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破壊者

親族の死。それは、人生を映像で眺めていた11才において、あまりにも重い現実だった。

私は彼の名前を呼んだし、冷たくなっていく肌の垢も拭った。誰よりも永く、彼の棺の傍にいた。

私の思春期は、お世話になった親族、親戚達の死が今でも鮮やかに蘇るし、

3月11日に音信不通になった相手の姿を、ジブリ映画の風立ちぬの最後にも重ねられる。

12才当時から、私の無垢な趣向は歪んでいた。生々しいものばかり愛した。

ただ、その逆のものは、非常に強い憎悪を抱き、何度も何度も朽ちていく様をイメージした。

今だから言える、私は生きる事を諦めていたからこそ、支離滅裂な青春だったのだと。

ありのままの私を、ありのままの社会は受け入れないだろうと覚悟の上で、

私も社会人として、生活をしているのが現状だ。

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12才の、生きる事を諦め、22才、33才、44才、55才、自分の姿をイメージ出来ない私には、

氷上 慧一 著のモンスターハンター 魂を継ぐ者 (ファミ通文庫)は希望であり、

川原 礫 著のソードアート・オンライン 1~4(電撃文庫)もまた、美しい光だった。

あれから10年が経ってしまった。

潮山として名乗る自分も、有名な艦隊これくしょん(DMM KADOKAWA)と並んで5年だ。

残念ながら、前述のお二人に堂々と向き合えるような面は、私は持っていない。

他人の夢に介入し、2000年以上の時代を駆け巡ったSFや、人を狂わす黒い液体の伝記。

龍に惚れた女狐が作った家と、その血を飲まされ現代の怪異と戦う少年。

時には、醜悪な身体を持ってしまった聖職者の女を愛した闇医者等・・・・・・この話はやめよう。

名探偵コナン(小学館)の言葉に、私は、それまで自分の辿った道を振り返る。

私を突き動かしていたのは、獣の様な衝動だったのだろうか。

GARNET CROW等の歌声を聴く頃には、

私は多忙になっていたが、その重圧に負け徐々に皮膚は崩れており、今も完治していない。

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19才の私は、春から夏にかけて広島を巡り、

秋冬は工房に籠もって寝る間も惜しんでどす黒い液体を作り続けた。

私の手元には、こうして自分が関わってしまった業の断片があるし、毎日毎晩、私の目の前にいる。

多くの疲労や、敗北、挫折、虚無感に満ちた2015年から、2016年の二年間に残ったものは、

私が自分で働いて得たお金で購入したものばかりだった。

人が一人では生きてはいけないように、作家も一人では駄目で、私は恐らく、失格だった。

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2017年。神に頼るのは何回目だろうか。あまり自慢出来る数ではない。

前述語った通り、私の数年間で残ったものは、お金で購入したものばかりになった。

私の精神は枯渇し、亡者の様に干からび、茶色に焼けてしまった肌で

ため息と涙で溢れながら、神に祈り、翌日。

大雨が降った。市内で行われるイベントは中止になり、過去の同僚の顔を思い描いた。

同時に、私が別で働く職場には、

私が投げ捨ててしまいたくなるような、

過去の自分でも視てるかのような、

そんな不快な気分になるほどの30代の男がやって来た。

彼の仕事ぶりは、私が歩んできた嫌な数年間を体現したような、目を背けたくなるような姿だった。

暴言を聞いたものは、当人に限らず、周りの者の生産性を下げるとはよくいったものだ。

彼が怒鳴られる様を毎回見ていると、関係の無い自分までやる気をそがれる。

毎日早朝に出勤し、真っ昼間、夕方に寝るような自律神経に有害な生活をしている自分には、

傷口に塩を塗られるような気分だった。

社会に出れば、色んな人と出会う、色んな人と別離する。

会社なら、独り善がりなことは出来ない、協力し合うだとか、会話をし、

業務をスムーズにしなければならない。

だが、私は彼を好きになることはないだろう。

考えてもみて欲しい。いや、考えるまでもない。

軽蔑だったのだ、過去の自分だからこそ分かる。同族嫌悪だ。

私が今までみてきた大人、年輩の方々は、真摯であった。厳しかった。

業務以外は怠惰でも、仕事になれば、神経質かつ、結果を出してきた者達だった。

自分はそんな方々に説教される若者の一人で、

少なくとも同じ過ちを繰り返さないように何度も業務前に作業のイメージをしたり、

出来ないと愚痴ながらも、教えられたことはものにした。

私は、彼の数十年間の、苦悩や苦労、努力。乗り越えてきたもの、その全てを理解することは出来ない。

だが、それでも、態勢が次々と変わる少数精鋭の職場で、

独立する予定の方と、定年が数年後に待つ班長。恐らく年齢的に、次にチーフになるのは、前述の彼だ。

破滅だ。

数年間の有余はあるとしても、この職場にはもう、破滅しか無く、己の実力では解決出来ない。

年金の支払いや貯蓄、多くの準備を整え、退職することを社長に報告した私だった。

後日。社長のご子息が東京から帰ってきた。

そのタイミングから、この職場を現チーフの次を引き継ぐ者となるのだと理解した。

安心した。反面、罪悪感があった。

ご子息は、この職場とは違う業界での夢があったことを、多くの先輩方から聞いていた。

体質的にこの職場での業務に向いていないことも、社長が最初の頃の面接で語っていた。

形式上、最も優れた退職の日だった。過去の経歴に比べれば、ダントツで、綺麗な形。

2018年7月、大雨の中、私は僅かな退職金を使って家族の誕生日プレゼントを購入。

広島全域に警報が鳴り止まぬ中、夢中にキーボードを叩き続けた。

今まで書いてきたものの継ぎ接ぎだ。

主人公の名前は、自分が最初に考え、使い古したもので、ヒロインは、最も親しみのあった形にした。

内輪受けやネタの為に、才能や信望を持った主人公が悪と戦い、多くの人に愛される。

時にはギャグなども書いたし、長い一夜も書いてきた。

だが、主人公がヒロインを救い、大団円となる話、かつ、自分が納得出来るものを書いたのは、いつぶりだろうか。

いいや、今まで無かったのかも知れない。

書き上げた私は、窓辺から響く土砂降りの音をききながら、布団に潜る。

祝日があければ、見事なまでの快晴と猛暑であった。募金もした。

汗をかきながら、面接の会場まで向かい、

学生時代のお世話になった講師に似たような面接官が私に語るのだ。

「一番に成る為の努力、そして、一番として居続ける努力」

相手は多分、私に何の期待もなかったことを、既に私は悟っていた。

だが、私にとって、それは、《風》だった。

私は、ようやく、生きる事を、試みることが出来るのかも知れない。