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インターンをしたから分かったこと

こんにちは、横浜国立大学4年の柿埜百合子です。
柿ピーと呼ばれています。
2019年11月から、ウォンテッドリー株式会社にインターン生としてジョインしています。

長期インターンとしては3社目。
3年生の冬に1社目、(この間に就活色の強い短期インターン)、4年生の夏に2社目、そして現在3社目のウォンテッドリーと考えると、大学生活の約3分の1はインターンをしていたことになります。

もっと早くから長期に渡ってインターンをしている方は他にもいるかとは思いますが、私がインターンとともに過ごした学生生活を振り返り考えたことをまとめたいと思います。

※表紙や文中のイラストも描いてみました。ipad最高!

様々な大人と関わること

生まれ育った環境・学んできたこと・これまでやってきた仕事・今頑張っている仕事…
もちろん、1つの集団の中でも様々なバックグラウンドの方がいますが、複数の集団に入ってみることで、より多様な大人に出会うことができました。

もっと小さいときから、それは大学1年生から…ということではなくて、幼少期から
様々なタイプの大人に出会う機会がもっとあったら良かったなと思います。
しかし、どの程度多くの大人と関わることができるかというのは、特に幼少期においては、生まれ落ちた家庭の価値観・地域に依る所が大きいです。
私は田舎の”普通の”家庭に生まれました。

小学生時代の周りの大人:家族、学校の先生、ピアノの先生
中学生時代の周りの大人:家族、学校の先生、塾の先生
高校生時代の周りの大人:家族、学校の先生、塾の先生、毎日行っていたコンビニのオーナー

私の世界の大人は、この程度の人数でした。
言い換えると、私にとっての”大人”はこの人たちだった。
私の世界における「大人ってこんな感じ」像は、この人たちだけによって作られていた。
とっても小さくて、狭いです。
だけど、世の中にはもっと色々な大人がいる。面白いことをやっている大人たちがいる。
関東に出てきて、インターンをして思い知りました。
そして、小さい頃からこんな大人たちを知っていたとしたら、自分はどんな夢を描いていただろうと、少し残念な気持ちになりました。

世の中にいろんな大人がいると知っていれば、自分の近くにいるそれこそ家族や先生に馬鹿にされても、「広い世界には自分のことを認めてくれる大人もたくさんいるはずだ」と考えることができます。家族や先生への精神的依存を薄くすることができたかもしれません。

過去を残念がって悲しくなることは、非常に無駄な時間であります。
今この瞬間が自分の人生における最先端であることを忘れないで、毎日の出会いや体験を楽しみたいと思います。

思っていたより仕事は地味である

「地味」を、悪いニュアンスの言葉として使っているのではなく、良いニュアンスで使っています。

BtoCのサービスを持っている事業会社では特に、そのサービスの裏側ではたくさん人がいて、きっちりルールが決まっていて…という姿を想像しがちでした。

意外とそんなことはなく、むしろ事業会社のほうが、ルールやオペレーションなど試行錯誤し、
考える前にやってみる、やってから考える」を高速で繰り返しているものだと知りました。
あと、想像しているより回している人数が少ない。
圧倒的な生産性だと思わされる場面がたくさんありました。

華々しく見えるあの会社もその会社も、裏側では泥臭く努力する人がいること。

それを心に留めておくと、なんだか社会が愛おしくなってきました(????)。


学生インターンと社員で違うこと

責任感?
いや、インターンが無責任なんてことあるわけがないので、これは違います。

業務内容?
これはインターンによりますが、違う場合もあるかもしれません。
ですが、私が参加した/しているインターンでは、社員の業務を一部分けてもらうという事が多いため、私の場合は違わなかったと言えるでしょう。

給与など制度面?
これが一番大きく違う点かもしれません。
時給換算したときやはりインターン生の方が格安です。これは仕方がありません。
(時間を切り売りするという考えは好きでないので、時給換算という言葉も心地よくありませんが…)

つまり何が言いたいかというと、

社会を知り、経験を積みたいと考えている学生にとって、インターンはその目的を達成できるものである

という事です。

「インターンだから、これだけやっておいてね」というスタンスの会社は、そもそもインターン生を採らないと思われます。

インターンだから社員と同様のことができないか、という質問への回答は、NOです。
そして逆に、
インターンだから、学生だからということを理由に甘えられるか、という質問への回答もNOなのです。

「インターンは社員より給料が安いのに、社員と同等のアウトプットを求められるなんて不平等だ」
そう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
社会人になる前からビジネスを知ることが出来るという経験のありがたさを考えると、正直どうでもいいことだなって思ってしまいます。

「学生にしかできないことをしよう」?

とよく言われます。
こう言われたとき、毎回「学生にしかできないことってなんだろう」と考えます。
バイト、サークル、長期の旅行…?

よくよく考えると、これらは全て社会人でもできてしまうんじゃないかと思いました。

バイト:
副業ができる会社が増えてきています。個人経営のバーのバイトとかやってみたい。副業で。
サークル:
社内のサークルやクラブ活動、たくさんありますよね。
長期の旅行:
何か月にわたる旅行は勤めながらでは厳しいですが、学生で何か月も個人旅行しているケースもなかなかまれだと思います。なぜならお金がないから。
学生が長期で海外に行くのって、ほとんどが留学じゃないでしょうか。そういう意味だと、留学制度がある会社もありますよね。

うーん、どれも社会人でできてしまう。。。という結論にいつも至ります。
旅行に関して言えば、お金に余裕がある社会人で言った方が楽しめるのでは、とさえ思います。

学生にあって多くの社会人にないものを強いて挙げるとすれば、それは時間

例えば「これを学びたい!」と思ったとき、
学生は1日中勉強に充てることができますが、社会人だと出勤前か退勤後になってしまいます。
ただ、よほど大変な会社でない限り週2日休みがあるので、そこでなら丸一日でも勉強できますね。

私が思う「学生にしかできないこと」の一つに、それこそインターンがあります。

社会人になると、嫌でも肩書きが付きます。言い方を変えると、「付き纏い」ます。
どこで何をするにしても、「○○株式会社の~~です」です。

一方、学生のうちは、「○○株式会社」、「営業○課」、「専務」など、会社における肩書がありません。
(インターンという肩書きがつくという意見も尤もですが)

肩書きがないということは、一種の心細さがある一方で、自由ということです。

ある会社でインターンしていても、別の会社でインターンしたらダメという決まりはありません。
イベント等に参加するときも、特定の会社の人間としてではなく、ただの一人の学生として自由にふるまえます。

自由にビジネスを見ることができる、それは学生という自由な立場であるからこそ達成できることです。

「社会人になれば仕事なんて嫌でもできるから、学生の間に働くなんてもったいないよ」と言われたことが多々あります。
必ずしもそうではないと思う、というのが私の意見です。

終わりに

2020年2月2日、大学4年生。学生生活も残すところ2か月となりました。
私が社会人2年目くらいにこの文章を見返したとしたら、どんなことを思うのでしょうか。

仕事というものがどういうものなのか分かり始めたときの、なんだかむず痒い感じを、ぜひ思い出してほしいものです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
あと2か月、駆け抜けたいと思います。

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