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わざと違った世界を見ようとすること

ここでは自己紹介のように、私なりの道の選び方と、その影にあった私なりのものの見方、考え方をお話しします。

私は屁理屈をこねるような、「可愛くない」子どもでした。しかしそれは同時に、「みんながそう考えるのもわかるけど、こういう考え方もあるじゃないか」という、わざと違う見方をしようとする原点でした。これが、私の道の選び方と行動に影響してきます。

まず中学校を出たとき、周りが皆地元の公立高校に進学する中で、私は県外の私立高校に専願で入学しました。よりレベルの高い環境を目指すとともに、皆が見ない環境でもあったためでした。この高校で大学を目指す時にも、私は王道と言われる難関大学を志望しませんでした。わかりやすいネームバリューは得られるものの、それだけで学生生活、その後の人生を送ることには納得できなかったのです。むしろ自分が望んで入る環境を求めて、周りでは志望者のやや少ない大学に進みました。大学生となって専攻を選ぶ時にも、私は学年でただ一人、インド哲学を専攻することに決めました。祖父の影響で仏教が身近にあっただけでなく、他の人たちが学ばないことに触れている貴重さを感じ取っていたためでした。大学卒業後には通信制大学に進み、教職課程を履修しました。ここでも、学習と並行して仕事をすることは可能でしたが、私は新たな教育観を持つ進歩的な学校を見ることにしました。既存の教育を異なった観点から見ようとする姿勢に親近感を持っていました。そして実際に自分が教員となる時にも、公立校の正規教員になることを選びませんでした。学校教育に関わりながらも学校外でも働き、かつ家庭での時間も取れる働き方をする、ロールモデルにこの頃出会っており、働き方を見直すものとしてその利点を積極的に見ていたためです。

このように、私が進むことに決めた道は、一般に想像されるような選び方とは少し外れています。しかしそのことによって、一般に考えられていることを問い直し、他の可能性はないかと問い続けながら歩んでいます。また自分で選び納得して取り組むことで、自分の関わることにさらに前向きに取り組むよう意識しています。