Creative Portfolio - YUKYCO -
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写真:2011/11/30 パリにて
関東大震災のあった年にブラック企業に勤め始めて、仕事の大切さ働き方の大切さを実感し、仕事とはなにか、自分の人生とはなにか、自分の使命は何か・・・、という課題に改めて向き合うことを余儀なくされた。大阪から引っ越ししてきて9カ月目の時に震災が起きた。
大阪で好きなことをして暮らしていた生活を断ち、いまとは違ってまだバリバリ働ける年齢だったにも関わらず、引っ越しして来て土地勘を失い、親しかった友人と過ごす貴重な時間が減り、自分自身の使命を見つけたいと思い職業訓練校に通うことを決めた。人間関係も一からだったので、勉強しながら給付金をもらえる生活はかなり恵まれたものだと思い最後まで通って卒業した。今思えば両親との生活に甘えていたのかもしれない。そんな中での震災だった。東北は私の住む横浜からかなり遠かったが、福島のことがあり日本が大変な状況であることは間違い無いと思った。
職業訓練校で身についたことは働くためのエネルギーだった。だから勉強した内容とはかけ離れた仕事内容の会社に就職した。震災の影響だけでは無いが、この大変な状況で勉強している場合では無いと思ったのだ。
でもその考え方は今となっては正かったとは思わない。その会社に勤めた自分を否定はしないが、沢山のことを学べたその機械は貴重なものである事には間違い無いと思っている。
ただ、週6日毎日3時間あった無休残業は、心に大きな傷を残していた。その当時付き合っていたボーイフレンドの存在も大きく関係していた。彼はジュネーヴの人だった。退職後に会いに行った。翌週パリにひとりでいった。合わせてほんの1週間の旅行だったが一生忘れられない旅行になったことは間違いなかった。
その後、再びWeb Designerの職業訓練校に通ってプログラミング用語を毎日勉強し、会社にも無事就業でき、コーディング実務に携り実際にスキルを身につけたものの、不自由を感じ退社し、起業を目指す。ローカル開発環境を構築するなどして、プログラミングやネットワークを含めた経営知識を学びながら業務改善を続けていった。
2012年当初、起業について教えてくれるスクールは日本にはほとんどなく、あったのかも知れないが見つけることは出来ず、たまたま良いと思ったネットビジネスにローンを組んで申し込んだ。
2016年にアプリ開発の塾に参加して、スマホアプリの開発を始めるも、半年やっても利益は出せず、続けることもしなかった。
塾の費用と生活費が必要な中、趣味とも言えるようなプログラム開発に独自に時間とお金を費やした。役に立つと思ってネットビジネス塾にいくつも参加したけれど、自分のやりたい事との摩擦が生じていつしか前に進めなくなっていた。ただそんな中でもプログラミングの必要性や面白さを知っていくことは出来たので、興味がなくなることはなかったが、借金を背負っていた関係上パソコンを買うお金が工面できず挫折し、コンビニとスーバーのレジを掛け持ちして、借金返済の毎日を乗り越えた。その間もずっと騙されたという口惜しさは消えることがなかったため、2017年夏に支払に使ってきたカードの明細書を取寄せて、弁護士事務所に依頼。
2017年冬に法律事務所から返金請求をしてもらっていたお金が戻ってきて、自宅を事務所として新たな気持ちで事業に参入しようと意気込んでいる。
サイト製作よりブログに力を入れてきた2017年だったので、HPはいまいちパッとしませんが、公式サイトとして公開しています。
その他直近のWEB製作の実績はクラウドワークスで公開しています。
この度は機会を頂き、誠にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
濱辺 友紀子