来るべきデザイン
尋常でない進化の加速度をもって科学技術は、途方もない専門特化した領域を作り出した。一方で成熟したグローバルマーケットからは、次々新たなニーズが発生し、これに応えるべくインフラから消費財まで、そのサプライチェーンのプロセスは加速し拡張する。20世紀は科学技術のシーズと生活のニーズが分化し、お互いが競い合う資本主義的関係の中でありとあらゆる人工物が吐き出され、消費された時代でもある。
ところが、それらの特化した技術的進化、あるいは資本の流動性に恩恵を受けつつも、ひとりひとりの生活一般は、人工物に囲まれたそれぞれの環境という総合性の中に暮らすことである。今ここで重要なデザインの視座は、専門特化した技術や生産の方法に位置づけられるのではなく、生活者に与えられた環境の中に根ざすべきであろう。本来のデザイン活動は、そうした生活者の視点から再考されるべきであると思うのだ。
今こそ統合的な視座からの製品設計に直結するデザインの視座が必要なのであるが、もはや工業製品が設計される段階から流通を通して生活者に届くまでのプロセスにおいても、それぞれの専門に分化したデザイナーの立ち位置が至極当然である。では、より先鋭化したクリエイテイブをデザイナーという職種が担っているという世界の中で、在るべき姿としてのデザインの活動にどれだけの統合的な力を持たせることが可能なのか。ここに一つの事例をあげてみたい。
アップルの故スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学でのスピーチに於いて「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」という言葉を『ホールアースカタログ』から引用した。ここで、その編集者スチュアート・ブランドが伝えるメッセージは単純なものだが、本質的な問題の存在を世界中の人々に気づかせてくれた。『ホールアースカタログ』の創刊号の表紙にその姿勢が明確に現れている。そこにレイアウトされた写真はNASAに開示を要求したとされる「全球写真」だった。当時軍事的な機密として扱うベき貴重な存在だった宇宙空間から撮られた地球の全景である。
1961年、ジョン・F・ケネディはアメリカ人が月に降り立つことを目標に据えたアポロ計画を米ソの冷戦状態の中で明快に打ち出した。米国の科学技術は、軍需と相まって進化を続ける。しかしその月に向かう宇宙船の窓から振り返ることで見えてくるのが、この地球の全球ヴィジョンである。宇宙空間の中にただ一つの地球が浮いている。一冊のマガジンの表紙に提示されたのは、手のひらに収まってしまうかのごとく一つの球体として宇宙に浮かぶ限られた一つの環境なのである。写真を見る誰もがこの事実を直視する。つまりこの写真の公開を国に要求し、『ホールアースカタログ』と名付けた雑誌の表紙を飾ることで初めて多くの人の心を動かすデザインのクリエイティブが可能となった。
さらにスチュアート・ブランドは、ロング・ナウ協会における運動のなかで、西暦の四桁は頭に0を付けて5桁で表記を勧めている。つまり2015年を「02015年」と表す。一万年を時間の単位の基準として今起こる事象を考えようというメッセージである。視座の拡張を促したこれらの構想力は、我々が今後対応すべきデザインや編集の本質に迫ってくる。そのような気付きは生活者全体に届く可能性を持っている。そして生産に関わるひとも同時に生活者であり、関わるすべての人々に根本の姿勢を問うことも可能なのである。
また加えて興味深いのは、いわばヒッピー的な自由主義者と思えるスチュアート・プランド自身が、一方で新しい『原発』の開発に賛成していることである。思うにここで氏は、必ずしもイデオロギーから固められた不自由な単一のヴィジョンからではなく、時空の位相を変え俯瞰した視座から現在の生活に戻る時、再びゼロベースで多様な論議がなされることを惹起している。生活者からのデザインを考えるうえでも、時間的・空間的に大きく開かれた場のなかで新たなヴィジョンの形成が促されることが、最も重要なデザインの視座であることが確認できる。