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好きだったことと興味があったこと、略歴

好きだったことと興味があったこと、略歴

幼少期は特に、度を超えた「なぜどうして病」だった。「どうして空は青いの?」というような普遍的な子供のどうしてから始まり、自分が納得できないことはなんでも聞く。「なぜ」を解決するために、博物館・美術館、遺跡公園や図書館に足繁く通っていたが、対応しきれなくなった母は、ついに子供用の百科事典と国語辞典を買い与えてくれ、自分で調べるのも楽しいよ、と言った。そしてそれまで読み聞かせてもらっていた数々の本を自分で読むようになった。

本が好きになってからは海外児童文学を中心に読み漁っていた。小学校3~4年生くらいから本格的にファンタジーの世界にはまりこみ、友達が減る。古典ファンタジーや神話も読んでいたので、意味が分からない言葉・難しい漢字・知らない表現にたくさん出会った。知らない言葉は愛用の辞書でひたすら引く。知らない言葉は、日本語なのに外国語のような響きを持っていて、私を魅了した。

映画化した作品は全然流行っていない頃に読んでいて、マイナーな海外ファンタジーの本の帯に「ハリウッドで映画化決定!」とあるのを見つけて歓喜していたのに、結局ボツになって落ち込んだ思い出もたくさんある。あとは小学校の図書館にあったアガサ・クリスティ、江戸川乱歩の推理小説も読み漁っていた。とにかく本の虫だった。辞書や図鑑を読みこんでいた時期もあり、博物館・美術館の図録も好きだった。あとは宇宙科学と人体の不思議の本も。世界にはたくさんの秘密があって、本を通してそれを垣間見るたびに、どうしようもなく胸が高鳴った。

宿題をやっていないのに本を読んでいると怒られるから、宿題に使うふりをして漢字辞典や広辞苑を読んでいた。詰めが甘いので開いていたのは算数の宿題。もちろん怒られた。
ちなみに漫画との出会いは小学校の図書館にあった手塚治虫の「火の鳥」。得体のしれない恐怖感とワクワク感で夢中になり、授業中もずっと読んでいて、やっぱり怒られた。
集中すると、周りをかえりみないタイプだ。

小学生のころからピアノとバレエもやっていた。
本の虫だった反面、言葉にできない何かを表現することにもあこがれを持っていて、上手ではなかった(ピアノに関しては不真面目ですらあった)が10年くらい続けていた。当時は口を開くと本の話をするせいか「変わった子」と評価されていて、何となく周囲になじめていない孤独を感じていたから、言葉によらない自己表現の方法を求めていたのだと思う。

ピアノは、感情に左右されやすい演奏で、先生を困らせた。ショパンの「雨だれ」という曲が大好きだったが、日によっては「今日は雷雨ね」と言われてしまうこともあった。嫌なことがあった日だ。
バレエは、踊ることも好きではあったけれど、特に華やかな表舞台と舞台裏の世界のギャップに惹かれた。薄暗い舞台裏で、キラキラを生み出す人たち―舞台監督や照明、音響といった、外からは見えないプロフェッショナルに憧れを抱いて、自分の出番が来るまでは、スタッフの方達にちょこちょことついて回っては、色々なものを見せてもらった。(今思えばとても迷惑な子供である。スタッフの方々はとても親切で優しかった。)照明・音響・舞台美術などの舞台裏の「秘密」が大好きだった。舞台裏の世界に足を踏み入れるのは、本を読んで様々な世界の秘密に触れた時と同じワクワクを感じる。

金銭事情でバレエを辞めてからも高校の部活で演出をやったり、照明をやったり、脚本を書いたりしていた。自分の手で、舞台に立つ人をいかに輝かせるか、いかに惹きつけられる空間にするかを考えるのはワクワクする。そして、それが人の心をちょっとでも動かしたときには、ドキドキして何とも言えない高揚感を感じる。

勉強は好きだったが、中学・高校と好きなことを好きに勉強した結果、大学受験時に文系理系も決められなかった。受けた学部は知覚心理・認識科学・文学(美術)・民俗学・国際文化とばらばら。センター試験で撃沈し、第1志望の国立大学を受けられなくなったのもあり、興味がある学部の私立大学を何校も受けた。最終的には悩みに悩んで、1~2年生は文理問わずに好きなことが勉強できる点を決め手にICU(国際基督教大学)に入学。授業は知覚心理学を取ったり、考古学を取って学内の遺跡を発掘してみたり、ラテン語をやってみたり、スペイン語を頑張ったり、生命科学とか環境科学を勉強してみたりしたが、「今ある仕組みや考え方がどうしてそのようになったか」という軸で卒論のテーマを決めたかったので、歴史学を選択。

「今ある仕組みや考え方がどうしてそのようになったか」という疑問は、自分がいつも抱えている問題に由来した問いだった。「変わった子」と言われていたことが胸の奥に残っており、「変わっている」ってなんだろう、「普通」ってなんだろう、とずっと思っていたためである。私には当時「普通」がどういうものだかわからなかった。いま、自分は自分の基準ではノーマルな状態で、自然に生きているのに、「違う」と判断される。だれがどんな基準で決めていて、どうしてその基準で判断されなくてはいけないんだろうとずっと思っていた。それを、大きな枠組みで見てみたかったため、卒業論文という区切りで研究してみようと決心した。そこで、卒論は「どうして東洋は西洋より劣っているという価値観が世界で一般的になっているのか」を問いの原点に、「初めて東洋世界を広く旅したマルコ・ポーロの旅行記が、西洋の価値観の形成に与えた影響は?」というテーマで執筆。

学生生活は、好きなことを好きに勉強する傍ら、やっぱりドキドキワクワクすることを求めて音楽・公演系のサークルに情熱をささげていた。

大学院でまだ勉強を続けようと思っていたので、卒論と並行して大学院入試の準備をしていたが、2月末に志望院の2次試験(口頭試問)に落ち、行く先がないまま大学を卒業。「好き」という現在点のみの感情で行動した結果だった。

既卒で就職活動をすることを決めたが、自分が何になりたいのか、何がしたいのかわからず就活が難航する。自分が好きなこと、できること、将来成し遂げたいこと、そして社会に還元できること、それらをリンクさせて考えることがなかなかできず、脈絡なく多数の選考を受けまくっていた。

次年度の就活解禁の1週間前に、ようやく雇ってもらえるところが見つかり、現在Webライター・編集として働いている。