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ある時期は深く、ある時期は浅く(中期)

私個人のIT史において、コンピュータあるいはITとの関わりが薄かった中期は、社会に出てからの8年ほどになります。

最初に就職した会社

最初に就職した会社は、ITとは関係が薄い会社ですが、一応、技術部門の就職です。当時、この会社の技術部門には電算・制作・印刷の3部門があり、就職してから半年ほど電算・制作の研修を受け、その後、制作部門に配属されました。

電算部門の研修では、情報処理の基礎的な内容やリレーショナルデータベース(IBM謹製データベースのDB2)を学ぶ座学に加え、新聞制作システムNELSONで使用していたIBM製の水冷式メインフレームのお守り(深夜、テープにバックアップをとったり、システムを再起動したり)をする実地研修がありました。

研修後に大阪本社の制作局に配属され、退職するまで新聞の制作を行っていました。新聞の制作はNELSONに接続された組版端末で行います。NELSONによる新聞制作は、基本、コマンドベースで、流し込む記事や流し込む位置を指定するのにジョイスティックがついていました。新聞制作は時間との勝負的なところがあり、ややこしいコマンドを手打ちしないようにファンクションキーがついていたのですが、その数なんと32個。通常のキーボードの左側に32個のキーが正方形(一辺6キーで4つの頂点にキーが無い)に並び、右側にはジョイスティック。新聞のページ(一面とか社会面とか)ごとに端末が用意されていて、自分がその日担当するページの端末の前に座り、椅子の位置を調整して、左手にはファンクションキー、右手にはジョイスティックというのがホームポジションです。整理部の記者と一緒に記事を組み上げていき、大刷りで紙面を確認し、完成したら降版(これは、KOHANコマンドを手入力)して、印刷部門に版を引き渡すのが仕事の流れです。

コマンドベースの新聞制作システムだったため、コマンドを組み合わせて、スクリプトのようなものを作って、定型作業が自動化できるようになってました。私も何か作った記憶があります。しかも、それで、制作部長賞を(お情けで)いただいたような・・・。ただ、どんなものを作ったか、まったく記憶がありません。

南の島の教育省

最初の会社で3年働いた後、パプアニューギニアという南の島で3年働きました。青年海外協力隊ですね。職種は、システムエンジニアで参加しました。現地に派遣される前に、駒ケ根で3ケ月弱の研修を受けるのですが、その時に、派遣の背景なんかを知ることができます。

パプアニューギニアは言語的にとても豊かな国で、800以上の言語が母語として話されています。ところが、学校教育では英語が基本となっていたため、特に初等教育において大きな壁となっていて、識字率向上の妨げの一つとなっているといわれていました。この問題の解消のため、初等教育においては各地の母語・各地の文化を教材にした教育を行うこととし、先生の教育を始めました。また、ユネスコを通じた日本政府の援助により、各州に識字教材作成用のコンピュータ(Macintosh LC)印刷機(RISOGRAPH)を備えた LAMP Centre (Literacy Awareness Material Production Centre) が作られました(1)(2)。ただ、機材はあってもどうやって使う?という状態になっているので、コンピュータだからシステムエンジニアが必要⇒JICAで人的援助、といった流れのようです。

パプアニューギニアに着くと、すぐに、トク・ピジンの研修を受けます。トク・ピジンは、ネオ・メラネシア語とも呼ばれ、パプアニューギニアの公用語の一つで、ご近所のソロモン諸島バヌアツでも話されているうえに Wiki まである言語なのですが、クレオールなだけあって、英語にくらべると比較的容易に学習できます。

片言のピジン語が話せるようになると、モロベ州の州都Laeにあるモロベ州教育局に派遣され、ここで、約3年の間、LAMP Centre の責任者みたいな扱いで働いてきました。

まずは、各機材がどんなものか(Macintosh は生まれて初めて触った)、どう使えば必要とされる教科書が作れるのか、そんなことを考えながら、PageMaker と戯れたり、RISOGRAPH と戯れたり。RISOGRAPH は、ステンシルとかインクとかランニングの費用が必要になってくるけど、教育省は、どうも包括的な予算はつけられない模様で、教科書を必要とする学校・団体から実費をもらってね、という運営方針だったので、コスト計算(何部刷ったら一部あたりいくら、とか)をして、どうやったら(いくらもらったら)継続的に運用できるか考えたり。当然、一枚のステンシルからたくさん印刷するほうが一部あたりコストは安くなるし、教科書はA5サイズだったけどステンシルはA3サイズなので、丁合をとって印刷しないとステンシル無駄になってコスト増えます、とか。

そのうち、AppleScript という言語があって、これで PageMaker が制御できる、と分かったので、PageMaker で画像と文字枠だけのフォーマットを作っておいて、教科書の文章は、各言語でテキストファイルで作っておき、いざ、印刷となったら、指定された言語のテキストを文字枠に流し込んで、ついでに、各ページを並べ替えて折丁が作れるようにして、と、簡単な自動化をしてみました。

それと、そうやって作った版を、いったんドットプリンタで印刷してから RISOGRAPH でスキャンして印刷、という流れになっていたので、JICA に RISOGRAPH とパソコンを直結するユニットを(日本国民の税金で)購入してもらって、余計な手間がいらないようにもしてみました。

慣れない環境で、あまり大したこともできなかったです。特に、現地のカウンターパートへの技術移転が大きなテーマだったはずなのですが、これは全く手つかずとなってしまい、とりあえず、後任に引継いで帰国しました。