇権国家や多国籍企業の利益追求を肯定・促進する(新自由主義)ために広められるドグマの一種であると書いている[要出典]。ただしその著書『グローバル経済を動かす愚かな人々』からも分かるように、クルーグマンはグローバリゼーションそのものに反対しているわけではない。
以下でグローバリゼーションに対する賛成・反対双方の意見を載せる。ただしここに載せた意見が経済学的に正しいとされているものとは限らない。貿易#貿易に関する誤解も参照の事。
賛同[編集]
国際的分業(特化)が進展し、最適の国・場所において生産活動が行われるため、より効率的な、低コストでの生産が可能となり、物の価格が低下して社会が豊かになる。
投資活動においても、多くの選択肢から最も良いものを選択することができ、各企業・個人のニーズに応じた効率的な投資が可能となる。
全世界の様々な物資、人材、知識、技術が交換・流通されるため、科学や技術、文化などがより発展する可能性がある。また、各個人がそれを享受する可能性がある。
各個人がより幅広い自由(居住場所、労働場所、職種などの決定や観光旅行、映画鑑賞などの娯楽活動に至るまで)を得る可能性がある。
密接に各国が結びつくことによって、戦争が抑制される可能性がある。
環境問題や不況・貧困・金融危機などの大きな経済上の問題、人権問題などの解決には、国際的な取り組みが必要でありこれらに対する関心を高め、各国の協力、問題の解決を促す可能性がある。
反対[編集]
安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで競争が激化すると、競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされる。
投機資金の短期間での流入・流出によって、為替市場や株式市場が混乱し、経済に悪影響を与える。
他国・他地域の企業の進出や、投資家による投資によって、国内・地域内で得られた利益が他地域・国外へと流出する。
従来は特定地域に留まっていたテロリズムや武力紛争が全世界化し、各地域の安全が脅かされる。
多国籍企業の進出や人的交流の活発化によって、生活と文化が世界規模で均質化し、地域固有の産業や文化が消滅する。
地域間競争の活発化によって、投資・経済活動の巨大都市(世界都市)への集中が進み、農山村や中小都市が切り捨てられ衰退する。
多国籍企業の影響力増大によって、各国の国家主権や地方自治が破壊される。
投資家やエリート官僚が政治を牛耳るようになり、各国・各地域の民主主義はグローバルな寡頭制に置き換えられる恐れがある。
厳しい競争の中で企業を誘致したり国内産業を育成しようとするため、労働環境は悪化し、環境基準が緩められ、社会福祉が切り捨てられるようになる(底辺への競争)。

再生核研究所声明552(2020.3.16)  動物、植物;微生物、人間;ウイルス、天才 - コロナウイルス問題。

最近 立派な鹿が檻にかかり 神の化身のように感じられて、ある思いが湧いてきた。--- 周辺は猪、猿、鹿が出没して、畑には防護柵をしていて、市でも駆除の檻などいろいろ仕掛けている。家でも柿やかぼちゃなど猿に襲われ壊滅されたりしているが、眼前の原っぱとその先に山、それらが夜に山から下りてきて、原っぱで暴れていく様が見えるから如何に山奥に住んでいるかとの思いも新たにさせられる。 周辺には80頭くらいの猿が生息していると考えられる。
声明の発想であるが、まず山中を歩くと、どうして そのような動物が生息しているのか不思議で仕方がない。 豊かに動物たちがどうして生息していられるのだろうか。 厳しい冬など どのように どこに潜んで生きているのだろうかと思う。 そのような気持ちで、 連なる山々を望むと 山中に住む立派な角を有する鹿など、誠 神の化身 のように感じられた。 山中に現れた 別格 美しい存在である。 豊かな自然の中から現れた 美しい存在 鹿である。山々の存在は 異質の存在に見える。 
鹿の存在、生息を可能にしているものが 豊かな植物たちである。 動物の存在を支えている雄大な世界が植物として存在するから、動物の存在が可能になっているが、それらの存在は相当に異質であると考えられる。このような関係は 微生物、ウイルスたちの関係でもそうであると言える。それらはまた、動物と人間の存在、 天才の存在と人間の存在の関係でも言えるのではないだろうか。
これは ある集団が ある集団を背景に存在しうる関係を述べていて、それらの集団の性格が相当に変わっている事実である。確かに人間を進化させたような人々、天才集団は存在していて、 普通の人たちと相当に違っている様が見える。
それらの種の違いは 不連続性と表面的には見えるが、詳しく調べると それらの間がいろいろ存在して、実際は連続的な分布をしている視点にも留意して置く。 天才と普通の人、普通の人と高等動物の間の存在にも注意したい。 - 人間と動物は違うなどど軽率には考えられない - よくよく考えれば本能的には 人間の存在も 動物の存在も 変わりはなく、みんな胃腸につかえていたり、本能原理に 人間も本質的に支配されている現実を知るだろう - 実際、人間とは 結局何をしているのか? と 問いたい。
神の化身のように見えた鹿を見て、背後の雄大な自然に想いを致した。 そして厳しい自然の中を生きてきた逞しい存在に、畏敬の念が湧いてきた。 日本では神社などに祭っているが、その精神が自然に良く理解できた。 豊かな自然と動物の調和ある存在である。
野生動物、植物は尊い存在であり、我々の存在の基礎であることの思いをしっかりさせたい。

この言葉で声明を纏めても良いが 最初の思いには別の発想があった。 どうして野生動物が存在しているかの不思議さであった。 2020.3.14朝 散歩していて、気づいた。もはや本質的には 新しい生命は発生しない。 ただ生物の僅かな変化だけが存在して、発生した生物は 環境と上手く調和して生存してきていて、繁茂している。 生物は豊かな自然環境の中で、微妙な存在を保っていると考えられる。
この発想は、人間社会と個人の存在についても同様と考えられる。
現在の大きな話題、問題、コロナウイルス問題。 それは大きな国際問題、社会問題になるだろう。 しかしながら、大きな視野に立って、対応を考えて行きたい。地球上の人類の生存。その視点である。

                               以 上
付記:
2020.3.14.7:44:: 今 猿が 3頭きて、研究室の 樋を壊した。 庭の木の芽を 食べている。 逞しい、大きな猿である。まだ、もう猿が出るとは信じられない。ー 我が家には猿のエサはないと思ったから、- 我が家、庭での事件です。ある考えが 湧いた。 富士山の頂上が尊いと感じられるのは、 雄大なすそ野が存在して、広がっているからである。 あることを暗示したい。 両隣り、それぞれ車4台、5台を有する。家が結構密集して存在している環境。

再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと

世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。

国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。

特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。

この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、

確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。

ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として認められている。国家の三要素:

領域(Staatsgebiet:領土、領海、領空)- 一定に区画されている。

人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。

権力(Staatsgewalt)ないし主権 - 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souverän)なければならない。

このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。

声明10において、絶対的な世界の平和が実現したとき、いわば世界が全体として1つの国のような存在になるから、そのときには国の構成はそれほど重要な意味を為さない時代を迎えることになる。そのときの国とは、その構成員たる人民の自由な意志によって、国が構成され、如何なる国といえども、その力によって強制されるべきではなく、また強制すべきではない。これを保証することは地球防衛軍の基本的な任務であり、目的である。すなわち国家とは、全ての人民のために存在するのであって、如何なる人民も犠牲にしたり、強制したりしてはならないのであって、人民は国家に対して不満を有するときには自由に望む国家を構成できるものと考えよう。歴史上武力によって成し遂げられた所謂独立戦争は、平和な民主的な自由な意志によって、今後は自由に独立を認めていくべきである。国際機関が このように自由な国家を構成する権利を 全ての人間に基本的な人権として生存権ともに保障することを求めます。みなさん、これは決して難しいことではなくて、世界全体が日本国のようになり、国々が日本国の都道府県のようになればよいのです。このような世界を実現させ、暴力のない世界をつくり、世界の愚かな軍事費を 美しい世界の営みにまわそうではありませんか。

以 上

再生核研究所声明 8 (2007/08/01): 日本国の防衛の在り方について

国家には多かれ少なかれ軍隊が必要であり、国の治安を維持し、国に住む民の安全を保障することは、国家の最も基本的な任務である。そのために軍事費と軍関係の経費は、この21世紀を迎えても、多くの国々で国費の大きな部分を占めている。日本の2000年近い歴史の中で、日本をまともに攻めて来たのは、所謂蒙古襲来と第2次世界大戦だけであり、あとは逆に侵略の戦争であり、その他における日本の軍の多くの役割は、国内統一と治安の維持の役割を果してきたと言えよう。現在の国際状況と国内状況は、侵略を受ける危険性と国内治安上の観点からどのように評価されるであろうか。

まず、侵略を受ける危険性は殆どないと言えよう。殆どでは国の安全は保障されず、よって不安であるという意見が出て来ると考える。先ず北朝鮮がロケットを発射して日本を脅かす、中国軍の増強は危険である、韓国が日本の領土を侵す。ロシアが日本の国境を侵すなどの不安があると考える人がいるだろう。北朝鮮の問題は最も危険であると考えられよう。これらからの安全の為に、集団防衛構想を進め、いわばアメリカの傘の中で日本の安全を保障していく戦略が、実際、現在の日本政府の基本的な方針であると考えられる。安保条約もその現れと解釈できよう。 しかしながら、果たしてそうであろうか。仮にロケットを発射して日本を脅かし、或いは実際にロケットその他で日本を攻撃してきたとき、日本が何の抵抗もしなかった場合、北朝鮮は攻撃を続け、何か利益を得る事ができるであろうか。第2次世界大戦以前ならばいざ知らず、現在においてはもはやそのような事はあり得ないと考える。日本の国際社会における大きな役割と国際社会の発展は、決してそれらを許さないと考える。日本の経済活動が停滞すれば、アメリカも中国も、また、国際社会も直ちに重大な被害を直接受けるからである。もっと重要な観点がここで考えられよう。超大国アメリカは軍事大国であり、国是として自由と正義を希求し、正義のためには戦争も辞さない、いわばエネルギー溢れる国であるということである。イラク問題ではアメリカの正義は揺らいでいるが、3500名以上の犠牲者を出し、膨大な軍事費をかけて出兵しているのは、アメリカの国益がかかっているものの、大義としては、世界の正義 (大量破壊兵器の破壊と独裁主義の排除)とアメリカのエネルギ-の高まりと理解されよう。世界の平和と正義のための、アメリカの民主主義と力を重く評価したい。他に触れた危険性については、遙かに危険性の小さなことで、国境のいざこざが生じても大した問題ではないと判断される。実際、2000年来1度も侵略してきたことのない国々に対して危険であるというのは、逆から考えれば大変失礼なことではないであろうか。

第二の国内治安上の問題については、日本は大変よくまとまった民主主義国家であるから、殆ど問題はないと判断される。しかしながら、この点において、日本の防衛は危うい、ということを特に触れておきたい。日本人の心を痛めている、所謂拉致問題であるが、これはいわば国内治安の脆さを露呈したもので、このような事を許した日本国の責任は重大であると考える。日本の領土、海、空を侵されては、国家としての形は整わず、防衛構想の根本的な在り方についての点検と強化が必要であると考える。これは平常兵器による国防の強化と情報戦に対する強化を意味しています。

以上の考察のもとに、日本国の防衛構想と防衛戦略を提案したい。 まず第一に、日本は1度の敗戦で、独立心と自信を失ってきていて、アメリカ従属の精神から抜け出せないのは誠に残念である。歴史と外交は重いものであるから現状を一旦尊重して、今後の方向を慎重に検討していく必要がある。アメリカの民主主義と力を重く受けとめて、日米安保条約はこれを当面堅持していくとして、方向としては

1) 駐留なき安保を目指し、

2) 軍事的には、アジア諸国に脅威を与えないように、縮小する方向

で努力することとしたい。アメリカの要請を受けて、安保条約の強化と軍事的な貢献を求められている状況があるが、日本は平和憲法の精神で、アメリカの軍事力も世界の軍事力も縮小していく方向で努力していくものとしたい。これはアメリカと世界の利益にも叶う道であるとしたい。さらに、

イ) 兵器開発や軍事産業、研究を、民生を豊かにし、環境を保全していく方向に転換させ、力を向け

ロ) 平和のために、憲法の精神のもとで積極的に努力し、軍事費の減少を世界的に働きかけていく

ように努力したい。日本の軍隊は防衛に徹して、平常兵器による日本の陸、海、空を防衛し、特に情報戦に備えるための強化に努める。特に世界の状況を絶えず深く分析して、危機に有効に対処すべき戦略を練り、具体的な対応ができるようにすること。上記考察に従って、軍事費は縮少させ、質的な強化の方向を目指すものとする。

ところで、日本は世界の平和のために、軍事を含めて、さらに貢献すべきであるという見解が表明されていて、そのために憲法を変えるべきであるという見解が出てきている。これは理論的にはよく分かる見解であり、将来検討の余地があると考える。これについて、次の3点を指摘し、当分これは見合あわせ、内政の充実と経済力の強化に努めるべきであると考える。

A) 世界の正義を決める国際連合は、所謂戦勝国が中心になって作った国際機関であり、日本は正当なる処遇を受けていないので、正当なる処遇を受けるまで、国際社会に対して軍事的な貢献を果たす責任はないこと。

B) 国、地方団体の借金が1000兆円を越え、年々大幅な財政赤字を抱えている現状では、国際貢献どころか、日本が国際社会に迷惑をかけないで、やっていけるような状況を作り出せるまで、全力を尽くして内実に努力すべきである。国内は既に大きな歪みを抱えている。

C) 国内政治状況を見ると、憲法を改正して、良い憲法ができるどころか、悪い憲法になってしまう危険性が逆に大きく、現在憲法を変える能力が、日本国には未だ欠けていると判断される。

以上

http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360;  http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/

日米安保条約の第5条では、
「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という一文があり、
アメリカの憲法上、『宣戦布告の権利は議会にあり』、
議会に承認が得られない場合→米軍は動かない可能性がある。

平たく言うと、
例えば、中国が日本に攻撃して来て、
アメリカ政府が日本への集団的自衛権の行使を約束していても、
「米議会が『反対』したので米軍を動かせないから、ごめんね、反撃*出来ない」と
断ることが可能。

つまり、アメリカは、米議会が『NO』と言えば、
いつでも自由に「日本の防衛をしない、集団的自衛権を行使しない」ことが可能。
このように、アメリカは日本に対する『集団的自衛権』についてフリーハンドを持っている。

*個別的、集団的も含めて自衛権とは、「反撃権」のことを指す。

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1428122322/-100

適切では・・・・

弁護士川口創 @kahajime 9月23日 アメリカから押しつけられた憲法を恥ずかしい、と言いながら、アメリカから押しつけられる政策には唯々諾々と従う。この思考が理解できない。 →残念です。 →これでは国民が可愛そうです。

削れぬ思いやり予算もあえて政策コンテストに 防衛省

http://www.asahi.com/politics/update/0813/TKY201008130460.html

http://www.asahi.com/politics/update/0813/TKY201008130460_01.html

米軍基地が、日本国内にどれだけあり、米軍駐留費をどれだけ日本が負担しているのかを、ドイツや韓国など他の米軍駐留国と比較してみるべき。もちろん米駐留費負担は日本がダントツ1位だが、2位のドイツの負担額と比べても、なんと9倍!となっている。このような情報を確かめ、このような観点からも、検討の余地があるのではないでしょうか。 

日米共に極めて厳しい、財政、経済状況に追い込まれていますから、友好のなかから、軍事費は、減らす方向で努力するべきではないでしょうか。

アジアの平和は、中国にお任せするような戦略が良いのではないでしょうか。

このまま行くと、日米共に破産の方向ではないでしょうか。 

共倒れですね。

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#更新2020年3月18日




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