香港デモの現状と中国の現代史について|まる|note
追記: 2020年内に香港に赴いて、実際に起きた出来事について取材しに行きます。 香港デモの背景と中国の現代史について34365文字書いたので気長に読んでもらえると嬉しいです。 現在 香港 ではアジア史上最大のデモが行われています。 ...
https://note.com/note__0909/n/nbfeb4471abdb
2018年10月から2019年7月頃までエンジニアのインターンとして働かせてもらった会社の体験談です。
まず、どうして「借金をしたのか?」「休学と留年をしたのか?」と疑問になると思うので、そのキッカケについて書きました。
遡ること、2年と少し前のことです。
僕は、浪人をして入学した東洋大学情報連携学部に在籍をしていてこのまま進級かと思いきや、成人式の一週間前に当たる2018年の1月3日に人生を変える大きな分岐点に立つことになりました。
その日の出来事は今でも忘れられません。
母親の祖父の家に訪れていて、全財産を使って暗号通貨にのめり込んでいました。
毎年行われる高校サッカー選手権を観ながらロシアのyobitと呼ばれる取引所に全ての通過を預けて、ある博打を行っていました。
yobitという取引所には、ゆうちょ銀行のATMでも見かける「通帳記入」「預かり」などの一覧に「ハイアンドロー」という項目があったのです。
預けてあるお金を賭けて、2倍に増えるかそれとも無くなるかのスリルに楽しんでいる自分がいました。
13時から始めたのに、いつの間にか15時、16時、17時、18時と外の景色が暗くなることに気づかないくらい博打を打っていました。
300万から始めた手持ちの残高は、いつの間にか1万円となっていて、その時は本当に「夢なんじゃないか?」と疑いたくなる気持ちでいっぱいでした。しかし、「ご飯ができたよ〜」と呼びかける祖母の声に気付き夢じゃないことに気付きました。
そんなこんなで、勉強が疎かになってしまいました。
Pythonのテストは通らないことはわかっていたのですが、遅刻を全て欠席扱いにした英語の授業を担当している非常勤講師のせいでギリギリ単位を落とすことになり留年することになりました。
後で聞いた話なのですが、僕と同じように遅刻をしていた他の人は欠席扱いになっており、先生に抗議をしたところ「授業に入ってくるときに、遅刻をしました」と言わなかったからカウントしなかった。とメールが1通届いただけでした。
(*2017年に設立された東洋大学の情報連携学部は、一年生から留年がある学部です)
そんなこんなで、2018年1月から2019年7月くらいまで、週7で昼間は派遣・夜はカラオケの夜勤を通しで働いていました。メルカリで転売することも覚えて、毎月の支払いに怯えながら生きていました。
メルカリのアカウント↓(今でもたまに使います。参考書などを売るときに)
成人式の一週間前に訪れた出来事から、ただ毎日働きお金を稼ぐこと7ヶ月間。
2019年の8月くらいには、2019年度からの学費を払わなければ自由に使えるお金の余裕ができていました。
派遣やカラオケの夜勤で働くことは、想像以上に僕の精神を痛めつけていました。。
バレットジャーナルという手帳の書き込む方法を会得して、毎日日記を手帳に書き込み、派遣の手が空いてる時は単語帳を開き勉強を行っていました。
「このまま学費を稼ぐのでは無く、いっそのこと勉強をして1年間休学をしてみたらいいのではないか」という気持ちが、派遣で働く人やカラオケの夜勤で働く人と接することで徐々に芽生えていました。
幸いなことに、情報連携学部であったことからPCは持っていたので当時流行りだした「Progate」を浪人中もお世話になったIKEA立川店で隙間時間に勉強を行う日々がしばらくの間続きました。
その間、Twiiterのアカウントを開設して毎日勉強内容で得た気付きや浪人中にも使っていた『studyplus』を使ってどの言語をどれくらい勉強したかなどの記録をつけていました。
2018年9月に1年間休学をすることを決意して、twitterでエンジニアインターンを探していたところTRUNKが目に入り連絡をして、連絡をした次の日にオフィスに向かうことになりました。
次の日、オフィスに入りドレッドヘアーの人に面談を受けさせてもらいそのまま合格となりました。
当時の僕は、何が何だかわからないままSlackをダウンロードして、Gmailのアカウントを配布されることなどを経験しました。
TRUNKはRubyを使っていたので環境構築を行おうとしたのですが周りにいる人もMacbookであり、インターンを行っていた方に「何個か質問をして」その日の夜に渋谷のAppleでMacbookを購入しました。
そこから、2018年の9月から12月頃まで毎日オフィスに出社して朝から晩までプログラミングに打ち込みました。
##やったこと ( 2018年10月~2019年1月 )
スタートアップという業界にも少しづつ慣れ始めた2019年2月のことです。
静岡から、リモートで通っていた「タックマンさん」と呼んでいた方がいたのですが、その人がオフィスに寝泊りするようになり、それまで週に3回程度だった僕もお金がないのと家から遠いので週4,5日くらいの間隔で泊まるようになりました。
2019年1月から3月までは、サイト(https://trunk.fm/)の修正やひたすら参考書を写したり、自分でホームページなどを作ったりしました。雇用形態が個人事業主としての契約だったので、勤務時間などの制約はありませんでした。
生暖かい風を感じ始めた、3月には岡山出身である二人組も家があるけれど、「帰るのが面倒だ」ということでオフィスに泊まるようになりました。
一人はPLAIDのエンジニアとして働いていて、一人は会社を設立して励んでいると聞いています。
そこからは、夜通し開発をしたり技術を教え合うことなどをしていました。(もう戻れないことを考えると、とても非日常的で楽しい日々でした。)
TRUNKで開催されたハッカソンのLPをデザイナーとビジネスサイドと連携を取りながら、制作する経験もさせてもらえました。(https://trunk.fm/hackathons/ss2019) (少しならFigmaを使えるようになりました)
2019年3月16日から3月17日に、行われたハッカソンにインターンメンバーとチームを組んで臨みました。ハッカソンでは夜通し、その日に出されたお題に沿ったプロダクトを作るというルールでした。
僕たちは、三人で大阪まで向かったのですがプロダクトも中々進まず、人間関係が原因で連携が取れず開発を最後までやり遂げることができませんでした。
小さな組織でもプロダクトが中々進まず、人間関係にもヒビが入ってしまうのはスタートアップの企業が崩れ始めるキッカケの前兆と似ているのではないかと思い、経験できてよかったと思っています。
( 昼間から愛知を経由して大阪に行ったため、夜寝床がありませんでした。そのため、twitterでDMをとりリバ邸箕面に泊めさせてもらいました。) ( これは出る時に撮った写真です。)
ハッカソンから帰ってきて、3月の終旬4月の後半までは、宿泊メンバーと渋谷にある「さかえ湯」で銭湯の湯に浸かることはこんなにも気持ちが良いものなのかという気持ちにさせられました。
##やったこと ( 2018年2月~2019年5月 )
2019年の6月。
年が明けてから僕は、元々世界史の先生になりたかったことや文章が好きだったこともあり、ライティングやメディアに携わってみたいと考えるようになっていた思いが膨れ上がっていました。
それは、飲み会に行った時などに、細かい知識について熱く語っているインターン生の先輩などを見ると自分はこっちの世界ではないのかもしれないと思うことが多々あったためです。
また、noteやtwitterに投稿している自分の呟きに対して「文章書くような仕事の方が向いてると思う」という声をもらうことが多くなり、「自分はメディアやライティング関連の仕事の方が向いているのではないか?」という考えが徐々に膨れ上がりました。
その考えが決定的になる出来事が起こりました。
2019年5月終旬頃から、香港のデモが日本のメディアにも報告されるようになりました。
それでも、正確な情報をわかっている人はごく僅かであり僕の友達に香港人がいるのですが、その人から「日本人にも現状をちゃんと知って欲しい」と言っていたことがきっかけで寝色問わず5日間かけて文字数34334文字の記事を書きました。finderには、中国と香港関連の写真でいっぱいになりました。
この投稿をツイートした時は、読んでくれた人は少なかったと思います。それでも、僕の中で文章を書くことに「こんなに夢中になれるんだ」「もっと様々なことに触れてみたい」とこの記事を書いたことで強く思うようになりました。
そこから、2019年6月から7月までTRUNKのには考える時間が欲しいとお願いをして、おやすみをいただけることになりました。毎日小説やnoteの文章を読んだりする日々を通して、エンジニアを辞めてメディアの会社に働こうという決意を固めて退職ということになりました。
TRUNKでの日々は、シードステージからアーリステージに向かうスタートアップ独自の緊張感や、教育系事業を展開していたこともありたくさんの学生がいらしたり、OBの方なども気軽に出入りできる環境だったのでフラットな関係を築いていた組織であったのでとても居心地がよかったです。
その中で、休学と留年をして当時なにも知らなかった僕がいろんなことに触れる経験や機会を得られた大切な期間でした。
(渋谷のタワレコの屋上で送迎会を行ってもらいました。)
(オフィスの前にある写真です。)