旅の徒然に
ソウルの北40キロメートル
ロッテホテル
- 1999年10月15日土曜日 朝、9時半ソウル市中心にあるロッテホテルから、そのバスは出発した。総勢43名の乗るバスである。向かう先はソウル市から北に40キロメートル程行った板門店、ここは歴史上有名な場所である。1950年突如南下を始めた、北朝鮮の軍がソウル目がけて殺到した。それからの出来事は良く知られている事である。
ソウルをでて、漢江の北岸に沿うように道路は続いていた。軍事境界線が近づくにつれ路肩には見渡すかぎり鉄条網、そして道路沿いには迷彩服を着た韓国陸軍の兵士が目立つようになる。中には道路に、戦車まで並んでいる。ふと漢江の対岸を見ると、遠くに北朝鮮領が見える。ほとんどが禿山である。全て食べてしまったのであろう、食料事情を物語っている光景である。
人影も無い対岸を見るとは無しにバスに揺られ、小一時間でそのバスの目的地キャンプボニファス(Bonifas)外の駐車場に到着した。待つことしばし、バスはキャンプボニファスに入り、我々はブリーフィングルームに通され、Power Pointを使用した板門店の歴史を手短に解説された。その際、我々は、ここは本当に冗談も言えないところなんだという事を再認識させられる文書を読まされ、署名させられたのである。
曰く、(原文のまま)
訪問者(見学者)宣言書 (UNC REG 551-5)
統合警備地区への訪問者(見学者)は、下記を読み、そして署名することを要求されます。
1板門店の統合警備地区の見物は、敵性地域への立ち入りを伴わない。敵の行動(活動)によっては危害を受ける又は死亡する可能性が有ります。統合警備地区は中立地域ですが、一方(南)は、国連軍の軍人により、他方(北)は、北朝鮮軍の陸軍軍人によって、それぞれ分割警備されています。
国連軍のゲストの皆様は、軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する統合警備地区へ立ち入ることは許されていません。
また、事変・事件を予期することは出来ませんので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することは出来ませんし、敵の行う行動に対し、責任を負うことは出来ません。
2. 訪問者は下記事項に従わなければならない。
a.国連軍軍人は、勤務時間以外の服装として、軍種により規定された適切な軍服を着用する。訪問者は、国連軍の威厳を保持するに適切な私服を着用する。
b.統合警備地区へ立ち入る前に、各訪問者(軍人を含む)は、国連軍の正式のゲストである事を証明する薄片のバッチを受け取って下さい。このゲストバッチは、外部から見える衣服の上部左側に着けなければならない。このゲストバッチは、キャンプキティーホークから出発する前に、返納されなければならない。
c.北朝鮮軍人及び中華人民共和国義勇軍と、会話する事を含んで、親しくすることや、交際することは、固く禁じられている。北朝鮮軍兵士、中華人民共和国義勇軍兵士は、次により識別できる。
(1) 軍人-----警備兵は、褐色又は、くすんだ茶色の北朝鮮軍服で腕に赤色の腕章を装着、休戦軍事委員は、黄色の腕章を装着している。
(2) 報道関係者-緑色の腕章を装着している。
(3)訪問者----上部ポケットに緑色の布片を装着している。
d.訪問者は、北朝鮮側にとって、国連軍に対する宣伝材料となりうる身振り、表現等を、謹む。
e.訪問者は、見学の最初から最後までグループとして行動し、見学案内者の全ての指示に従うように。いかなる不平・苦情はキャンプキティーホークに帰った後に伺います。
f.火器、ナイフ等いかなる武器も、統合警備地区に持ち込んではならない。
g.共産側支配下の地域及び建物(黄褐色に塗色)には、いかなる理由が有っても立ち入れない。統合警備地域内の国連軍の建物(青色に塗色)に立ち入るには、事前に見学案内者により許可を得なければならない。
h.いかなる時でも見学者は、部隊の進路に立ち止まったり遮ったりしてはならない。会議室内の施設や装備をみだりに操作しない。統合警備区域内は、写真撮影が許可されているが、CKP#1(キャンプキティーホーク入り口)からCKP#2(統合警備区域入口)の間の途中は禁止されている。
i.若し、いかなる出来事が起きても、平静を保ち、警護の者の指示に従わなければならない。
3.以上の事項に関するいかなる質問も、見学案内に聞きたださなければならない。
DECLARATION (宣言)
私はこれを読み、理解し、そしてこの指導(指示)に従います。私が未成年の家族を伴って居る場合、この見学に際して、私が責任を有する未成年者をを伴った場合、私のこのサインは彼らにとって、これらの指導(指示)を承認することを意味する。
SIGNATURE(署名):_______________ DATE(日付):_________________
この書類に署名させられ、この基地の名前の由来になった、ボニファス大尉斧殺傷事件(ポプラ事件)を説明され、如何に不信感がひどい結果をもたらすかを再認識させられ、かのバッチを受け取り、ブリーフィングルームを出た。
表で待つこと5分、青色に塗装された、国連軍の大型バスがやって来た。件の、女性ガイドにそくされ、バスに乗り込む。運転手と助手が乗っているが、在韓米陸軍MPで有る。迷彩服に身を包み、それでも陽気なヤンキーらしく、ガムを噛みながら(シンガポールに寄港した米海軍水兵は、ガムを噛めなくて、困るだろう、等とつまらんことを考えていた。)、我々を迎えてくれた。
出発である。キャンプボニファスをゲート迄下り、そこを左折、舗装された道路であるが、唯一違うのは、キャンプをでてすぐに道路両側にコンクリートの塊が立っている事である。これは上部が完全にコンクリートの塊で、下部は細い柱が10本以上はでていて、それで上部を支えている。この塊は縦、幅それぞれ数メートル、奥行き10メートルはあるか、そしてダイナマイトが下部には仕掛けられている。そう、戦争の際には敵が戦車、車両でここを通過することを阻止するための、戦車止めで有った。
それを横目に見ながらなおも北上すると左手に100Mの鉄塔に巨大な韓国旗がはためいているのが見える。それは、非武装地帯に有る韓国側の戦略村に立っている。ここにすむ住民は最低8ヶ月は居住しなければならない。当然、非武装地帯であるから、言葉とは反対に大変危険である。故に、ここで農業を営むときは国連軍が警備につき、その中で農作業をしている。
そんな危ないところで、何も生活せんでも良いだろう、と、思うが、やはりそれだけの見返りは有るもので、ここで農業を営めば、無税で年間所得は日本円で5000万円~1億円は稼げるという。韓国の平均所得はまだ日本の半分にも満たない。その物価でこの金額である。かなりの動機づけにはなるであろう。とひとしきり計算をしていると、曲がり角で有る。そこには、ハマーと呼ばれる米軍の正式多目的車両(ジープの代りに採用された車両)が待っていた。中には韓国軍兵士(ここの兵士は米軍との共同作戦をとるため、全員英語堪能、身長180センチ以上、テッコンドウの使い手が条件になっている)が国連軍の制服である緑色の制服に腰には拳銃をぶら下げ、現れた。ここからは彼らが我々の警護にハマーで先導してくれる。
山道を行くと正面に大きな銀色に輝く建物が見えてきた。国連軍側の建物で有る。バスを降り、その脇の二階建ての古典的な展望台に登る。見えた。ニュースで良く出てくる板門店の会議場の建物である。その背後には階段を上りきった所に、大きな白い大理石で出来た建物が見える。「あれが、北朝鮮側の招待所です。」ガイドの説明だ。「決して指で指さない様に」、「名前を呼ばない様に」と注意を則される。人は無意識に遠くに見るものが有ると、他人に教えようとして指挿してしまう。ここでは、それは禁物。北朝鮮側もビデオカメラ、双眼鏡でこちらの動きを監視している。ひとしきり、相手の動きを見て、下に下り、いよいよ板門店の会議場に入る。
建物はなんとも素っ気無く、良く言えば質素、有り体に言えば、粗末である。北緯38度線をはさみ5棟の建物が建っているが、真ん中の3棟が国連軍の管理下に有るようである。建物を影にして半身乗りだして、兵士が二人警戒に当たっている。拳銃を腰に付けている。その上官らしき軍人がその二人を見守る様に、警らに当たっている。
真ん中の建物に入る。中はそれほど広くない。恐らく、20畳程度か。テレビでおなじみの38度線を真ん中にして机が置かれ、マイクのコードが38度線を示している。部屋には国連軍(韓国陸軍)の兵士が二人、テッコンドウの構えで、微動だにしないで、立っている。外には38度線の北側に北朝鮮の兵士が二人立哨し、目つきの悪いその上官であろうか、男がこちらをのぞき込んでいる。ガイドに言わせると、北側が建物の傍まで下りてきて、立哨するのは珍しい事だと言っている。部屋の中で、一同38度線を越え、一回りし記念写真を取り、ガイドの「早くでて下さい」の声にせき立てられて、国連側に戻った。その時、北側の招待所の階段を見ると、白人が数人北側の軍人に付き添われて見学しているではないか。そのために今日は北側の警備が厳重だった様である。
続いて、バスは第4監視所に向かった。ここだけが唯一統合警備区域でタバコが吸える所である。丘の上に立つ監視所で、平野を見ると、160メートルもの鉄塔に掲揚された、北朝鮮の巨大な国旗が先程の韓国旗に負けじと、はためいている。その下にはどう見ても人が住んでいる気配のない、一群の建物が見える。これは韓国側の戦略村に負けじと作った北朝鮮の宣伝村であるという。だが、人気が無い。虚しい事をしたものである。その回りは一面の禿山が続き、一帯には北朝鮮が流す歌(と言えるものでは無いが)が巨大な音量で流れている。しかし、ガイドに聞いても風で音が流され、意味も良くわからない、ただの音が虚しく山をなぜているだけである。この50年近くこのような虚しい事が続いている。
決して遊びでは無い、また冗談でも無い、この現実に、ここの軍人は何を考えているのだろうか。北側からのトンネルが、既に見つけられたものだけで、20本は韓国側まで届いている。何時足元から北朝鮮の軍隊が出没しても、不思議では無いのが、ここ韓国である。何せ、国境から首都ソウルまではたったの40キロメートルしか無いのである。
翻って我が日本のなんとも平和なこと。我が身を鑑み、自分の幸せを噛みしめたのは、43名の内果たして私だけだっただろうか。